琥珀色の戯言

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慶應幼稚舎 ☆☆☆☆


慶應幼稚舎 (幻冬舎新書)

慶應幼稚舎 (幻冬舎新書)

内容紹介
東大に入るより難しい!?
お受験界の最高峰、その知られざる実態!
カネとコネの噂が絶えない慶應義塾幼稚舎。だが、その実態は意外に知られていない。初年度納付金は最低で約150万円。縁故入学は多くても4人に1人。K組には慶應ファミリーの子、E組とI組にはサラリーマン家庭の子、O組には開業医の子を多く振り分ける驚きのクラス編制ーー。お受験教室の運営を通じて同校を知り尽くした著者が、その教育理念、入学試験、学費、進路等を徹底分析。「日本一の小学校」の成り立ちから教育レベルに至るまでを詳らかにした一冊。

「日本一のブランド小学校というのは、どんなところなのか?」
そんな興味本位で購入。
まあ、僕自身は、この本を読むまで、「慶應幼稚舎」は、幼稚園だと思っていたくらいの「お受験オンチ」だったのですけど。

僕がイメージしている「ブランド小学校」というのは、もっと徹底的なエリート教育というか、「小学校の頃から、東大に入れるためにみっちり勉強漬けにする」というようなものでした。
ところが、この「慶應幼稚舎」は、福澤諭吉の「先ず獣身を成して後人心を養え」という方針に沿って、体力づくりや「遊び」を中心とした小学校なのだそうです。
卒業までの唯一のノルマは、「1kmの遠泳ができるようになること」。
学業的なノルマは、一切ありません。
もちろん、そのことが、途中で受験をくぐりぬけて慶應に入ってきた生徒たちとの「学力格差」を生むことになりますし、また、6年間変わらないクラス編成(6年間、ずっと同じ先生が担任で、クラスメイトも同じになるわけです)からは、生涯の「人脈」を得ることができる一方で、エスカレーター式に慶應大学まで行けてしまうため、「競争心が芽生えず、社会人になってから上昇志向に欠けるタイプが多い」とも著者は書いています。

 慶應幼稚舎の(受験の)「行動観察」の試験で評価されるのは、まわりの子どもたちと意見の対立を起こさないように気配りをするような、大人びたバランス感覚をもっているということではない。まわりを気にせず、自分の意見や思ったことを主張し、行動できるという点こそ重要なのだ。
 もちろん、自己主張ばかり強くてケンカをするような子どもは論外だが、実際に慶應幼稚舎に合格した子どもを見ていると、(とくに男子には)多かれ少なかれ「KY(空気が読めない)な子」というイメージが共通している。

著者が紹介している「慶應幼稚舎」は、「いい大学に入り、いい会社に就職するための近道」ではなく、「子どもをのびのびと遊ばせ、個性を伸ばそうとしている」ように見えます。
まあ、現実には、慶應幼稚舎には入れれば、よっぽど酷いドロップアウトをしないかぎり、「いい大学に入れるし、いい会社に就職できる」のも事実なのですが。

親としては、「こういう環境で、自分の子どもの個性を伸ばしてみたい」という気持ちもわかるんですよね、やっぱり。
いまの公立小学校の「難しさ」も、よく耳にしますし。
「さすがに慶應幼稚舎は無理でも……」と、「お受験」に興味が無かった僕も、この新書を読みながら少しは考えずにはいられませんでした。
「子どもには自分のやりたいことを自分で決めて、それをやれる人間になってほしい」と思うけれど、そういう人間になるためには、ある程度の「教育」は必要不可欠です。
それをいつから始めるかというのに「正解」は無いのでしょうけど、「有名私立小学校に行きたい!」って自発的に受験したがる幼稚園児というのはいないでしょうから、「親の意向」の影響はかなり大きいはず。

「お受験」には悪いイメージばかりがつきまといますが、「では、慶應幼稚舎とは、どんな学校で、どんな教育が行われているのか?」を知っている人は、ほとんどいないと思います。


「あそこは金持ちが行くところだ」
「嫌がる子どもを無理やり勉強漬けにして、親のプライドを満足させようとしている」
「ひ弱なエリートしか育たない」


僕もそんなふうに思っていたんですよ。先入観だけで。
でも、この本を読んでみて、「こういう学校じゃないと、できない教育もあるのかな」と感じたのは事実です。
むしろ、「僕たちが『普通』だと思っている小学校」のほうが、さまざまなプレッシャーにさらされて、「普通」であることを許されていないのかもしれません。


あと、この新書を読んで、僕ももう一度福澤諭吉について勉強してみようと思いました。
僕は慶應なんて縁もゆかりも無い地方の出身なのですが、福澤諭吉という人の考えかたには、今だからこそ、学ぶべきことが多いような気がします。
著者は、福澤諭吉の有名な言葉が、大部分の日本人に「誤解」されていることを指摘しています。

 幼稚舎では2008年度入試から、願書内容が変わった。それ以前は、志望理由や志願者の様子などを書く「自由記入欄」だけだったが、それに加えて、保護者の福澤諭吉に関する考えを記入する欄が追加された。2008年度は「福澤諭吉の教育思想」についてだった。その年、保護者の書いた下書きを添削してみると、「天は人の上に人を造らず」の一説を引いて「平等で素晴らしい」と書く人がかなりいたが、その解釈はかなり浅いものばかりだった。
 人は生まれながらに平等であることに違いはない。だが、現実には立派な人もいるし、立派でない人もいる。金持ちもいれば金持ちでない人もいる。何が違うかといえば、学問をしたかどうかだ、と諭吉は書いている。平等だからこそ、それぞれの人が努力して学んでいけば、その結果として地位や身分の差も生まれてくる。いわゆる「機会平等に基づいた競争社会」こそが、福澤諭吉の思想の本質だと言えるだろう。ちなみに、経済における「競争(competition)」という言葉は、諭吉が考案した翻訳語だ。

福澤諭吉は、けっして、「博愛主義的な『平等』を主張していた」わけではないのです。
「学問」だけで人間の価値を決めるのが、いまの時代において「正しい」かどうかはさておき、福澤諭吉は、「努力の結果としての格差」を否定する人ではありませんでした。
そして、あの身分制度の影響が残っていた時代に、「機会平等」を訴えることは、かなりの「冒険」だったはずです。
これを読むと、あの小泉純一郎元総理が慶應大学出身だったことを思い出さずにはいられません。

にもかかわらず、僕たちは、この有名な言葉を、口当たりの良い「人はみんな(何もしなくても)平等なんだよ」と、あいだみつを風に解釈しつづけてきたんですよね。


僕にとっては、「慶應幼稚舎」の話以上に、「福澤諭吉の思想」のほうが、印象に残った新書でした。

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