琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

どうして羽生さんだけが、そんなに強いんですか? ☆☆☆☆


内容紹介
問題が難解なほど、 勝負が長引くほど、 この人は嬉しそうである。 激化する競争の渦中で語られる棋士たちの言葉。 『シリコンバレーから将棋を観る』著者、待望の最新刊!! 「いつも思うのだが、羽生の手にかかると、森羅万象、複雑な事象が、 じつにシンプルなものに見えてくるから不思議である。」(本文より) 勝負師、研究者、芸術家の貌を併せ持ち、40歳の今も最高峰に立つ、「考える人」。 その真の強さとはいったい何か? 10篇の「観賞」と「対話」が織り成す渾身の羽生善治論。

読みながら、僕がもっと強い将棋指しだったら、この本をより一層深く理解できるのになあ、と、少し残念になりました。
コンピューターゲームにハマるまでは、相手がいなくてもひとりで将棋盤に向かっていた僕なのですが、最近はすっかり将棋の世界にも疎くなってしまって。
それでも、棋士たちの物語を読むのはいまでも大好きなんですよね。

僕には、この本で紹介されている対局の内容の詳細は理解できませんし、ここに書いてあるとおりに駒を並べて研究するほどマメでもありません。
しかしながら、この本の素晴らしさは、凡百の「わかりやすいビジネス書」のように、将棋の世界を一般の人にわかるように簡単に言語化するのではなく、ちゃんと棋譜を乗せ、徹底的に「将棋の話」をしようとしていることなんですよね。
「一般化」せず、いまの将棋の世界の詳細を語ることによって、誠実に「知の世界で頂点を極めることの厳しさ」を描こうとしているのです。
将棋のことが全くわからない、駒の動かしかたも知らない、という人には、さすがについていけないだろうし、読んでも楽しめないと思いますが、ほんの少し「将棋」というゲーム(と言っていいのかどうか、この本を読むと悩んでしまいますが)のルールについて知っていれば、この本で紹介されている棋譜がわからなくても、「いま、将棋の世界で頂点を極めている男」羽生善治と、彼を追うプロ棋士たち、さらに、彼らを追いかける「コンピューター将棋」の闘いの凄まじさは理解できるはずです。

 そう、将棋の世界、棋士たちの世界の全体を愛してやまない私のような者にとっては、「どうして羽生さんだけが、そんなに強いんですか?」という問いかけは「残酷な問い」なのだ。羽生一人を肯定し、他をばっさりと切り捨てる響きが耳につらいのである。
 しかし、綺羅星のごとくプロ棋士たちがひしめき合う現代将棋の世界で、羽生善治だけがただ一人、圧倒的な実績を残しているのも事実である。
 だから人々は「どうして羽生さんだけが、そんなに強いんですか?」と問うのだ。詳しいことはなど知らないほうが、かえって本質を射抜くこともある。将棋の世界を一歩外に出れば、この「残酷な問い」こそが「自然な問い」であり、そしてそれは、答えに窮する難問中の難問でもあるのだ。

 昔、「兄貴は頭が悪いから東大に行った」という、有名な棋士の発言を聞いたことがあります。
 プロ棋士というのは、もともと「人間コンピューター」みたいなもので、子どもの頃読んだ「将棋入門」という本で、彼らは目の前に盤がなくても、頭の中の将棋盤に駒を並べて、電話で話しながら将棋を指せる、というのを読んで驚きました。
 そんなプロ棋士たちの世界も「コンピューター」の導入によって、一気にその進化が加速しているのです。
 プロ棋士といえば、それこそ伝説の坂田三吉のような無頼の勝負師というイメージがありますが、最近の棋士たちは、仲間うちで「研究会」をつくって、過去の棋譜の検討をし、「こういう場面では、この手が良いのではないか?」というシミュレーションを無数に繰り返していくのだそうです。
 インターネットの普及によって、これまではひと手間かけなければ入手できなかった過去の棋譜も、簡単に参照できるようになり、将棋というゲームについての「研究」は、大幅に進化しているのです。
 「勉強するのが簡便になった」というのは、この本でも書かれている「高速道路はできたけれど、そのことによって目的地の手前では、若手の大渋滞が起こるようになった」ということにつながってきます。

 羽生さんは、まさに「圧倒的な成績を残してきた棋士」なのですが、その羽生さんでも、「勝率10割」にはほど遠いのが将棋の世界。
 羽生さんですら、生涯通算勝率は、70%台前半です(って、相手はほとんどが超一流棋士ばかりですから、これはすごい勝率なんですけどね)。

「将棋と人生は別物。『遊びは芸の肥やし』は遊ぶための口実に過ぎない。『将棋は技術』と割り切っている。」

という羽生さんなのですが、羽生さんの凄さというのは、「ただ勝てばいい」だけではないところです。
この本のなかで、著者の梅田望夫さんは、羽生さんが勝った第57期王座戦第2局・山崎隆之さんとの対局で、まだ勝負が見えていない(と羽生さんは読んでいた)状況で、あっさり投了してしまった山崎さんに対する羽生さんの態度を、こんなふうに書いておられます。

 山崎の投了の意思表示に対して、羽生は身体をびくんと震わせ、
「おっ」
 と声を上げた。突然の投了に心から驚いている様子だ。そしてすぐ山崎に向かって、この将棋は難解なまままだ続くはずであったろう、そして自分のほうの形勢が少し悪かったという意味のことを、かなり強い口調で指摘した。山崎もすぐさま言葉を返したが、羽生の口調と表情は厳しいままだった。
 数分後に関係者が大挙して入室してきたときには、穏やかないつもの羽生に戻っていたが、盤側で一部始終を観ていた私は、終局直後の羽生のあまりの険しさに圧倒される思いだった。羽生には勝利を喜ぶ、あるいは勝利に安堵するといった雰囲気は微塵もなく、がっかりしたように、いやもっと言えば、怒っているようにも見えたからだ。

羽生さんは「勝者」なのに。
しかもタイトル戦、自分からみれば、「少し悪い形勢」で。
もちろん、山崎さんは「ワザと負けた」わけではなくて、読み違いと残り時間の少なさ、そして、羽生さんからのプレッシャーによって、「自分の負け」を宣言したのですが、それでも、羽生さんは「ラッキー!」なんていう素振りはまったく見せませんでした。
自分が勝つことを喜ぶよりも、「もっと良い勝負になるはずだったのを、ぶち壊しにされた」ことに憤りを感じる棋士羽生善治
「技術者・芸術家としての棋士」というのは、本来そうであるべきでしょう。
でも、何の仕事でもそうだけれど、「勝たないと食っていけない」世界で、「勝敗よりも、素晴らしい棋譜を後世に遺したい」という姿勢を貫けるのは、ごく一部の選ばれた人間だけです。
山崎さんにとっては、負けるし怒られるしで、散々な対局だったでしょうね。

それにしても、この本を読んでいると、現代将棋の「進化」には驚かされるばかりです。

プロ棋士のひとり、行方尚史さんのお話。

 現代将棋は、ちょっと進み過ぎてしまって、もうおおらかに序盤を指せなくなってしまった。序盤の最新研究を知らないというだけで、土俵の外まで一気に持っていかれてしまう恐れがある。その恐れを少しでも少なくするために、研究しなければならない。そういうところで引けを取っては、経験や大局観を活かす局面に至らずに敗れてしまう可能性もあるからです。だから大局観で勝負できる局面に持ちこむために、最新研究をきちんとしておく。羽生さんは研究をそんなふうに位置付けているのではないでしょうか。

現代将棋は、まさに「研究の世界」なのです。
僕はこの本を読んではじめて知ったのですが、「先手後手のどちらが有利なのか?」とか「先手が角道をあけた(7六歩)あとに、後手は二手目に8四歩と指すのは不利ではないのか?」というところまで、「研究」は進んでいるのです。
終盤の「寄せ」ではもう差がつかなくなり、プロ棋士がコンピューターにたいして圧倒的なアドバンテージを持っているのは、「序盤〜中盤のオリジナリティ」。
僕がいっしょうけんめい将棋をやっていた時代(30年くらい前)は、「お約束」的に、序盤はお互いに矢倉や美濃囲いをつくっていたように見えていたのに、もはや、そんな悠長なことをやっていられる時代ではないんですね。

羽生さんが著者に語った「将棋の魅力」。

「日本にたくさんある伝統芸能、伝統文化のジャンルの中で、将棋はすごくユニークで特異な存在ではないかと思うんです。着物を着て対局している姿とか、対局場の部屋の雰囲気とかは、五十年前も今もほとんど変わっていないはずで、写真で見る限り、将棋の世界は何の変化もなく、時間が止まっているようにも感じられます。それで将棋の中身も全然変わっていないと思う人もかなりいるのですが、実際には、将棋の本質は大きく変化しました。盤上での技術的なところという意味です。
 盤上の技術は、それはもう、伝統的な観念とかそんなものを持っていたらどんどん乗り遅れるだけで、とにかく今あるもの、今使えるものを最大限に駆使して、その中でどういうふうに技術を進めていくかが、カギを握るようになっています。
 伝統と技術。こういう極端な両面を併せ持った世界って、たぶん他のどこを探してもないのではないだろうか。そのユニークさにこそ、将棋の魅力の本質があるのではないかと思うんです」

こういう世界で、「10年間、トップを維持する」というのは、ものすごいことですよね。
傍からみたら、「変わらず強い」だけでも、周囲が進化していくのですから、羽生さん自身も進化し続けていなければ、あっという間に取り残されてしまうはずです。

いやほんと、「知を極める」というのはどういうことか、真剣に考えさせてくれる面白い本でした。
ある程度は将棋に対する予備知識がないと、とっつきにくい本であることも事実ではありますが、棋譜は意識しないで「知の世界を極めようとする人々の物語」として読んでも、かなり楽しめると思いますよ。

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