琥珀色の戯言

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ペンギン・ハイウェイ ☆☆☆


ペンギン・ハイウェイ

ペンギン・ハイウェイ

内容紹介
小学四年生のぼくが住む郊外の町に突然ペンギンたちが現れた。この事件に歯科医院のお姉さんの不思議な力が関わっていることを知ったぼくは、その謎を研究することにした。未知と出会うことの驚きに満ちた長編小説。


2011年『ひとり本屋大賞』5冊目。

冒頭の印象は、「なんとなく、『海辺のカフカ』+『地球が静止する日』みたいだな」という感じだったんですよ、この『ペンギン・ハイウェイ』。
ちょっと小生意気な少年と彼の仲間たち、そして、歯科医院の「お姉さん」、突然現れては消える「ペンギン」。
読んでいて、森見さんは、この意味不明な物語をどこに着地させるのだろう?と思ってしまいました。
最後まで読み終えて、「森見さん、こんなのも書けるんだ、すごいなあ、うまいなあ」と脱帽してしまったんですけどね。


ただ、僕自身は率直なところ、この作品、読んでいてちょっと「かったるい」気がしました。
主人公の賢くて好奇心旺盛な少年・アオヤマ君の喋りかたも、なんかちょっと鼻につくし
森見さんが書いた作品で、『本屋大賞』のノミネート10作に残ったという「保証」がなければ、僕は最初の40ページくらいの「賢すぎる少年」の長い話についていけず、投げ出していたような気がします。
後半一気にたたみかけてくるのは素晴らしかったし、「少年が『知ること』の意味と苦みを知っていく」という物語に、ちょっと感動してしまったのだけど、こういう「フィクションであることを味わうべき小説」は、読む側にとっても、ある程度心の余裕を必要とするのかもしれませんね。
森見登美彦らしい文体」を捨てて、これだけの作品を書いたというのは、本当にすごいことだと思うし、森見さんの「作家としての懐の深さ」を見せつけられたのですが……
うーん、僕があまり「子どもが主人公の小説」が好きじゃないからなのか、どうも、読んでいて、のめりこめなかったんですよね……

ちなみに、森見さんは、この『ペンギン・ハイウェイ』について、スタニスワフ・レムの『ソラリス』の影響を受けていることを公言されています。
いや、僕は『ソラリス』未読なので、なんとも言いようがないのですが。


もしかしたら、この『ペンギン・ハイウェイ』は、「非科学的なことをそのまま受け入れて、イマジネーションを広げることができる子どもたち」に向けての作品なのかもしれませんね。
そして、これを「長いおとぎ話」のように感じてしまう僕は、やはり、年をとってしまったのかな、と、少し悲しくなりました。

僕が読んでいて自分を投影できたのは、主人公のアオヤマ君よりも、アオヤマ君のお父さんのほうでした。

「父さん。ここに、すごくむずかしい問題があるとする」
「うん、なるほど」と父は微笑んだ。「すごくむずかしい問題があるとしようか」
「そういうとき、父さんの三ヶ条を使う」
「何だったかな。問題を分けて小さくすること。見る角度を変えること。似ている問題を探すこと」
「そう。でも、それだけでは分からないときもあるでしょう?」
「もちろん、ほかにもいろいろな考え方があるよ。たくさんある」
「たとえばどんな?」
 父は首をかしげて、新品のノートを手に取る。まるでそこに書かれている大切なことを読み上げているように、父はノートをめくりながらしゃべる。「たとえば家に帰って蛍光灯の電気をつけようとするね。スイッチを押したが、つかない。これは一つの問題だ。そうしたら、おまえはどう考える?」
「スイッチがこわれてる」
「そうかもしれない。もしそう考えるのであれば、『スイッチがこわれている』ということが問題になる。でもたとえば、昨日の夜みたいに街が停電していたらどうだろうか。それはスイッチがこわれているという問題ではないね。スイッチがこわれていると思って、スイッチをいっしょうけんめい研究しても答えは得られないだろう」
「問題はスイッチのことではないからだね」
「まず、問題は何か、ということをよく知らないといけない」
「ぼくだったら、ほかの部屋の電気がつくかどうかしらべるな」
「それも一つの方法だ。ほかの部屋の伝記がつかなければ、家のブレーカーに問題があるかもしれないね。しかし解決しないかもしれない。それではお隣の家はどうだろうか……というふうに、しらべていくと、本当の問題は何かということが分かってくるだろう?」
「ぼくはよく分かったよ」
「これは一番大事なことだが、一番むずかしいことでもある。算数の問題であれば、問題は目の前に書かれている。しかし実際には、問題は何か、ということがそもそも分からない。停電であることを知らずに、間違ってスイッチばかりしらべてしまうようなことがあるよ」
「父さんも間違う?」
「もちろん間違う。だれでも間違う」
 父は静かに行った。「問題は何か、ということが分かるのは、たいてい何度も間違ったあとだ。でも訓練を積んだ人は、だんだんそれを見つけ出すのが上手になる」
 ぼくはそのことを新しいノートに書いた。

アオヤマ君のような賢い子供にはなれなかったけれど、こんな父親に、僕もなりたいものです。
 

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