琥珀色の戯言

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悪人 ☆☆☆


映画『悪人』オフィシャルサイト

あらすじ: 若い女性保険外交員の殺人事件。ある金持ちの大学生に疑いがかけられるが、捜査を進めるうちに土木作業員、清水祐一(妻夫木聡)が真犯人として浮上してくる。しかし、祐一はたまたま出会った光代(深津絵里)を車に乗せ、警察の目から逃れるように転々とする。そして、次第に二人は強く惹(ひ)かれ合うようになり……。

原作(小説版)の『悪人』の感想はこちらです。


2010年16本目の劇場鑑賞作品。祝日の17時からの回で、観客は70人程度。
舞台となったのが同じ九州北部ということもあり、かなりの賑わいでした。
(『海猿3D』は、僕がよく行くシネコンでも珍しい『ソールドアウト』になっていて驚きましたが)

この映画、深津絵里さんが「モントリオール世界映画祭」で最優秀女優賞を受賞されたこともあり、かなり話題になっています。
非常に丁寧につくられた、良い映画だと僕も思うのですが、率直なところ、僕自身は、あまり共感できなかったんですよね。
この映画に個人的なサブタイトルをつけるならば、「自己中男と無防備女」だな、とか、つい考えながら観ていました。
フラガール』の李相日監督の作品ということで期待していたのですが、どうも、僕には合わなかったみたい。

フラガール』では「ベタな泣かせの演出」が、かえって作品世界を魅力的にしていたのですが、この『悪人』でも、制作側が「どうです? 祐一は本当は『悪人』じゃないでしょう?」ってアピールしまくってきます。
でも、そうやって「本当は悪人じゃないでしょう?」って言われれば言われるほど、僕は「いや、十分悪人だろ、そもそも女を見る目がないし、セックス猿だし、いざとなったら自首する勇気もなく、会ったばかりの勘違い女を巻き込んで逃避行……人間性はともかく、これだけ悪いことをすれば『悪人』だろ……」とか言い返したくなっちゃうんですよほんと。
そりゃあ、この映画で描かれているような「田舎や地方都市での閉塞感」や「どこにも行けない、何もできないまま自分が年をとっていってしまうことへの恐怖感」みたいなのは僕にもあります。でも、そういうのを自覚しているからこそ、この映画を観ると「だからちょっと酷いことをしてもしょうがないよね。『環境が悪い』から」と言われているようで、けっこう嫌な感じもするのです。
それでも、僕たちは「出会い系」は利用しないし、ウザい女を拾ってドライブになんか行かない。そして、寂しいからといって、セックスの快楽と吊り橋効果を「真実の愛」だと勘違いしたりなんかしない。

この映画のなかで、いちばん印象に残ったのは、賞をもらった深津絵里さんではなくて、被害者の保険外交員役の満島ひかりさんでした。
最近の「悪役」としての満島さんの仕事っぷりは、ほんとうにすごい。
うわーこんな女、いるいる……と納得してしまうし、正直、「こいつなら、酷い目に遭わされてもしょうがないんじゃないか……」とも感じました。
あの場面でのキレっぷりは、さすがに祐一もかわいそうだった。
とはいえ、放っておけば、よかったのにねえ。
そして、満島さんの演技があまりにもすごくて、被害者が観客にとっての「憎まれ役」になってしまった面もあったのではないかなあ。
父親との「再会」シーンのわざとらしさは、観客があの被害者の女の子に感情移入するための付け足し感が強かったから、なのかもしれません。
深津さんの凄さは、演技そのものよりも、あの「年齢相応メイク」を受け入れたところにあったような気もします。


僕には、光代がなんであんなに祐一を好きになったのか、サッパリわからなかったんですよ、最後まで。
やっぱり、「車の運転とセックスだけは上手い」から?
昔、中島らもさんが書いていた「女にとっての男は、『愛を引っかけるための釘』みたいなものだ」って言葉を思い出します。

でもさ、結局のところ、祐一、佳乃、増尾っていうのは、「悪人」っていうより、「バカ」だよね。
それも、「(もちろん僕も含めて)どこにでもいるようなバカ」。
そういう人たちが、それぞれ「ちょっとずつ、やりすぎてしまって」悲劇が起こった。
愚かであることは、悲しむべきことだけど、それは「悪」なのか?
それでも、愚かであることを、「悪いことをすること」の免罪符にするのは、卑怯だと思う。

僕はこの映画を観て「泣ける」ほどの感情移入はできませんでした。
祐一の運転に「あんな迷惑運転するなよ!」とか、警察も大変だよなあ、とか、そんなことばかりが頭に浮かんできたのです。

僕は、こんな「純愛ごっこ」なんて認めたくない。

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