今年も残り少なくなりました。
恒例の「今年僕が面白いと思った本ベスト10」です。
いちおう「ベスト10」ということで順位はつけていますが、ジャンルもまちまちですし、どれも「本当に多くの人に読んでみていただきたい本」です。
2010年に発売されたものではない本も含まれていますが、「このブログで2010年に紹介した本のなかで」ということで。
(ちなみに、このブログで2010年中(12/29まで)に感想を書いた本は、146冊。ちなみに去年は150冊、一昨年は186冊だったので、またちょっと減ってしまいました。
読んだのに感想を書いていない本もけっこうたくさんあり(今年は読んだ本をいちおう記録していたのですが、だいたい400冊くらいでした)、そのなかにもランク入りさせたい本もあったのですが、それらの本は、また来年感想を書ければと思っています。
まず、10位から6位まで。
<第10位>世界怪魚釣行記
- 作者: 武石憲貴
- 出版社/メーカー: 扶桑社
- 発売日: 2009/04/10
- メディア: 単行本
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この本、すごく写真が豊富で、しかも個々の写真(とくに「怪魚」の数々!)が、すごく魅力的なんですよ。
黄金のバラマンディ、白銀に輝くナイルパーチ、常軌を逸したデカさのプラークラベーン!さらに「外道の王様」ワニまで!
これらの魚を抱えて(まさに「抱えなければならない大きさ」なんです)みせる著者の歓喜の表情!サングラスをかけている写真がほとんどなので、目つきはわからないのですが、それでも、「とにかくこんな魚が釣れて幸せ!」というのが伝わってくるのです。
著者の武石さんは、この本によると、一年の半分を日本でバイト生活、残り半分を世界各地で珍魚・怪魚を求めての過ごす、という生活を送っておられるそうなのですが、なんだかすごく人生楽しそう。「こんな生活をしていて、老後はどうするんだ?」とか「魚を釣ることに、何か意味があるのか?」とか、最初は僕もそういう「常識」でみてしまっていたのですけど、読んでいくうちに、「でも、こうやって好きなことをやって、その日一日一日を過ごしていくのも、ひとつのすばらしい生き方なのかもしれないな、と思えてきました。
<第9位>仮想儀礼
- 作者: 篠田節子
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2008/12
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- 作者: 篠田節子
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2008/12
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この小説、読んでみるまで「新興宗教の闇を告発する作品」だと思っていたんですよ。
でも、読み進めていくうちに、とくに後半〜終盤では、書いている篠田さんも、自分が創造主であるはずの「桐生慧海の世界」に引きずりこまれかけているようにすら感じました。
「新興宗教」の恐ろしさ、禍々しさ、そして、バカバカしさ。
しかし、同時に、「それを信じないと生きていけない(あるいは、生きている意味を見出せない)人々」が存在し、それが「さほど反社会的なものではない場合」に、われわれは、それを全否定することができるのか?
<第8位>未来への周遊券
- 作者: 最相葉月,瀬名秀明
- 出版社/メーカー: ミシマ社
- 発売日: 2010/02/22
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地味なんですが、最相さん、瀬名さん、そして、この本をつくった人たちの「まごころ」と「科学の魅力をひとりでも多くの人に伝えたい」という願いがしっかり伝わってくる良書です。
最相さんの回より。
久しぶりにファラデーの『ロウソクの科学』を読み返していて、思い出した授業がある。高校時代、科学の教師がひとりひとりにロウソクを配り、観察記録を書くようにといった。私たちはいっせいにロウソクに火を灯し、溶けていくロウと揺れる炎に目を凝らした。
しばらくして、順番に発表することになった。ロウが芯を伝う様子を観察した者、液状の熱いロウが冷えて固まるまでを記録した者もいた。私の隣の生徒の番になり、緊張が高まった。ところが、彼女の発表を聞くうちにだんだん血の気が引いていった。彼女は最後までロウソクに火をつけることなく、配られたままの状態でロウソクを観察し、なでたり割ってみたりして、疑問に思ったことだけを書き記していた。
ロウソクの原料は何か。どんな手ざわりがして、どんなにおいがするか。そもそもなぜ火がつくのかという問いもあった。ロウソクとは火を灯すものと当たり前のように思っていた私は打ちのめされた。あれから彼女が科学の道に進んだとは聞かない。でも、たしかに彼女は科学の原点を私に教えてくれた。課題を与えてくれた教師もまた。
<第7位>キッドのもと
- 作者: 浅草キッド
- 出版社/メーカー: 学習研究社
- 発売日: 2010/09/08
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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このふたりって、たけしさんに憧れ、「一緒にお笑いをやる」という共通の目的がなければ、そんなに仲良くなる機会は無かったのではないかと思うのです。
でも、ふたりは、「戦友」として、お互いの個性の違いを認めながら、切磋琢磨し続けています。
僕は「浅草キッド」の漫才を、ずっと昔に何度か見たことがあるのだけれど、正直、あんまり記憶には残っていません。
そんな僕も、この本を読んでいると、ふたりの「漫才」を、いま、ちゃんと見たいと思うのです。
<第6位>結婚失格
- 作者: 枡野浩一
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2010/07/15
- メディア: 文庫
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速水のことを「誠実すぎる男」だったのだと言いきってしまえば、「理由」は明確になるのかもしれません。
たしかに、配偶者「にまで」日常生活の場で「自分でもわかっている非」を責められるのは、すごくつらいし、心が疲弊していきます。
しかしながら、二人がお互いのことを好きになり、尊敬しあった時期には、「自分の作品や行為を、歯に衣着せずに率直に評価してくれること」が、新鮮だったり、「この人は自分を高めてくれる」なんて感動したりするんですよね。もちろん、結婚してからも、そういう「率直さ」をキープし続けることを求める夫婦も少なくない。
結局、そこには「個々のケース」があるだけで、「普遍的な正解」なんて存在しません。
そして、個々のケースでの「より正解に近い答え」も、日々、移り変わっていくのです。
つきあいはじめの「正解」が、結婚後の「禁忌肢」になることもあります。
ほんと、読んでいて、「いたたまれない」。
続いて、1位〜5位です。
<第5位>ウェブで学ぶ ――オープンエデュケーションと知の革命
ウェブで学ぶ ――オープンエデュケーションと知の革命 (ちくま新書)
- 作者: 梅田望夫,飯吉透
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2010/09/08
- メディア: 新書
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少し前に、梅田望夫さんの「日本のWebは『残念』」という発言が一部で話題になり、梅田さんへの批判が多かったのですが、この新書を読んでみると、梅田さんがこんなことを言わずにはいられなかった理由の一端がわかります。
「残念」なのは、日本のWebそのものじゃなくて、Webの一部しか知らない(あるいは、知ろうとしない)のに、「Webとはこういうものだ」と訳知り顔に語っている「日本のWeb利用者」なんじゃないかな。
芸能ニュースや炎上騒ぎにばかり注目が集まり、ルーウィン教授の講義がタダで見られるという「自分を高めるための世界」が広がっているのに、「自分よりも劣った人間や失敗した人間を叩き、優越感を得るためのツール」として「利用」することしかできないのは、「残念」だよやっぱり。
<第4位>社長・溝畑宏の天国と地獄 〜大分トリニータの15年
- 作者: 木村元彦
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2010/05/25
- メディア: 単行本
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この本には、スポーツビジネスの「現実」が、イヤというほど繰り返し描かれています。
トリニータにおける、社長の主な仕事は「スポンサー集め」「カネ集め」。トリニータの創成期に、溝畑さんが朝日ソーラーの林社長にスポンサーになってくれるように頼む場面。
しかし、林は官僚が大嫌いであった。在日として生まれ、ケンカと極貧の中で揉まれ、厳しいビジネスの現場から叩き上げてきた男にすれば、吉良が紹介したいという東大法学部出身のキャリアなどは温室のボンであり、社会の機微も知らぬ若造にすぎなかった。
「国づくりの先導役として、この閉塞の極みであるシステムを作り上げた張本人であり、のみならず、それを温存し、そこに胡坐をかいている」。林は東大法科卒の官僚をそう見ていた。
この野郎、顔くらい見てろうかと思って林は出かけた。
大分の歓楽街、都町の料理屋の座敷で林は溝畑に会った。
杯を合わせると、開口一番言った。
「おう、おまえ、尻出せるか」。苦労知らずのプライドを砕いてやろうかと思っていた。しかし、溝畑は困った顔を見せなかった。
「はいっ、社長」
白く巨大な桃がケンカ武志の前に差し出された。溝畑にはある種の幼児性がある。オチンチンやウンコの話が好きでこういう座興が好きなのである。脱ぐことになんの抵抗もなかった。林が記憶するこのときの溝畑の自己紹介の言葉。
「社長、これが自分のお披露目です。自分を官僚もしくは選び抜かれた人のひとりと思われたら困ります。私は違います。ケツを出し切る男です。チンポも出します。人が言う恥ずかしいことも5分でできる男です」
尻にはすり傷があり、絆創膏が貼ってあった。
林はそこにタバコを押しつけた。
官僚は跳び上がった。
「何をするっちゃろかと思ったら、お前は面白か。吉良が紹介しようとしたのが分かったわ」
林が認めた。
溝畑は火傷した尻を押さえながら、涙を流した。
<第3位>1Q84 BOOK 3
- 作者: 村上春樹
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2010/04/16
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僕は『BOOK3』を読み終えて、「結局、天吾と青豆は、僕たちの『1Q84年』に絶望して出て行ったんだな……」と悲しくなりました。
彼らは、「それでも、2人で『1Q84年』で生きていく」のではなく、「まちがった世界を否定する」ことを選んだ。
それは、こんな時代に生きている人間にとっては、絶望感をあおるというか、「ここは嘘の世界で、ちゃんとした世界があるはず、という安易な逃げ道を提示する」危険があるのではないかとも思います。
僕たちの人生には、たぶん、「本物の世界への入口」なんて存在しない。でもね、実は、「出口」っていうのは、高速道路の片隅にあるんじゃなくて、青豆にとっての天吾、天吾にとっての青豆という「愛する人」そのものなのかもしれません。
「間違っている」のは、月が2つあることではなく、愛する人がいないこと。ただ、「愛こそがすべて」って言いきれるほど僕は若くもないし、物事をシンプルに割り切れない。
正直、この『1Q84』という作品は、僕にとっては、「牛河、もうちょっとどうにかならなかったのか……」というのが最も印象に残りました。
<第2位>毎月新聞
- 作者: 佐藤雅彦
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2009/09
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10年も前に書かれたものなのに、読んでいると、いままでの自分の視野の狭さ、頭の固さを痛感させられっぱなしです。
故郷で独り住まいをしている高齢の母親は、テレビの野球中継をとても楽しみにしています。「この松井って子はいいよねえ」と、目を細めながら応援しています。そして、好きな番組が終わると迷いもなくテレビを消すのです。たまたま帰郷していた僕は、そんな母親のあたり前の態度にハッとしてしまいました。『面白い番組を見る』――こんなあたり前のことが僕にはできなかったのです。
テレビを消した後、静けさが戻ったお茶の間で母親は家庭菜園の里芋の出来について楽しそうに僕に話し、それがひと通り終わると今度は愛用のCDラジカセを持ってきて、大好きな美空ひばりを、これまた楽しそうに歌うのでした。
僕はそれを聴きながら、母親はメディアなんて言葉は毛頭知らないだろうけど、僕なんかより、ずっといろんなメディアを正しく楽しんでいるなあと感心しました。そして目の前にある消えているテレビの画面を見つめ、先日のやつあたりを少し恥ずかしく思うのでした。
つまらない番組を見て、時間を無駄使いしたと思っても、それは自分の責任なのです。決してテレビの責任ではありません。リモコンにはチャンネルを選ぶボタンの他に「消す」ボタンもついています。
僕達は、当然テレビを楽しむ自由を持っていますが、それと同時にテレビを消す自由も持っているのです。テレビに「消す」ボタンがついているのは当然だと、僕はずっと思っていました。
逆に、ついてなかったら驚くでしょうけど。
でも、こうして考えてみると、たしかに、「テレビ番組の質の劣化」を嘆くのなら、「見なければいい」のですよね。
テレビというのは、「亀田兄弟やバラエティ番組をバカにしながらも見ている人たち」に支えられている。
僕らはいつも言っています。
「こんなくだらない番組ばっかり作って、テレビはダメになった」
本当にダメなのは、「テレビを消すことができない自分」なのに。
<第1位>偶然のチカラ
1位は、以前書いた感想をそのまま再掲させていただきます。
- 作者: 植島啓司
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2007/10/17
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内容紹介
ビジネスや恋愛、家族や友人など、人生のさまざまな側面で起こる多くの事柄。それらは偶然のようにもみえ、一方では運命とも思える。私たちには、さまざまな幸・不幸が降り掛かり、未来に何が起こるのかは誰にも分からない。
では、この不確実な現世において、幸せに生きるためにはどうすればよいのだろうか。ストレスなく、楽しく暮らすためには、何が必要なのだろう?未来が見えないとき、私たちはいったいどうしたらよいのだろうか。
本書は、占いや確率、宗教やスピリチュアルを超え、偶然のしくみを知ることから始める、幸福への新しい方法論について、分かりやすく面白く論じていく。これ、最近読んだ新書のなかで、いちばん面白かったです(発行は2007年ですが)。
ギャンブルを定期的にやる人、「自分はツイていない」と落ち込んでいる人には、とくにおすすめしたい1冊。世間には「運は自分の力で切り開くもの!」「結果が伴わないのは、あなたの努力が足りないから!」という自己啓発本が溢れているのですが、植島さんは、こんな話を紹介されています。
人間はだれしも自分が選んだことにとらわれて自由な判断ができなくなる。
だれか他人が選んだことなら別に影響はないが、一度でも自分の判断が加わると、だれもがそれに多少の責任を感じるようになる。ちょっとしたはずみで決めたことでも、いったん決められてしまうとたちまち効力を発揮するようになる。だから、たとえば大きなギャンブルでは、まず自分より相手に判断させるように持っていくのがコツだということになる。すさまじい心理戦では、そこが勝敗の分かれ目になる。こちらが相手の選択に黙ってついていくと、次第に相手は自分の決断にとらわれて身動きがとれなくなっていく。もちろんこれはあまり力量差がない場合に限られる。
森巣博『無境界の人』に次のようなエピソードがある。
今世紀初頭に英国で活躍した賭けの銅元にチャーリー・ディックスという男がいた。彼は確率が正確に50%であるならば、二つの条件をつけて、どんなに金額の大きい賭けでも引き受けたといわれている。彼がつけた二つの条件とは次のようなものである。(1)賭け金が大きいこと。その金を失うと死ぬほどの打撃をこうむるほどの金額であることが望ましい。
(2)たとえば、コインを投げた場合、表なら表、裏なら裏と賭けを申し出た当人が最初にコールすること。
それだけだというのである。森巣氏は「これはわたしの経験則とも完全に合致する『必勝法』である。懼れを持って打つ博奕は勝てない。なぜだかは知らない。とにかくそうなのである」と書いている。ギャンブルでは先にコールしたほうが負けなのだ。何かを選択するということはそれだけ大きな負荷のかかる行為なのである。
つまり、不幸は選択ミスから起こる。では、選択しなければいいのでは? そう、そのとおり。選択するから不幸が生じる。妻をとるか愛人をとるか、進学するか就職するか、家を買うか賃貸マンションに住むか? 海外旅行に行くか貯金するか、いまの会社にとどまるべきか転職するべきか? 果ては、「いつものティッシュを買うべきか、安売りになっている別のメーカーのティッシュを買うべきか」まで、われわれは人生のさまざまな場面で選択せざるをえない状況におかれている。
うまく生きる秘訣はなるべく選択しないですますことである。「あれかこれか」ではなく「あれもこれも」ということである。そういう状況に自分をおくように心がけなければならない。ただし、なるべく選択しないことが大切だとわかっていても、一夫多妻というわけにもいかないし、お金をつかったら貯金はできない。それでも、あなたはできるだけ選択せずに生きる道を探さなければならない。それを貫くのはかなり困難だが、それでもけっして不可能なことではない。
このチャーリー・ディックスのエピソード、感覚的にはものすごく頷けます。
「でも、それはやっぱり勝率50%じゃないの?」と理屈としては疑問に感じるところもあるんですけどね。
植島さんは、「この世界に起こることは、すべて必然だと考えてはどうか?」と書かれているのですが、たとえば、飛行機事故とか難病というのは、人類全体でいうと、ある一定の割合で「必然的に起こる」ことなのです。
つまり、「世界の誰かに起こる」ことについて、「ありえないこと」だとは思わないけれど、「自分や身近なところに起こる」のは、「偶然であり、ありえない、あってはいけないこと」だとしか考えられない。
先入観とか思い込みによって、僕たちの「選択」には、大きなバイアスがかかります。
そういう「理屈に合わない面」こそが、「人間らしさ」なのかもしれないけれど。たとえば、競馬の予想を例にとると、そのほとんどは過去の戦績から割り出されている。Aは前走でBに勝ったから、今度もAのほうが強いだろう、というように。それらは一見したところ、きわめて「合理的」な判断に思えるのだが、結果はまったく見当はずれンことが多い。いや、それどころではない。競馬では、もっとも「合理的」と思える判断を積み重ねていくと、なんと必ず破産することになる。それでは、「合理的」な判断を完全に捨て去ったほうがいいのかというと、事態はそう単純ではない。めちゃくちゃに賭けたら、むしろ100%負けることになるだろう。では、どうすればいいのか。
ここが大事なポイントなのだが、ある点までは「合理的」と思える判断に固執しなければ、とても勝利などおぼつかないわけで、まずはしっかりと論理的判断を張りめぐらすことになる。そして、これしかないと予想した時点で、そうした自分の判断をすべて破棄するのである。多くの場合、もっともそれらしいと思われる結果は、もっとも起こりえない結果なのである。どこで自分の論理的判断を手放すかによって、結果は大きく違ってくる。そこからはあくまでもセンスの問題になってくる。いくら修業を積んでもダメな場合もあれば、感覚的にすっと理解できる人もいるだろう。いかに既成観念にとらわれずにいられるかが勝負を分けるのだ。
昨日のヴィクトリアマイル、ブエナビスタとレッドディザイアの馬連で大勝負してしまった僕には、この言葉の意味、非常によくわかります。
いくら海外遠征明けとはいえ、久々のマイル戦とはいえ、この2頭の力が抜けているはず、これまでこの2頭が一緒に出たレースでは、常にこの2頭がワンツーで入線していたのだし……
しかしかながら、「2強対決」という競馬の歴史の大きな枠組みからみると、「前評判通りの2強でそのまま決まるレース」なんていうのは、本当に少数なのです。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」というのは、こういうことなのでしょう。
いや、昨日はブエナとレッドで決まっていたかもしれないけれど、長い目でみれば、ああいうレースで「2強」を買っていては、生涯収支はプラスにはなりませんよね。
言い訳をさせてもらえれば、昨日は、「当てたかった」というよりは、「ブエナとレッドのマッチレースを見たかった」のだけれども、それなら、賭けずに見ればよかっただけのこと。
そういう「思い入れ」とか「こだわり」みたいなものがなければ、もっと「ギャンブルに強い男」になれるのだろうなあ。自分を「不運」にしているのは、結局のところ、自分自身なのかもしれません。
もっとも、僕自身は、そういう「思い入れ」がない競馬は楽しくないだろうな、とも思うのです。
「人生」も、そうなんじゃないかな、たぶん。ギャンブルに限った話ではなく、「いまの自分を少し俯瞰してみる」きっかけになる、興味深い新書です。
そう簡単に悟れないというか、やっぱりブエナビスタとレッドディザイアの馬連を買ってしまうのが人情ってものだし、そんなふうに「養分」になるのもまた、楽しいと言えば楽しくあるのですけどね。
というわけで、『琥珀色の戯言』の2010年のベスト10でした。
今年の僕の読書傾向を総括すると、今年は少し「新書熱が冷めてきて、「小説」をけっこう読んだ気がします。
ここでは紹介しきれませんでしたが、『警官の血』や『虐殺器官』など、文庫になってから手にとって、面白さに感動した作品もたくさんありました。
今年話題になった本といえば、なんといっても、『1Q84 Book3』と『もしドラ』、そして『KAGEROU』。
『もしドラ』と『KAGEROU』の感想も御紹介しておきます。
参考リンク(1):「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」感想
来年は、読む本の冊数を控えて、「読みやすい本」「感想が書きやすい本」を優先するのではなく、「時間がかかっても、読んでおきたい本」を手にとっていくつもりです。
Twitterでも適宜つぶやき中です。来年はちゃんと読んだ本リストを完成させなくては。
http://twitter.com/fujipon2