琥珀色の戯言

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僕はいかにして指揮者になったのか ☆☆☆☆☆


僕はいかにして指揮者になったのか (新潮文庫)

僕はいかにして指揮者になったのか (新潮文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
「大人になったらベルリン・フィルの指揮者になる」―小学校の卒業文集に書いた夢を、佐渡裕はついに現実のものとする。指揮者としての正式な教育を受けていない自称「音楽界の雑草」が、なぜ巨匠バーンスタインに可愛がられることになったのか。「ライフ・キャン・ビー・ビューティフルや!」という師の言葉を胸に、世界中の名門オーケストラで指揮棒を振る男の人生讃歌。

日本を代表する指揮者のひとり、佐渡裕さんが、いまから15年前、1995年に書かれた本。
10年くらい前に文庫化されていたそうなのですが、今年の8月に、新潮文庫から新装版が出て、書店に平積みになっていたのを見て購入。

最近は『のだめカンタービレ』などの効果で、「クラシック音楽を生業にしている人たち」もだいぶイメージしやすくなってきましたが、それでも、「指揮者」というのは、「どうやったらなれるのか、よくわからない職業」のひとつだと思います。
この本では、いわゆる「音楽エリート」ではなかった佐渡裕さんが、「指揮者」をめざすようになったきっかけや、「指揮」をさせてもらえるようになるまでの苦労、そして、小澤征爾バーンスタインという両巨匠との出会いなどが語られているのですが、とにかく読むと元気が出てくる本なんですよ、音楽にはほとんど縁がない、この僕でさえ。
なかでも、若いころにコンクールで優勝した経歴もなく、有名音大を出たわけでもない佐渡さんを見出し、引き立ててくれた小澤・バーンスタイン両巨匠についてのさまざまなエピソードは、この本のなかでも大きな「読みどころ」です。

 タングルウッドでは、アメリカ人のオーケストラを前にレッスンを受けるため、日本語はほとんど通じない。僕は、指揮をすることよりもむしろ、英語を話すことで頭がいっぱいになっていた。
 ある日、バーンスタインが、朝からレッスンを見に来たときのことである。僕の所へやって来て、「ナーヴァスか?」と聞いた。オーケストラはチューニングをしながら、僕が指揮台に立つのを待っていた。返答に困っていると、バーンスタインが、「よし、オレと相撲をとろう」と言い出し、僕の前で四股を踏み出したのである。僕も、すぐに四股を踏んだ。オーケストラのメンバーには、僕たち二人がいったい何を始めたのか見当もつかなかっただろう。チューニングを止めて注目していた。
 僕とバーンスタインは、相撲の仕切りをして睨み合った。バーンスタインは、「体には触るな。オレの目だけ見て勝負しろ」と、さらに厳しい目つきで睨んできた。僕も、真剣に相手を倒すつもりで睨み返した。
 しばらく睨み合っていると、バーンスタインが突然、「よし、レッツ・ゴー! ユタカ、音楽のことだけを考えろ」と言った。
 そのとき、僕はハッと我に返った。僕は、言葉を話すことにとらわれ、指揮をする喜び、音楽をする喜びを感じようとしていなかったことに気がついたのである。その後の練習では、音楽のことだけを考え、指揮棒を振ることができた。おかげで、それまでにない素晴らしい出来ばえだった。
 ステージから降りる僕に、バーンスタインは、とても良かったという意味でこう言った。
「オレと結婚するか?」
(困ったな、オレはちゃうんやけど!)

「世界のオザワ」も「世界のバーンスタイン」も、本当に「ちょっと普通じゃない人」なんだけど、すごくチャーミングな人、なんですよね。
そして、「音楽」と「音楽を愛する人たち」を、すごく大切にしているのです。

ちなみにこの本、「(クラシック音楽の世界では)雑兵のひとりとしてスタートした佐渡裕という若者が、たぐいまれなる行動力と努力、そして素晴らしい人たちとの出会いによって、自分の運命を切り開き、彼のスタート地点からは絶対に不可能であったはずの『世界的指揮者』にのぼりつめていく、傑作『成りあがり小説』」としても読むことができますし、音楽に興味が無い人にとっても、まちがいなく「面白い」と思います。
逆に、佐渡さんのこんな破天荒なキャリアを見せつけられると、「音楽エリート」たちは素直に愉しめないかもしれません。

 バーンスタインが亡くなってから、こんな話が僕の耳に届いた。ウィーンのツアーを終えてアメリカに帰ったバーンスタインは、こんなふうに僕のことを言っていたという。
「オレはジャガイモを見つけた。まだ泥がいっぱいついていて、すごく丁寧に泥を落とさなければならない。でも、泥を落としたときには、みんなの大事な食べ物になる」と。

もし、バーンスタイン小澤征爾に出会えなかったら、佐渡さんは、「図体がでかくて元気がいいだけの、邪道の指揮者」として終わっていた可能性もあるでしょう。
あるいは、この世界には「出会いに恵まれなかった、佐渡裕になりそこねた男」がいるのかもしれません。
佐渡さんが自ら呼び込んだ「運」と同時に、人の「縁」というものについても、考えさせられる本です。
書かれたのは15年前だけど、いま読んでも、まったく「古さ」は感じません。

僕も久しぶりに、クラシックのコンサートに行ってみたくなりました。
息子がもう少し大きくなったら、佐渡さんが振るオーケストラを、家族で聴きにいきたいなあ。

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