琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

逮捕されるまで ☆☆☆☆


[rakuten:book:14359710:detail]

内容紹介
東京→北関東→静岡→東北→四国→沖縄→関西→九州。
電車、船、バス、自転車、徒歩で転々と移動した。誰にも語らなかった、「逃げた後、捕まる」まで。
2年7カ月の間、どこにいて、どのような生活をし、
何を考えてきたのか。
市橋達也、拘置所からの懺悔の手記。

「卑怯にも逃げてしまった。被害者の方、さらにたくさんの人たちをもう一度傷つけることになった。すべてのものから逃げるのはやめよう、と決めた。2007年3月26日に警察から逃げて、2009年11月10日に逮捕されるまでの2年7カ月の間、どこにいて、どのような生活をし、何を考えてきたか。そこから逃げずに、自分が犯した罪の懺悔のひとつとして記したい。これによってどう批判されるかもわかっているつもりです。」

<記>
 本書の出版で印税を得ることがあっても、僕にそれを受け取る気持ちはありません。リンゼイさんの御家族へ。それができなければ、公益のために使っていただければ幸いです。



出版社からのコメント
捜査機関に対し黙秘を続けてきた市橋達也が、これまでほとんど明らかにしてこなかった逃走生活の全貌を克明に書いた。
カバー画も、本文説明用の挿画も、本人直筆。

この本で書かれてるのは、「事件が起こった直後から」なので、「その時、何が起こったのか」についての記述はないのですが、その後の「逃亡生活」のことは、かなり詳細に書かれていて、市橋容疑者は、おそらく日記のようなものをつけていたのでしょう。
短い文の連続で、さらさらと流れるように書かれていて、とても読みやすく、「文学的」ではありませんが、「逃亡者・市橋達也密着取材記」のようでした。
市橋達也容疑者に「密着」している、取材者・市橋達也

設計関係の仕事を志望していたということもあり、かなり詳細な本人筆のイラストも、この本のなかには収録されていますし、

 高知県に入ったときには緊張した。広末涼子の出身地だったし、大学で見た四万十川という写真集野中の一枚の写真が印象に残っていた。

というような、読んでいて微笑ましくなるような、ちょっとした感情の動きも描かれています。
「逃亡者」であっても、高知県広末涼子という能天気さ!
でも、人間って、どんな犯罪をおかしても、そういう「日常的な瞬間」ってあるんだと思う。
だからこそ、僕は「人を殺した人間が、生き続けること」に違和感があるわけなのですが、やっぱり「共感」もしてしまう。
そうだよね、僕も同じ立場だったら、そんなもんだろうなあ。

この本を読みながら、僕は「人生におけるイベントの順番」について、考えずにはいられませんでした。
市橋容疑者が、もし、あの事件より先に、逃亡中のような緊張感(これを「充実感」や「目的意識」だと言ってしまうのには、僕も抵抗があるのですが)や、「生きていくための対人関係での妥協」「離島でのサバイバル」や「日雇い現場作業員としての生活」を経験できていたら、たぶん、あの事件は起こらなかったのではないかと思います。
「自分でやりたいことの選択ができる人生」の価値というのは、失ってみないとわからない。
吉野家で牛丼を食べたいときに食べられるくらいの自由と余裕だって、本当は貴重なものなのかもしれません。

そして、日本という国に「身分証明書も電話もなく、働ける場所」がまだこんなに存在しているのだということには、ちょっと驚きました。
その気になって、注意深く日々を過ごすことさえできれば(いや、それがいちばん難しいのだろうけれど)、何年も、警察や市民の目から逃れることも可能なのです。
この逃亡記を読むと、「ここまで用心深く逃げている、たった一人の人間を、広い日本のなかで追いつめて逮捕する警察という組織の力」も再認識されられるのですけど。

 部屋でテレビを見た。
 偶然、逃亡容疑者に関する番組が放送されていて、僕のことも取り上げられていた。外国人の超能力者が容疑者の逃走先を予言するという内容だった。
 怖くて震えながら見た。
 現在逃走中の僕はどこかのマンションに潜んでいる、と彼は言った。彼の語ったマンションの特徴と飯場のプレハブとは違っていた。
 そして、逃走中の僕には外国に詳しい知人がいて、この年末か年明けに外国へ逃げる計画を立てているなどと語った。
 警察から逃げている自分を海外に逃がしてくれるような知人なんていない。そんな知人、逆に欲しいくらいだと思った。
 番組のゲストに出ている若い女の子が、「怖い、早く捕まえてほしい」と言った。
 たしかにそうだよな、と思った。

などというのは、「経験者じゃないと語れない話ではあるな」などと不謹慎ながら感心してしまいました。
まあ、少なくとも、ああいう番組が「100%正確」ではないことの実例ではありますね。

ところで僕はこの本に、吾妻ひでおさんの『失踪日記』の影響を強く感じるのですが、それは、「いまの日本で身を隠して生活するには、同じような方法をとるしかないから」なのでしょうか?

Amazonのレビューのなかに、こんな言葉がありました。
(「QP」さんのレビューの一部です)

出版社が市橋氏の「話題性」のみをとりあげた金儲け以外の何物でもありません。被害者家族をいたずらに傷つけているだけです。

本当に謝罪の心がある方は本などにはせず、毎日の様に直接被害者の方へ手紙で行っています。

今回の裁判は裁判員制度にて行われるという事ですので、これは出版社が話題性を造り、
市民に目を通してもらい、反省を本という文章に残し、心象操作をねらっているとしか思えません。


被害者のことを思えばおもしろ半分に買ってはいけない本です。

僕はこの『逮捕されるまで』には、やっぱり、市橋容疑者の「表現欲」みたいなものが溢れているように感じてしまうのです。
「反省」のためなら、「反省文」を書けばいいわけで、ヘビを丸焼きにして食べた話なんて、必要ありません。
「逃亡生活」は、彼にとって、ものすごく苦しかったのと同時に、「自分の人生のなかで、もっとも生きている実感がわいた時間」であり、「他人に語りたくなるような経験」だったのだと思います。
不謹慎な言い方をすれば、こんなことになってしまって、ようやく「ネタ」ができたのだろうな、と。
いくら「印税は要りません」と言ってみたところで、少なくとも、彼の「言葉」は、こうして歴史に残ることになります。
それは、もう語ることができない被害者に比べると「不公平」であることは間違いないし、「誰が書いたものであれ、作品は作品。それが『文学』なのだ」と主張し、正当化することへの違和感もあります。
でも、この本、僕にとってはけっこう「面白かった」のです。困ったことに。

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