- 作者: 鈴木敏夫
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2008/07/18
- メディア: 新書
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(以下は「岩波新書」のサイトより)
■内容紹介
「この会社は毎日何が起こるかわからないから、ほんとに楽しい」。高畑勲・宮崎駿の両監督はじめ、異能の人々が集まるジブリでは、日々思いもかけない事件の連続。だがその日常にこそ「今」という時代があり、作品の芽がある─「好きなものを好きなように」作り続けてきた創造の現場を、世界のジブリ・プロデューサーが語る!
■著者からのメッセージ
この本には4人の男が登場する。いずれも、スタジオジブリの歴史には欠かせない。と、同時に、ぼくが影響を受けた男たちだ。「アニメージュ」初代編集長・尾形英夫からは仕事は公私混同でやることを、宮崎駿からは企画は半径3メートル以内に転がっていることを、高畑勲からは高尚な屁理屈を、そして、当時の徳間書店社長・徳間康快からはお金がただの紙っぺらであること学んだ。
4人ともみんな正直で、いたずらっ子で、言いたいことを言う。仕事を仕事と思って真面目にやっていたら、身が持たない。道楽だと思わないとやっていられない。その点、まったく共通している。それが振り返っての大きな感想だった。
そして、彼らを語ることが、そのまま“スタジオジブリの現場”レポートになった。
ちなみに、その辺の事情を勘案して、この本のタイトルをつけてくれたのは編集担当の古川義子さんである。
「仕事」と「道楽」。この相反する言葉をつなげてひとつにしたところがいい。気に入った。すぐに頭に浮かんだのが「不易流行」という言葉。これも、相反する言葉をつなげてひとつにしている。ぼくは、芭蕉の作ったというこの言葉が好きだった。 (鈴木敏夫)
今夜放送されていたドキュメンタリー『スタジオジブリ物語』が面白かったので。
この本を読んでも、鈴木さんや宮崎駿監督のような「すごいクリエイター」になれるわけではありませんし、何か実生活に役立つ知識が得られるわけでもありません(ジブリ作品の「トリビア」をいくつか仕入れることはできるでしょうけど。
でも、この本、本当に「面白い」んですよ本当に。いわゆる「実用性」は無いんだけど、日本を代表するクリエイターである宮崎駿、高畑勲両監督も、「盟友」であり、「最大の理解者」である鈴木さんからみたら、こんな「トンでもない人たち」なんだなあ、と読みながらニヤニヤしてしまうのです。なんというか、「世の中にこんな大人たちがいるんだな」と考えるだけで、少し元気が出てくるという感じです。
この本を読んで僕のなかでいちばん印象が変わったのが高畑勲監督で、僕は長い間、「ジブリの『売れないほうの作品』をつくっている人」という大変失礼なイメージを抱いてきたのですが、実は、高畑さんはまさにジブリの「要」であり、宮崎駿監督の最大の理解者(でありライバル)なんですね。そして、この高畑さんはほんとうに「トンデモナイ人」っぷりに僕は圧倒されっぱなしでした。
高畑・宮崎のコンビはほんとうにおもしろい関係です。
宮さんはじつはただひとりの観客を意識して、映画を作っている。宮崎駿がいちばん作品を見せたいのは高畑勲。これは宮さんの言葉のはしばしに出てきます。(中略)
宮さんからくりかえし聞いたエピソードのひとつに、東映動画を辞めるときのことがあります(1971年)。テレビアニメが全盛で、劇場用アニメーションを作る条件が失われつつあるときで、いろいろ引き抜きがあったりして、アニメーションの世界が大荒れに荒れていた。このとき、東映動画労働組合の副委員長だった高畑さんは組合大会で演説をぶったそうです。「いまこそ、みんなで働く場を守らなければならない。この会社を辞めずにがんばることが大事だ」といった趣旨で。宮さんも組合執行委員長だったんですが、この演説を聞きながらハラハラした。「あんなことを言わなきゃいいのに」。というのは、高畑・宮崎の二人は1週間後に辞めることが決まっていた(!)。Aプロというところから誘われていて、そこでリンドグレーンのピッピのアニメーションを作ることになっていたんです。それがわかると、あんなカッコいい演説をした直後だから、みんなに詰め寄られた。「言うこととやることが違うじゃないか!」。ところが高畑さんは一歩もひかない。この詰問にどう答えたか。「副委員長・高畑としてはたしかにそう言った。副委員長として正しいことを言った。しかし、個人・高畑は違う!」
宮さんは「あれはすごかったよ」と言い、高畑さんをいっそう尊敬したんです。
そこで「いっそう尊敬した」んですか宮崎さん!
いや、演説したあとに「変節」するんだったらわかるんですが、辞めることがわかっていながら、というのはあまりに凄すぎます。そして、それを「尊敬」してしまうほうも、ちょっと信じられない……
この本には、こういう「宮崎駿、高畑勲の常軌を逸した言動」の数々が紹介されているのですが(そして、「奇人度」は、圧倒的に高畑さんのほうが高いんですよね)、僕からすると、この2人というのは、「すごい才能があるんだけど、日常レベルでは、一般人の常識を超えたところがある人たち」のように思われます。たぶん、彼らだけの力では、ジブリはこんなにメジャーにならなかったというか、ジブリそのものが設立されることもなかったはず。
鈴木さんは、この2人の「天才」の才能と「人間としての面白さ」に惹かれた編集者であり、「常識人」でもありました。
「鈴木さんが加わったおかげで、宮崎駿は『俗っぽく』なってしまった」という面はたしかにあるのでしょうが、鈴木さんとの化学反応がなければ、2人は「孤高の天才」として埋もれていったかもしれません。あるいは、もっとタチの悪い人たちに才能を浪費させられたか。
この本では、鈴木さんの「宣伝手法」とくに「タイトルのつけかた」についてのこだわりも書かれており、それも非常に興味深いものでした。鈴木さんは、ジブリのタイトルのなかでも『紅の豚』は白眉だったと仰っておられますし(糸井重里さんも、「これ以上のコピーはないよ」と、このタイトルをべた褒めだったそうです)、『もののけ姫』のタイトルを宮崎駿監督が変更しようとしたのを阻止したエピソードには驚いてしまいました。少なくとも興行面でのジブリ作品、経営面でのスタジオジブリを支えてきたのは、鈴木プロデューサーの「観客からの視点」が大きかったのではないかと思います。
そして、宮崎・高畑という2人の超個性派クリエーターが、鈴木さんが「異物」であることを理解しつつも「大事な感性」として尊重し、鈴木さんの側も、両監督に振り回されつつも、2人のクリエーターの「魅力を活かしつつも商売になるようにアレンジする」という関係が長い間維持されてきたのは、まさに奇跡的なことなのでしょう。彼らは、自身が「天才」であったのと同時に、「他人が持っている、自分にない才能を認めて、受け入れる」だけの度量があったのです。
そういう「懐の広さ」に関しては、こんな話もありました。
もっというと、まわりをホッとさせる人も必要なんです。ここに好例がある。
『ポニョ』で主題歌を歌ってもらった博報堂メディアパートナーズの藤巻直哉さんです。学生時代に「まりちゃんズ」というバンドを組んで歌っていて、2年ぐらい大学を休学、博報堂に入っていつのまにか偉くなっちゃった人です。最近、学生時代のバンド仲間、藤岡孝章さんと「藤岡藤巻」というグループを作り、歌いだした。ぼくは山田太一のドラマが好きなんですけど、それは必ずどうしようもない人物が出てくるからです。それは不思議な存在感のある人でもある。藤巻さんはまさにそういう人。
ピシピシ働くということとまったく無縁の人です。『猫の恩返し』では博報堂のジブリ担当者だったけれど、見事に何もやらない。タイアップする企業が全然決まらないんです。会社にはいつも「ジブリ直行」と言っているらしく、彼宛ての電話が毎日ジブリに来るんですが、1回も来ていないんですから。こっちとしては『猫の恩返し』をヒットさせなければならないと思っているので、呼び出しました。「すいません。がんばってるんですけど」「いや、何もやってないでしょう」。電通のほうは担当が福山亮一という人で、この福山君ががんばっていいところを探してきてくれるのに、彼はゼロ。それならばというので、「出資は博報堂のままで、タイアップのほうは電通にするがいいか?」と聞いた。これは普通は恥ですよ。同じ広告代理店で競争相手であり、しかも福山君のほうが若い。藤巻「福ちゃん、お願いね」(笑)。しかもさらにすごいのは会社に戻ってからです。局長に報告すれば、当然、怒られる。「お前がだらしないからこんなことになった!」。局長が怒っているさなかに彼はそっと言うんですね、「専務にはどう伝えます?」。今度は局長が叱られる立場になりますから、ふっとわれにかえる。局長「……どうしよう」、藤巻「ぼくも行きましょうか?」(笑)。そういう人なんです。
ぼくも宮さんもこういう人が好きなんですね。おもしろかったのは、ある日、アシスタントの白木伸子さんが「鈴木さんにお話したいことがある」と言ってきたこと。「失礼だと思うけど」と言いつつ、「どうして藤巻さんとおつきあいになるんですか? 決して鈴木さんのためになる方だと思いません」。そうしたらそれが宮さんの耳に入った。宮さんはすぐに白木さんを呼んで、なぜ藤巻さんが大事かということを説明する。
このあいだも、藤巻さんが来たら、宮さんは忙しいのに2時間もしゃべっていました。「藤巻さん、あなたは無知ですね。世界がどうなってるかに関心ないでしょ」。宮さんは藤巻さんと話すことで、どこかホッとしているんでしょうね。
そう、この「こんな人でも、あの博報堂に入れるのか!」と悶絶してしまう人物が、あの『崖の上のポニョ』の主題歌ですっかりお馴染みになってしまった「大橋のぞみと藤岡藤巻」の藤巻さん。いくらか誇張して書かれているとは思うのですが、こんな「頼りにならない広告マン」を大事にする宮崎駿監督や鈴木プロデューサーも、そうとう変わった人ですよね。
今となっては白木さんが悪役っぽく感じられてしまいますが、当時は、彼女のほうが「ジブリのことを考えていた」ような気がします。
ところが、宮崎駿監督や鈴木さんは、藤巻さんのような人物の「無用の用」というか、「こういう人の魅力」をちゃんとわきまえていて、藤巻さんをけっしてバカにしたり疎外したりはしないのです。
そして、もうひとつすごいところは、そうやって「つきあってきた」藤巻さんを、ちゃんと「利用すべきところでは利用して」『ボニョ』の主題歌を歌わせたところです。単に「人に対して優しい」だけじゃなくて、その人の「使いどころ」みたいなのをちゃんと考えているんですよね。あの『ぽーにょほーにょぽにょ」での貢献だけでも、藤巻さんは十分「いままでの借りを返した」のではないでしょうか。
この本を読んでいると、ジブリのこれまでの成功には、「宮崎・高畑両監督の創作者としての才能と鈴木さんのプロデューサーとしての能力」だけではなく、彼らの「人とのつきあいかた、人のつかいかたの上手さ」が大きかったのだなあ、と感じます。ジブリが「世間一般の企業に比べて異質」だったのは、世間が「無能だ」「めんどくさい人物だ」と切り捨ててきた人たちの隠れた「やる気」や「能力」をうまく抽出してきた点にあるんですよね。それが、どこまで自覚的に行われていたのかはわかりませんが……
ジブリ作品のファンはもちろん、「創作者」という人種に興味がある人には、ぜひおすすめしたい1冊です。そして、自分は世の中の役に立っていないんじゃないか」と自信を失くしかけている人にも。