琥珀色の戯言

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「人間は考える葦である」


『日本語作文術』(野内良三著・中公新書)という新書のなかで、パスカルの有名な言葉が「例文」として紹介されていました。
(余談ですが、この新書、「作文術」も興味深かったのですが、紹介されている「例文」にも面白いものがたくさんありました。「フランス人は犬より小さな生き物に関心がないので、ファーブルの『昆虫記』は黙殺されている」とか)


「人間は考える葦である」という有名な言葉は、パスカル『パンセ』の一節にあります。

 人間は自然のなかで最も弱い、一本(ひともと)の葦にしかすぎない。だが、それは考える葦である。彼を押し潰すためには全宇宙が武装する必要はない。蒸気や一しずくの水でも人間を殺すには十分だ。しかしながら、たとえ宇宙が彼を押し潰そうとも、人間は彼を殺すものよりも尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ぬこと、また宇宙が自分よりも優れていることを知っているからだ。宇宙はそれについて何も知らない。 (パスカル『パンセ』)

この原文のなかで、「人間は考える葦である」という部分はよく知られているのですが、『パンセ』を読んだことがある人はそんなにいないでしょうし、引用部だけでも、全部読んだことがある人はそんなにいないはずです。
僕も「人間は考える葦である」=「人間は物理的には弱い存在だけれども、考えることができるという、かけがえのない能力を持っている」という解釈でこの年齢まで生きてきたのですが、こうしてあらためて、原文の訳を読んでみると、パスカルの「知ること」「考えること」への信頼と覚悟が、よりいっそう強く感じられます。


「知ることができる」という一点において、ひとりの人間は「全宇宙」よりも尊い存在なのだ。
パスカルは、この言葉を「自分もいつか、宇宙に押し潰されて死ぬことを知るかもしれない」という悲壮な気持ちで書いているのではないかと思います。
そういうふうに考えると、「人間は考える葦である」という言葉の「重さ」も、いままで僕が持っていたイメージとは違ってきたのです。
僕たちが、「知っている」と思っていることの多くは、「自分で知っていると思い込んでいるだけ」なのかもしれません。


日本語作文術 (中公新書)

日本語作文術 (中公新書)

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