最近、2歳半の息子は、児童センターで「アンパンマン体操」をやっています。
そんなフレーズを、まだたどたどしくも、いっしょうけんめいに唄って体操をしている息子をみながら、僕は、被災地でラジオから流れてきた「アンパンマンマーチ」に笑顔をみせた子どもたちの話を思いだしていました。
なぜ、『アンパンマン』なのだろう?
(もちろん、他の子ども向けの曲も流されていたのでしょうが、僕が聞いた話には、『アンパンマン』関係がすごく多かったので)
そんなことを考えているうちに、『アンパンマン』についてのこんな話を思い出しました。
西原理恵子さんが、やなせたかし先生について語ったことば。
(『ダ・ヴィンチ』2009年7月号(メディアファクトリー)の特集記事「ニッポンのオカン、西原理恵子スペシャル」より)
”人間何がつらいって、お腹すいてるのが一番つらい。それなのに、世界中のヒーローは飢えを救っていません。だから僕は『アンパンマン』なんですよ”って。やなせ先生って南方戦線の生き残りで、周りはみんな飢え死にしていったんだって。戦争から帰ってきた人だから私とは言葉の重みが違うけど、そういうのを聞くと似てるのかな、発想がって。強いスーパーヒーローなんているわけがない。そんなのウソだ。そういう無力さみたいなものを知ってますよね、やなせ先生も。
「日頃慣れ親しんだアニメだから」というだけではなく、いま、被災している子どもたちが、いちばん必要としているヒーローは、「飢え」を救ってくれる『アンパンマン』じゃないかと思うのです。
Wikipediaの『アンパンマン』の項目にあった、やなせたかし先生の言葉。
アンパンマンと「正義」というテーマについて、やなせは端的に「『正義の味方』だったら、まず、食べさせること。飢えを助ける。」と述べている。
かつて、たびたび起こった「顔を食べさせることは残酷だ」という批判にも、「あんパンだから大丈夫です」と冗談めかして反論していた。
空腹の者に顔の一部を与えることで悪者と戦う力が落ちると分かっていても、目の前の人を見捨てることはしない。かつそれでありながら、たとえどんな敵が相手でも戦いも放棄しない。「ほんとうの正義というものは、けっしてかっこうのいいものではないし、そしてそのためにかならず自分も深く傷つくものです」(第1作『あんぱんまん』のあとがきより)
こんな話を思い出しながら『アンパンマン体操』を息子が唄うのを聴いていたら、なんだかすごく目頭が熱くなってきて困りました。
『アンパンマン体操』に涙ぐむ父親、なんて、息子にとってはまったく理解不能でしょうから。
僕たちは、スーパーマンや仮面ライダーにはなれません。
でも、『アンパンマン』には、なれるかもしれない。
お腹がすいて、つらい思いをしている人たちに、ほんの少しでも、僕たちの顔を食べてもらおう。
僕たちはすぐに、焼きたての新しい顔をつくることができるはずだから。