『カンブリア宮殿<特別版> 村上龍×孫正義』(日経プレミアシリーズ)より。
この本のなかで、ソフトバンクの孫正義社長が、20代で「後期の慢性肝炎」と診断され、「5年くらいで肝硬変になり、肝がんで死ぬかもしれない」と宣告されたときの話が紹介されています。
そのとき、孫社長が考えたこと。
孫正義:やっと会社を立ち上げて、年商30億円とか50億円とかになり始めて、娘も生まれたばかりでした。社員も一生懸命に仕事をしてくれる、お客さんもやっと少し増え始めた。その時にそんな状況になってしまったわけです。
会社を始めてすぐのころというのは、大きい会社にしたい、家も立派なものが欲しい、車も格好いいのが欲しいと、やはり若いなりの欲望がいっぱいありましたよ。だけど、あと5年ぐらいで俺は死ぬのかと思った時には、もう本当にどうしようか、と。その時も病院を抜け出して、ほとんど一日おきぐらいに会社に行っていたんです。そうやって身を削り、命を削りながら、なんで俺はこういうことをやっているのかと考えるわけです。
そうすると、やはり最後は自己満足のためにやっているんだなと、本音で思いました。人のためとか、会社のためというより、結局、自分は自己満足のために命を削って働いている。すると自己満足というのはなんだろう、と思うようになるんです。究極の自己満足というものを考えると、もはや家とか車とか、会社の利益とかいうようなことは、ちょっと程度が低いなと思うようになりました。
究極の自己満足とは、結局、人に喜んでもらうことじゃないか。人が心から喜んでくれて、笑顔で「ありがとう」と言って感謝してくれたら、それが一番の自己満足だなということを、その時に心の底から思ったんです。それはもう随分泣きはらしたあとのことですが。
村上龍:人が幸せになることに自分が関与できる、ということですよね。
孫正義:そう、それは生きていてよかったいうことなんじゃないか。残り何日生きられるかという状況の中で、もし自分が本当に短い年月で死んでしまったとしても、一人でも二人でも「ありがとう」と感謝してくれた人がいたら、それがまさに生きがいというものだろうと感じたんです。
僕は最初にこれを読んだとき、「それなら、さっさとiPhoneのSIMロックを解除してくれよ」と心の中で毒づいていました。
「きれいごと言っちゃって」と。
でも、「欲望と向上心のカタマリ」のように見える孫社長のこの言葉、ずっと気になってはいたんですよね。
今回の東日本大震災で、僕は人間のいろんな面をみているように思うのですが、こんな厳しい状況のなかでも、「他人のためにがんばる力」を多くの人が持っていることに、僕は驚いているのです。
最近、「拝金主義」「個人主義」なんて言われているいまの日本に、これほどの「良心」があるのか、と。
人は、本当につらい状況になると、「自分は何をこの世界に残すことができるのだろう?」と問いたくなるのかもしれません。
そして、多くの人は、自分の将来に対する恐怖心に震えながらも、「人に喜んでもらう」ことを選ぼうとしています。
いや、僕などはまだ直接的に大きな被害を受けてはいませんから、たぶん、まだ「わかっていない」のでしょう。
それでも、こういう状況になってみて、あらためて、「究極の自己満足」とは?「生きている意味」とは?なんてことを考えてみると、この孫社長の言葉は、すごく心に染みてくるのです。
「物質的な欲求」をある意味極めた人でさえ、最後に求めるのは、「人が幸せになることに自分が関与できること」。
こんな時代に生きているのだから、僕も「究極の自己満足」について考えてみようと思います。
参考リンク:カンブリア宮殿<特別版> 村上龍×孫正義(琥珀色の戯言)
カンブリア宮殿<特別版> 村上龍×孫正義 (日経プレミアシリーズ)
- 作者: 村上龍,テレビ東京報道局
- 出版社/メーカー: 日本経済新聞出版社
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