琥珀色の戯言

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アイルトン・セナ 〜音速の彼方へ ☆☆☆☆☆


参考リンク:『アイルトン・セナ 〜音速の彼方へ』公式サイト

解説: 1994年にレース中の事故で他界したF1ドライバーアイルトン・セナの実像に迫るドキュメンタリー。天性のドライビング・テクニックと甘いマスクでファンを魅了し、その裏に秘めた闘志で数々の名勝負を繰り広げ「音速の貴公子」の愛称で親しまれた。その栄光の軌跡と知られざる葛藤(かっとう)を、彼自身へのインタビューやレース関係者、家族の証言を基に浮き彫りにする。ふんだんに盛り込まれた大迫力のレース映像や、貴重なプライベート映像の数々は必見。


あらすじ: 1960年、サンパウロに生まれたアイルトン・セナ1984年にF1デビューを果たす。ロータスマクラーレン、ウィリアムズと名門チームを渡り歩いた彼は、3度もワールドチャンピオンの座に輝きF1界を席巻。その華々しい活躍の陰で、アラン・プロストとの確執などさまざまな葛藤(かっとう)の日々が、彼自身やレース関係者、家族の証言から明かされていく。

2010年20本目の劇場鑑賞作品。
月曜日の20時半からのレイトショーで観賞しました。
観客は、20代後半〜40歳前半の5人。男のみ。
あの頃セナの追っかけをやってたのは女の子ばっかりだったのに、こうして16年経って、「セナを偲ぶ会」に参加するのは男どもだけ、というのは、なんだかちょっと寂しい気分ではありますね。
まあ、ひとつの映画館の観客がそうだった、というだけで、統計学的有意でもなんでもないのですけど。

この映画、当初は観賞予定ではなかったのですが、月曜日の夜に突然時間ができて、しかも、映画館の他のラインナップにほとんど興味が湧かなかったゆえの、消極的な選択でした。
そもそも、僕はセナがあまり好きじゃないというか、むしろ、嫌いで、「プロスト派」だったんですよね。
1988年、セナはマクラーレン・ホンダに移籍し、アラン・プロストと極めて異例の「ダブル・トップドライバー」として、F1界に君臨します。
1988年に、セナは劇的なレースで初のワールドチャンピオンに輝きましたが、翌1989年は、シケインプロスト接触し、「シケイン不通過」の疑惑の判定で、プロストがワールドチャンピオンに。
セナは「危険なドライバー」のレッテルを貼られ、半年間のドライバーズライセンス停止という屈辱的な処分が下されます。
そして、翌1990年は、マクラーレンに残ったセナと、フェラーリに移籍したプロストがしのぎを削る年になりました。

この映画のなかでは、「皮肉にも、この二人の相容れないライバルの周囲をも巻き込んだ壮絶な闘いが、F1人気を最高に盛り上げた」と言われていましたが、どんな素晴らしいレースよりも、この二人の「天才ドライバー(というか、天才・セナと秀才の政治家・プロスト)どうしの敵愾心をむき出しにした、泥沼の緊張感あふれる勝負」は、不謹慎ながらも、F1史上最高にスキャンダラスで、ドラマティックな時間だったと思います。
1990年の春に大学生になった僕は、ひとり暮らしをはじめ、好き放題に夜中のF1中継を観ることができるようになりました。
そして、「日曜日に夜更かししてF1を観る」というのは、当時の僕の最高の愉しみのひとつでもあったのです。
思えば、良い時代にリアルタイムでF1を観ることができたんだよなあ。

僕は当時、アイルトン・セナが大嫌いでした。
巨人・ジャニーズ・NEC(当時の日本マイコン界は、NECの天下だった)と、「女の子にキャーキャー言われる(NECは別か)、人気があって強いものが妬ましくて、セナもその一派だとみなしていたのです。
本当に、当時のセナとF1の人気は凄かった。
週刊少年ジャンプ』という超人気漫画週刊誌も、全力でバックアップしていましたし。
当時、徳弘正也先生のマンガ(たぶん『ジャングルの王者ターちゃん』で、「ものすごく視力が高いキャラクター」が出てきて、その証拠に、彼がマクラーレンのボディに貼られている、極小の『ジャンプ』のステッカーを見つける、というギャグがあったのを今でも覚えています。
あの頃は、そんな言われないと誰も気づかないような小さな小さなステッカー一枚を貼るために、マクラーレンなら、何千万円ものスポンサー料が必要だったのです(金額は推定)。

「なんだよ、セナなんて、単に運転がものすごくうまいだけじゃん」
そんなふうにひねくれていたあの頃の僕のことを、この映画を観ながら、ずっと思い出さずにはいられませんでした。


この映画、1984年、トールマンでのデビューから、1994年、ウイリアムズでの事故死までのセナのF1ドライバーとしての道のりを、1年ずつダイジェストで見せて行く形式になっています(見せ場が少ない年は、ほとんどスルーされていますが)。
僕はこの映画の話を聞いたとき、「アイルトン・セナを神格化したり、妙に『人間くささ』をアピールしたりするような映画なんじゃないか」と危惧していたのですが、観てみると、むしろ「こんなに淡々とした流れでいいのか?もっと泣かせるエピソードとか入れたほうがウケるんじゃない?」と心配したくなるくらいの、「ドキュメンタリー映画」になっています。
「サーキットの政治屋」として、ひたすら悪役にされたプロストや、「セナはベネトンがレギュレーション違反をしていることを確信していた」なんて名指しする、「偏り」も一部にはみられるんですけど、全体としては、許容範囲でしょう。

しかし、こうしてあらためてセナのレースを観て、映画館の大画面・大音響で、オンボードカメラの映像を体験してみると、「やっぱりF1ドライバーは、セナはすごいな」と思い知らされます。モナコなんて、あんな普通に運転しても危なさそうなところでレースするなんて、ドライバー視点でみてみると、なおさら信じられません。
この映画、ストーリーそのものは、「テレビで放送されているドキュメンタリーに比べて、とくに目新しいところはない」と思います。
でも、映画館で観ることによる「レース映像の力」は素晴らしかった。


1984年トールマンからのデビューの年、トールマンという非力なマシンで、雨のモナコを快走し、プロストを追い詰めたレース。
(雨のレースというのは、マシン性能の差が縮まって、ドライバーの腕が反映されやすいそうです。中嶋悟談)


1988年マクラーレンでの最初の年、ワールドチャンピオンがかかった日本GPで、スタートでエンジンがかからずに出遅れたものの、後ろのポジションから猛追して奇跡の逆転優勝&ワールドチャンピオンに輝いたレース。


1989年同じく日本GP、シケインプロスト接触し、コースアウトしたものの、なんとかレースに復帰。ピットでフロントウイングなどを交換したにもかかわらず、そのあいだについたナニーニとの絶望的な差を取り戻して先頭でゴールに入ったレース(ただし、このレースは結局、シケイン不通過で失格)。


1991年ブラジルで、母国GP初優勝のレース。このときは、「ギアボックスが壊れて、6速しか使えないままゴールした」というのが伝説になりました。僕はその話を聞いて、「そんなことができるわけないだろ、この嘘つき。何が神のおかげだ!」と感じたのを今でもなんとなく覚えています。それでも、チェッカーを受けたときのあのセナの咆哮は、いまでも忘れられません。


アイルトン・セナというドライバーの最大の魅力は、やっぱり、その「速さ」なんですよね。
そして、その「速さ」が生みだす、信じられない、奇跡的なレースの数々。
↑で紹介した4つのレース、普通だったら、絶対に勝てるような展開じゃないんです。
皐月賞で出遅れて落馬寸前だったにもかかわらず、最後はアッサリまくって勝ったディープインパクトのレースのような、ありえなさ。
こうしてみると、「レーシングドライバーとしてのアイルトン・セナ」のすごさは、当時アンチ・セナだった僕にも伝わっていて、だからこそ、そのあまりの強さに、反感を抱かずにはいられなかったのかもしれません。
まあ、そんな強さと同時に、なんでもないところで突然クラッシュしてしまうような脆さも併せ持っていたのが、セナの魅力だったのでしょうけど。

当時のプロストの立場になって考えると、こんな「怪物ドライバー」と同じ条件で勝負しなければならないというのは、かなり絶望的な気分だったのではないでしょうか。
政治屋」といわれたプロストですが、相手がセナでさえなければ、サーキットの中だけで、十分戦うことができたでしょうし、その自信もあったはずなのに。

この映画のなかで、プロストのこんな言葉が紹介されています。

(1988年のモナコグランプリで、セナが独走しながらゴール直前でコースアウトし、リタイアしたレースについて)
A.プロスト「彼は大量リードで、(チームメイトの)僕に屈辱を与えようとしたんだ。だが、それが彼の弱さだ」

プロストは、セナの「精神的な未熟さ」を攻めましたし、逆に、「そこしか弱点がない」ことを、同じ「頂点にいるドライバー」として理解していたのでしょう。
結局のところ、「セナというレーシング・ドライバーの心のうちを、いちばん想像することができたのは、プロストというもうひとりのドライバー」だったのかもしれませんね。

セナとプロスト、同じマクラーレン時代、そして、袂を分かってからもプロストの引退までは公的には不仲だったこのふたりですが、1994年のセナの葬儀の際に、セナの棺を抱えているプロストの姿が、世界中に配信されました。
ふたりは「仲良し」じゃなかったけれど、お互いのことを「ライバルとして評価し、そのメンタリティを理解していた」のは間違いないでしょう。
プロストは、現在、アイルトン・セナ財団の管財人となっているそうです。

この映画では、セナが亡くなったサンマリノGPでのフジテレビの映像が使われています。
今宮さんや川井さん、三宅アナが「セナが亡くなりました……」と涙を流しながら絶句するシーン。
そして、「今日のセナは、コックピットに入るのをためらっているようにみえました」と呟くシーン。
川井さんが、「今はただ、セナの心の冥福を……祈るしか……」と言葉に詰まるシーン。
僕はこれらのシーンをリアルタイムで観ていましたし、そのあと、「F1サンマリノGP」が続けられたことに、すごく腹が立ったのを覚えています。

でも、今これを観直してみると、三人は、セナの悲劇を悲しみながらも、「なぜこんな危険なレースを行ったんだ!」「なぜセナはこのレースに参加したんだ!」というような言葉を発することはなかったんですよね。
いま、この映画を観て、あらためて感じたのだけど、たぶん、F1をずっと観てきたこの3人は、「F1は危険なものである。だからこそ、そこに挑むドライバーたちは輝くのだ」ということ、そして、「そこでコックピットから逃げないからこそ、アイルトン・セナだったのだ」ということを、僕たちに伝えたかったのではないかなあ。


セナは、若くして死んでしまって、不幸だったのだろうか?
もうすっかり、セナより年を重ねてしまった僕は、たまにそんなことを考えるのです。
「カートに乗っている頃が、いちばん楽しかった」と語るセナだけれど、たぶん、彼は、「自分がやるべきことをやり続けた人」なのでしょう。

セナのことを書きはじめると、夜が明けてしまいそうなのだけれど、
最後に、お父さんが語っていた、子供のころのセナのエピソードを御紹介して終わります。

アイルトンは、授業中もとても集中していたんだ。
なぜなら、授業中にしっかり勉強しておくことで、家での勉強が少なくて済み、カートの練習の時間をより多くとることができるから。

僕はたぶん、セナほど長く生きてはいないんじゃないかと思います。


アイルトン・セナ 〜音速の彼方へ (字幕版)

アイルトン・セナ 〜音速の彼方へ (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video

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