琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

「運転してもいい人」と「運転してはいけない人」

参考リンク:なぜ彼はクレーンに乗らなくてはならなかったのか - Thirのノート


毎日新聞の記事より。

栃木県鹿沼市で登校中の市立北押原(きたおしはら)小の児童6人がクレーン車にはねられ死亡した事故で、逮捕された運転手の柴田将人容疑者(26)=自動車運転過失致死容疑で19日送検=は、発作を伴う持病があることを隠して運転免許を取得していたことが、捜査関係者への取材でわかった。県警は事故と持病の因果関係について捜査を進めている。

 捜査関係者によると、柴田容疑者の持病は薬を適切に服用していないと運転に支障をきたすことがあり、免許取得には一定期間以上発作を起こしていないなどの条件が課されている。しかし、柴田容疑者は免許取得や更新の際に持病の申告をしていなかったという。

 また、08年4月にも鹿沼市内で登校中だった小学5年(当時)の男児を車ではねて重傷を負わせていたが、当時の取り調べでも「居眠りをしていた」などと供述し、持病の説明はしていなかったという。県警は20日、勤務先の「小太刀重機」(鹿沼市)にあった柴田容疑者の車から薬など計27点を押収。事故時の健康状態や薬の服用状況を調べている。

 小太刀重機によると、柴田容疑者は10年5月入社。3カ月の試用期間を経て、同年8月から正社員になった。年1回実施している健康診断で異常はなく、本人から持病についての申告もなかったという。副社長の女性(66)は「薬を持ち歩いているのを見たことはない。若いので病気があるとは思わなかった。面接の時に(大型特殊とクレーン運転士の)免許を持参したので大丈夫だと思った」と話している。


僕はこのニュースを聞いて、小さな子どもが6人も犠牲になったことに、強い憤りと悲しみを抱きました。
車を運転している人間なら誰しも、「事故は起こりうるものだ」という意識はあるはず。
でも、この事故は、あまりにも惨すぎる。

最初にこのニュースが流れたときに、ワイドショーのレポーターは、「なぜ、こんな見通しの良い場所で、こんな事故が起こったのかわからない」と言っていましたし、職場の同僚も「なぜこんな事故を彼が起こしたのか、理解できない」と話していた、というのも聞きました。

その後、てんかんという「持病」のこと、そして、容疑者が、てんかんの薬を内服していなかったことが判明しました。


先日、知り合いの劇画原作者が、僕に「あるバーで偶然耳にした会話」を僕に教えてくれました。
カウンターで飲んでいた男Aは、知り合いの医療関係者B(医者ではなくて、事務系の人のようだったそうです)と、この事故について、こんな会話をしていたそうです。

A「この事故、容疑者はもちろん責任があるけれど、彼を診ていた医者にも責任がある。診察して、こんなふうに運転中に発作を起こす危険性があったのに、なんで運転させたんだ?」


B「いや、本人が薬を飲んでいなかったんだから、医者に責任があるって言われても……医者だって、処方した薬を飲まない人にまで責任は持てないし、『運転していい』なんて言ってないはずだよ」


A「それでも、そういう病気を診ていたんだから、医者にも責任はあるだろ。実際に容疑者は運転してたんだから。絶対に運転するな、って言っておくべきだろう。そもそも、この事件で、担当の医者は陰に隠れて、全然テレビなんかに出てこないじゃないか。こんなひどいことになっているのに、卑怯だよ」

いや、この件に関しては、さすがに「薬も飲まない患者」のことまで責任を持たされたらかなわない、と思うのだけれども、世の中には、「医者」に、ここまでの責任を負わせたい人がいるのだな、と愕然としました。
患者さんについて回って、車を運転しようとしたら、身を呈して止めなきゃいけないのか……と。
被害者の家族だったら、そんな気持ちになるのも、仕方がないのかもしれないけど……
まあ、大部分の「第三者」たちは、「さすがにそれは本人の責任だろう」と考えているのだと思うし、だからこそ、担当医がメディアに追い回されていないのでしょう。


「急に意識障害(あるいは異常行動)を起こす病気」というのは少なからず存在するのですが、患者さんたちは、医者に聞いてきます。
「先生、自分はいま何も症状がないから、車の運転をしてもいいですよね?」

 
 僕はこの質問に「いいですよ」と答えられません。
 「車というのは、他の人を巻き添えにすることがあるから、運転はしないようにしてください。事故が起こってからでは手遅れだし、もし自分の身内が、そんな病気があっても運転している人にはねられたら、許せないでしょう?」
 と言うようにしています。
 ご家族にも、「運転させないでください」とお願いしています。


 でも、本当に運転していないかどうかは、わからないのです。
 地方都市というのは、車を持っていない人にとっては、ものすごく不便です。
 公共交通機関は少ないし、時間もかかる。
 これまで車を運転していた人が、運転できなくなるというのは、かなり生活の質を下げることになるでしょう。
 だからといって、「もしものこと」を考えると、医者としては「認める」わけにはいかない。
 それで、「先生は、自分が運転できなくなるわけじゃないからそう言いますけど、こっちにとっては死活問題なんですよ!」と食ってかかられたことも何度かありました。


「車というのは基本的に危険なものなのだ」と、このニュースを見て、あらためて思い知らされました。
以前、救急をローテーションしていたとき、「運転中にくも膜下出血を発症し、事故を起こして救急搬送されてきた患者さん」がいました。
この人は、中央車線をまたいで対向車線に突入し、ガードレールに激突したのですが、他の車は巻き込まれずにすみませした。
運転中に重い心筋梗塞脳梗塞脳出血などを発症すれば、自分で自分の身体をコントロールできなくなり、事故を起こすことは誰にでもありえます。
 今回の事故も、てんかんの初めての発作であれば、本人の責任は問い難いでしょう。
 もしかしたら、世間の居眠り運転とか不注意による事故のなかには、加害者も自覚していない「短い発作」が少なからず含まれているのではないか、とも思います。


 その一方で、「だから、てんかんの持病を持つ人には、絶対に車の運転を許可するべきではない」というのが正しいのかどうか。
 今回の事故で「リスクがある人は、運転すべきではない」という声が強まっていくのではないかと思いますが、てんかんの患者さんたちにとっては、「ちゃんと薬を飲んで、発作が起こらないように治療を続けているのに、車の運転ができないこと」は大きなハンディキャップだったのです。長年主張しつづけて、ようやく、一定の条件下で、運転が許されるようになりました。

てんかん勉強室:運転免許について(2003年5月号)

「むさしの国分寺クリニック」のサイトによると、「てんかん」と診断された人が運転免許を取得できる要件は、以下のようになっています。

(1) 発作が過去5年以内に起こったことがなく、医師が「今後、発作が起こるおそれがない」旨の診断を行った場合。
(2)発作が過去2年以内に起こったことがなく、医師が「今後、x年程度であれば発作が起こるおそれがない」旨の診断を行った場合。
(3) 医師が1年の経過観察の後「発作が意識障害及び運動障害を伴わない単純部分発作に限られ、今後症状の悪化のおそれがない」旨の診断を行った場合。
(4)医師が2年間の経過観察の後「発作が睡眠中に限って起こり、今後、症状の悪化がない」旨の診断を行った場合

これは、かなり厳しい条件だと思いますし、医療サイドからすれば、「今後、発作が起こるおそれがない」と宣言するのはとても勇気がいることです。


でも、患者さんは、運転したい。
てんかんの有病者には、まだ20代〜40代の若い人も多いので、「運転できない」ことは、彼らにとっては、まさに「死活問題」です。
運転免許がなくても普通に生活できる大都会の人には、理解しがたいかもしれないけれど。


結局のところ、「医者にも黙って、運転している」という人は少なくないはずです。
てんかんの治療をしているかどうかなんて、外見では絶対にわからないから。
運転免許取得・更新時も、診断書を要求されるわけではないし。
(仮に診断書を要求されても、「てんかん発作を起こす可能性がある」ことは証明できても、「今後絶対に起こさない」ことを証明するのは無理です)


日本経済新聞には、次のような記事がありました。

栃木県鹿沼市で18日朝、小学生6人がクレーン車にはねられ死亡した事故で、運転手柴田将人容疑者(26)=自動車運転過失致死容疑で送検=が持病のてんかんの発作を抑える薬について「普段は夜に服用していたが事故の前日は忘れ、当日の朝に飲んだ」と供述していることが22日、捜査関係者への取材で分かった。

 服用後、間もないため薬が十分効かずに発作が起きたり、薬の種類によっては眠気を催したりした可能性もあり、県警は柴田容疑者から採取した血液や押収した薬を詳しく分析して調べている。

 捜査関係者によると、柴田容疑者は発作を抑えるため、夜間に服用する薬を処方されていた。17日夜は飲むのを忘れ、18日朝になって飲んだ。

 同日午前7時40分ごろ、鹿沼市内の工事現場に向かうため勤務先をクレーン車で出発。間もなく事故が起きた。

 柴田容疑者は17日は休みで、遅くまで起きていたという。県警は同日の行動や服用を忘れた経緯も調べている。

 てんかんに詳しい医療関係者によると、発作を防ぐ薬は血中での濃度をなるべく変化させないようにするのが必要。規則正しく服用するのが基本となる。また、就寝前に飲むよう指示されている薬には眠気を引き起こす可能性もある。

 柴田容疑者はこれまでの調べに「人をはねたか覚えていない」と供述。県警は、現場までの直線約400メートルの部分で意識を失った可能性が高いとみている。〔共同〕

これはたしかに、飲み忘れた本人の責任です。
車という「凶器」を運転するのであれば、薬をきちんと飲むことは、最低限の義務でしょう。
でも、「1回薬を飲み忘れること」の重さを、日頃症状の無い人が、ちゃんと認識できていたかどうかは疑問です。
そして、無症状なのに、「昨夜薬を飲み忘れていたから」という理由で、具体的な症状もないのに、今日の仕事をキャンセルするというのは「社会人」としては、かなり難しいことなのではないかと思うのです。
そういう人が休むのを「許す」土壌が社会にあるのか?と考えるとなおさら。
医療者だって、「危ない」とは言っていても、こういう事故が起こるまでは、「患者さんに心の底から納得・理解してもらう」のは難しい。
この事故のニュースを見て、あわてて薬をキチンと飲むようになった患者さんも少なくないはず。
薬を忘れずに定期的に内服するというのは、そんなに簡単なことではないのです。とくに、自覚症状がない患者さんにとっては。


この容疑者の場合は、前にも同じような事故を起こしているし、今回も「怠薬」をしていますから、本人の責任だとしか言いようがありません。
「運転をしなければならない職業」も適格とはいえないでしょう。
それでも、この事故のために、「すべてのてんかん患者には運転させるな!」という方向に向かっていくのが、正しいのかどうか?
いまの基準でもかなり厳しいものなのに、これ以上条件が厳しくなれば、「病気を隠して運転する人」が増えていくだけなのではないか?という心配もありますし。
たとえば、もっと世間によく知られている病気である「糖尿病」の薬やインスリン注射だって、低血糖意識障害を起こす原因となりえますが、この病気を治療しながら働いている人たちはたくさんいます。
「健康」でも、仕事で疲れて、居眠りしてしまう人だっているでしょう。


そもそも、あなたは(僕は)、自分がてんかん患者だとしたら、日頃何も症状がなく、薬でうまく病気をコントロールできているのに、車の運転ができない、ということを、受け入れられるのか?
この容疑者の周囲の人たちは「そんな持病があるとは知らなかった」と証言しているそうです。
逆にいえば、「ふつうの日常生活を送っていた」のです。


「健康」な人だって、不注意で事故を起こすことがある。
「健康」な人だって、突然脳出血で人をはねるかもしれない。
どのくらいのリスクなら、「受け入れざるをえない」のか?


本来、車の運転そのものが「危険な行為」ではあるんですよね。
車の事故をなくすためには、「車そのものをなくす」しか無いのです。少なくとも現在の技術では。
車はたしかに便利だけれど、あまりに便利すぎて、「車がないと生きていけない社会」をつくってしまった。
「これほどまで多くの人が車を運転する必要があるのか?」というところから、あらためて考えてみるべきなのかもしれません。


でも、これって、事故で亡くなられた子どもたちやその家族にとっては、「社会にはそういうリスクがつきものだから、受け入れざるをえない」とは思えないですよね。
僕だって、いま目の前にいる息子がそんな事故で死んでしまったら、その犯人を絶対に許せないだろうから。

アクセスカウンター