琥珀色の戯言

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日中韓 歴史大論争 ☆☆☆☆


日中韓 歴史大論争 (文春新書)

日中韓 歴史大論争 (文春新書)

日本を襲い続ける「反日」の嵐。
靖国竹島、教科書、人権、五輪、軍拡、そして歴史認識―。
その真相に迫るべく、日本、中国、韓国を代表する論客が、ここに激突。
日中韓の本音が凝縮された一冊。


日中大論争1 靖国参拝の何が悪いというのだ(櫻井よしこ田久保忠衛vs.劉江永・歩平)(「政冷経熱」の日中関係靖国は日本人の心の問題 ほか)
日中大論争2 拡大膨張の覇権国家はどっちだ(櫻井よしこ田久保忠衛vs.劉江永・歩平)(節目の年の二〇〇六年;日中関係は変化したか ほか)
日中大論争3 人権弾圧か、治安維持か(櫻井よしこ田久保忠衛vs.劉江永・金燦栄)(悪夢か、悲願か;五輪開催への批判には ほか)
日韓大論争 竹島は絶対に我々の領土だ(櫻井よしこ田久保忠衛vs.趙甲濟・洪〓(えい))(「石島」は独島か;松島、竹島、ヤンコ島 ほか)
二〇一〇年の日中韓 尖閣漁船事件と日韓併合百年(櫻井よしこ田久保忠衛古田博司)(尖閣問題への理不尽な要求;政治が歴史を書き換える ほか)

靖国参拝や領土、歴史認識、人権問題など、日中・日韓両国間の最重要課題を、日中韓を代表する論客が徹底討論。脅威の核心に迫る。

この新書、読んでいると最初は腹が立ってくるんですよ。
どうして中国や韓国の「論客」たちは、自分たちの「主観」ばかりを主張してばかりいるのか?
一歩引いて客観的に資料を分析してみればわかることのはずなのに、なんで、それができないのか?

でも、終わりのほうまで読んでいくと、なんだかもう徒労感ばかりになってしまうのです。
要するに、人間っていうのは、「自分が認めたくない『不都合な事実』は、認めない」ものなのでしょうね。
それは、日本側にだって、そういう面はあるわけです。

「日中大論争1 靖国参拝の何が悪いというのだ」より。

櫻井:最初は日中戦争の犠牲者の数について。これは歴史の事実の中でも基礎中の基礎のひとつです。
 中国は東京裁判の当初、日中戦争で犠牲になった中国人の数は320万人であるとしていました。それがいつの間にか570万人に増えました。さらに国民党政府から中華人民共和国政府になると数字がとたんに増えて、2168万人というとんでもない数字になりました。最初の数字と比べると、7倍近くです。この2000万人強という数字がずいぶん長く、中国の公式の数字とされてきました。ところが1995年、江沢民総書記の時代になって突如、中国は3500万人という数字を言い出してきました。

歩平:戦争の犠牲者の数字についてですが、歴史の事実というのは孤立して存在するのではなく、それは感情というものに直接関係しているということを申し上げたいと思います。
 たとえば南京大虐殺の30万人という数字について、当然、根拠はありますが、これはたんに一人ひとりの犠牲者の数字を足していった結果の数字ではありません。被害者の気持ちを考慮する必要もあります。
 日本でも広島の原爆記念館に行くと、犠牲者の数は14万プラスマイナス1万人と表記しています。それを見て私は、あれだけ悲惨な被害を受けて、どうして確実な数字を追究しなかったのか、といった問いかけをしませんでした。一定の変動幅を持たせることはお互いに必要なことだと考えているからです。


櫻井:その対比はあきれてものが言えません。広島の数字は、被害にあった家を一軒一軒、亡くなった方を一人ひとり積み上げ、それでも不明だった人が約1万人いたというものです。それに比べて南京はどうですか。ひとつだけ指摘します。南京事件における30万人虐殺説の裏付けとなった資料を書いたティンパーリというジャーナリストがいます。このティンパーリという人物は国民党からお金をもらって反日宣伝を行っていたことを、当の国民党の国際宣伝処長であった曾虚白が書き残しています。
 そういった工作資金によってでっち上げらた数字を、被害者の気持ちを考慮した数字と称して日本に突きつけるのは、あまりにも客観性を欠き、不誠実の誹りを免れないのではありませんか。


歩:大切なのは、大虐殺という行為があったのか、なかったのかという認定です。日本では大虐殺があった、虐殺はあったが数は少なかった、虐殺などなかったという三つの意見があります。この事実を確定していくことがもっとも重要なことだと思います。

南京大虐殺」については、小林よしのりさんをはじめ、多くの人が検証していて、「30万人」はありえない、というのが日本での大勢になっているのですが、中国側の歩平さんは、「被害感情が強ければ、死者の数字を水増ししてもいいじゃないか」というようなことを平然と言い放っているのです。いや、「あったのか、なかったのか」を検証するのはたしかにもっとも重要だとは思うけど、それがどのくらいの犠牲者を出しているのかというのも、ものすごく重要なことですよね。

万事において、中国側の言い分というのはこんな感じで、「自分たちは被害者なのだから、でっち上げの証拠や嘘の数字を出すことも当然の権利なのだ」という意思が伝わってきます。
この歩さんが、そこらへんのオッサンではなくて、「中国社会科学院近代史研究所所長」なのですから、どんなに日本側が証拠を示して訂正を求めても、「ムダな努力」にしかならないでしょう。
相手は、もともと「歴史的な事実を検証する」つもりなんてなくて、「自分たちは被害者なんだ」って言いたいだけなのだから。


しかしながら、日本側が常に「正しい」かと言われると、悩ましいところもあるんですよね。

歩:東京裁判を認めないということにいたっては話になりません。それは田久保さん個人の意見でしかなく、歴史認識の議論上まったく無効です。
 A級戦犯を認めないと言っても、日本はサンフランシスコ講和条約で、明確に「日本は東京裁判を受け入れる」と表明しているではありませんか。それをなかったことにするというのでは、議論になりません。


田久保:これは国際法の専門家で東京裁判を研究されてきた佐藤和男青山学院大学名誉教授が明らかにされていますが、サンフランシスコ講和条約の該当部分である第11条は英文ではこう書かれています。
「Japan accepts the judgments of the international Military Tribunal……」
 つまり、日本は裁判そのものを受け入れたのではなく、判決(Judgment)を受け入れたにすぎないのです。当時、日本が独立を回復すると、刑の執行を勝手に停止して、戦犯を釈放してしまうのではないかということが言われていました。そこで、刑の執行をきちんとやらせるためにこの条項は設けられたのです。
 また、中華人民共和国サンフランシスコ講和条約に署名していませんから、この条約にしたがているとかいないとか、そういうことを言う権限はないことも指摘しておきたいと思います。

 これも僕は以前、小林よしのりさんの著書で同じ話を読んだことがあるのですが、「判決は受け入れたけれど、裁判そのものは受け入れていない」というのが、「他国に伝わる論理」なのかどうか、ものすごく疑問です。もちろん、裁判において、「こんないいかげんな裁判で裁かれるのは納得できないけれど、判決には従わざるをえない」という被告はいるでしょうし、そう主張するのは本人の自由です。
 でも、内心の問題はともかく、判決を受け入れるということそのものが、ひとつの「答え」だと判断されるのが、普通じゃないのかなあ。
 少なくとも、他人からはそう思われても仕方がないような気がします。

 竹島問題やチベット問題についても、韓国・中国の有識者との対談がなされているのですが、この本を読めば読むほど、「話し合えば、国と国とは歴史認識を共有し、理解しあえる」という幻想が消えていってしまいます。
 彼らは、「正しい歴史を知りたい」のではなくて、「国益につながるような歴史の解釈をしたい」だけなのです。
 いや、「彼ら」だけではなくて、日本だってそうなんですよ。
 ルワンダボスニアで起こっていたことを、多くの日本人は知らない。
 それは、「自分たちには関係ない話」だから。

 本書は、21世紀の日本に襲いかかってきた「反日」をめぐる討論の記録である。
 日本で2001年に小泉純一郎氏が首相に就任すると、首相の靖国神社参拝に対して中国から批判の声が出始めた。また、時を同じくするように、日韓間では竹島の領有権をめぐる問題が勃発した。各々の詳しい議論は、本編の討議に譲るが、日中・日韓の間に、埋めがたい認識の溝があることは明らかだ。
 この間、日本政府は中・韓両国との間で、「歴史認識」をめぐる共同研究を開始した。数年に及んだ共同研究は終了し、報告書が作成されはしたが、それは日本と中国が、また日本と韓国が、各々の自説を書き記す両論併記で終わった。
 かようにも、歴史認識を共有することは難しい。いや、それは不可能だとさえいえる。しかし、ここで問題なのは、その本来的に不可能な歴史認識の共有を、日本政府は可能だと勘違いしていることではないだろうか。

 この新書を読むと、「はじめに」で櫻井よしこさんが書かれているこの文章の意味がよくわかります。
 でも、僕自身にも「話せばわかってくれるんじゃないか」という希望があったし、今もそれを捨てきれない面はあるんですよ。
 それでも、現実的には「歴史認識の共有は不可能である」という前提のもとで外交を行っていかなければならないし、そのことを、個々の日本人も、(いたずらに隣国への敵愾心を煽るのではなく、人間というのはそういうものだ、という理解のもとで)受け入れていかざるをえないのでしょう。

 しかしまあ、とにかく気が滅入る「論争」ではありますねこれは……

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