なんだか今日はすごく仕事も忙しくて、疲れもとれないので、なるべくテレビやネットには触らずに過ごしています。
「情報とそれをめぐっての人々の感情の渦」みたいなものに、圧倒されてしまっていて。
とくに、「マスメディア」に対するtwitter上での争いをみていると、いろんなことを考えさせられます。
「悲劇」をことさらに強調し、「美談」をつくりあげ、被災者に「報道の自由」の名の下にカメラを向け……
僕もテレビを見ながら、何度も憤りました。
でも、その一方で、淡々と数字だけが積み重ねられていくような報道だったら、ここまで大きな「被災地の力になろう!」という動きが生まれていたかどうか疑問ではあるのです。
「被災地の衝撃的な映像」や「遺族の涙」が「視聴者」に、現地への大きな感情移入を生み出すのもまだ事実。
以前書いたものの焼き直しです。
『ジャーナリズム崩壊』(上杉隆著・幻冬舎新書)より。
1993年、アフリカのスーダンを大飢饉が襲っていた。悲惨な現状を世界に伝えるため、多くのジャーナリストが現地入りを果たしていた。その中には、ニューヨーク・タイムズと契約したカメラマン、ケビン・カーター氏の姿もあった。
カーター氏は、国連食糧配給センターのあったアヨド村を訪れて、栄養失調や伝染病で死んでいく子どもたちの姿をカメラにおさめていた。一羽のハゲワシが、飢えのために地面にうずくまっている少女を狙っているシーンに遭遇したのはその時である。
同年3月26日、ニューヨーク・タイムズは一面トップにカーターのその写真「ハゲワシと少女」を掲載した。
反響は絶大だった。この写真を機にスーダンへの支援を表明するボランティアが次々と現れた。また、タイムズには寄付が集まり、アフリカ飢餓救済運動の再興のきっかけともなった。だが、そうした声の中には、なぜ少女を助けなかったのかという批判も少なからず含まれていたのもまた確かだった。
翌1994年、この写真がピュリッツァー賞を取ると、論争が再燃する。なぜ、その場で少女を助けなかったのかという問題提起は、最終的には「報道か、人命か」という大テーマに発展した。
ピュリッツァー賞授賞式の1ヵ月後、カーターが自殺し、少なくともジャーナリズムの世界ではこの論争に終止符が打たれた。その結論は次のようなものであった。
――ひとりの少女の生命を救うことで、同じ境遇のさらに多くの子どもたちの生命が危険に晒される可能性がある。それを避けるためにも、ジャーナリストは対象(被写体)に触れるべきではない。
ジャーナリズムはときに世界を動かす。カーターが写真を撮ったからこそ、アフリカへの感心が高まり、多くの子どもたちが救われたのだ。
取材現場にいて、そうした自制心を常に働かせることは決して容易いことではない。だた、取材対象とのそうした距離感を保つことこそ、ジャーナリストに求められていることではないだろうか。
この写真が「ハゲワシと少女」です。
おそらく、見たことがある方も多いのではないでしょうか。
この文章を読みながら、僕はこんなことを考えずにはいられませんでした。
「ケビン・カーターが、もし、ピュリッツァー賞受賞後に自殺をせず、有名ジャーナリストとして大威張りで世間を闊歩していたら、果たして、世界はこの写真、そして、ジャーナリズムの『善意』を信じていられるだろうか?」
たしかに、「歴史的な事実」からすれば、このひとりの子どもの「犠牲」によって、その何千、何万倍もの子どもが救われたのだと思います。結果からみれば、ケビン・カーターの行為は「正しかった」し、彼の写真のおかげで助かった子どもたちも、それに同意するでしょう。
しかしながら、この子ども、あるいはその親の立場からみると、ケビン・カーターがその場で「子どもを助けるより写真を撮ることを選んだ」のは、「非人間的な行為」ではありますよね。
ただし、参考リンクのWikipediaの記述によると、この少女の近くには母親がおり、切実に『命の危険にさらされていた』わけではないようです。
それでも僕としては、彼がシャッターを切るまでの時間に「もし目を突かれて失明することにでもなったら……」というような想像もしてしまうのです。
ケビン・カーターがこの写真を撮ったのは、本当に「100%の良心」によるものだったのか?
彼は、子どもたちが次々と死んでいく悲惨な現地の状況を伝えようと、この写真を撮り、発表したのですが、それが「世界を動かしたこと」と「彼自身も名誉と批判を受けたこと」が、彼の運命を変えてしまいました。
おそらく、この写真を撮ったときのケビン・カーターは、目の前の場面のあまりのインパクトに、「シャッターチャンス!」だと感じたに違いありません。そして、この写真が自分を「成功」させてくれることを願った。
もし、彼がカメラを持っていなかったら、ジャーナリストでなかったら、まず、ハゲワシを追い払っていたはずです。僕は、こういう場面で、写真を撮るより、ハゲワシを追い払う人間でありたい。
しかしながら、もし彼がそうしていたら、多くの子どもたちが救われなかったかもしれません。
この『ハゲワシと少女』と一人のカメラマンの話は、ケビン・カーターの自殺によって、「美化」されてしまっているように僕には感じられます。彼があの写真により成功し、人生を謳歌していたとしても、「ジャーナリストは世界のために目の前の人を見殺しにしてもしょうがない」「ジャーナリストは対象(被写体)に触れるべきではない」という彼らの「結論」に、頷くことができるでしょうか?
たぶん、同じような場面で、「写真を撮る」ことよりも「対象を助ける」ことを優先し、ジャーナリストとして無名のまま終わってしまった人がたくさんいたのではないかな、と想像してしまうのです。
僕は、そういう人たちのほうが「ひとりの人間としては偉大」なのではないかと考えずにはいられません。
ケビン・カーターは、写真を撮る前に少女を助けるべきだったのか?
「ジャーナリスト」もまた「ひとりの人間」である限り、この問いに対する正しい答えは無いのでしょう。
戦場カメラマン、ロバート・キャパは、こんなことを言っています。
「悲しむ人の傍らにいて、その苦しみを記録することしかできないのは、時にはつらい」
ケビン・カーターもまた、この「つらさ」をカメラと一緒に抱えていたのだと僕は思います。
そして、「ジャーナリスト」を自称するのであれば、「取材対象とのそうした距離感を保つ」ことを正当化するだけではなくて、そうしなければいけない「つらさ」を感じる人間であってもらいたい、と考えずにはいられません。
この1週間、ずっと衝撃的な映像を見つづけて、「疲れきってしまった」という人も、けっして少なくはないと思うんですよ。
そんなときに、twitterで他人やメディアにあたりちらしても、何も良いことはありません。
(自分にとっては、ヒートアップしているときに出てしまった「失言」でも、相手はそう簡単には忘れてはくれません)
『毎月新聞』(佐藤雅彦著・中公文庫)より。
故郷で独り住まいをしている高齢の母親は、テレビの野球中継をとても楽しみにしています。「この松井って子はいいよねえ」と、目を細めながら応援しています。そして、好きな番組が終わると迷いもなくテレビを消すのです。たまたま帰郷していた僕は、そんな母親のあたり前の態度にハッとしてしまいました。『面白い番組を見る』――こんなあたり前のことが僕にはできなかったのです。
テレビを消した後、静けさが戻ったお茶の間で母親は家庭菜園の里芋の出来について楽しそうに僕に話し、それがひと通り終わると今度は愛用のCDラジカセを持ってきて、大好きな美空ひばりを、これまた楽しそうに歌うのでした。
僕はそれを聴きながら、母親はメディアなんて言葉は毛頭知らないだろうけど、僕なんかより、ずっといろんなメディアを正しく楽しんでいるなあと感心しました。そして目の前にある消えているテレビの画面を見つめ、先日のやつあたりを少し恥ずかしく思うのでした。
つまらない番組を見て、時間を無駄使いしたと思っても、それは自分の責任なのです。決してテレビの責任ではありません。リモコンにはチャンネルを選ぶボタンの他に「消す」ボタンもついています。
僕達は、当然テレビを楽しむ自由を持っていますが、それと同時にテレビを消す自由も持っているのです。
僕は今日、あんまり外からの情報を入れない日にしようと思います。
そして、今日の仕事が終わったら、なるべくゆっくりお風呂に入って、本を読むつもりです。
僕たちは「テレビを消す自由」を持っています。
それは、僕たちにとっての「最後の、そして、最大の砦」だと思う。
どんな劣悪なマスメディアも、「それを選ぶ人」がいなければ成り立たない。
「被災者のため」のつもりが、いつのまにか、「自分の正しさを証明するため」になってしまっていませんか?
とりあえずは安全な場所にいるあなたがテレビやパソコンの電源を少しの時間切っても、節電になるだけで、誰も困りません。
「情報」を自分で遮断して、まず、お茶でも1杯。
僕たちは、被災者を「救う」のではなくて、「ともに生きていく」のです。
安全な場所で、安全な人相手にカリカリしているようじゃ、傷ついている人に寄り添うのは難しいよ。
僕もちょっと落ち着かなくては、と自分に言い聞かせつつ。