琥珀色の戯言

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西原理恵子の「あなたがいたから」 ☆☆☆☆


西原理恵子の「あなたがいたから」―運命の人鴨志田穣 (NHK「こころの遺伝子」ベストセレクション)

西原理恵子の「あなたがいたから」―運命の人鴨志田穣 (NHK「こころの遺伝子」ベストセレクション)

漫画家・西原理恵子さんがこれまでの人生で最も影響を受けたのが、夫だった戦場カメラマン・鴨志田穣さん。ふたりの絆の真実とは…? NHK番組「こころの遺伝子」を書籍化。

「夫婦のことは、他人にはわからない」
そんな言葉を思い出しながら、僕はこの本を読みはじめました。
でも、読んでいるうちに、あらためて考えたのは、
「ああ、夫婦のことって、自分たちにも、よくわからないのかもしれないな」ということだったのです。


西原理恵子さんと鴨志田穣さん。
僕が知っているふたりの関係の大部分は、「マンガ家・西原理恵子によって描かれたもの」です。
ふたりの知名度というか、売れかたからいっても、そういう「サイバラ側」からしか見ていない人は多いはず。
最初は仲が良くて、2人の子どもにも恵まれたけれど、鴨志田さんのアルコール依存によって家庭はボロボロとなり、離婚。
しかしながら、西原さんをはじめとする家族の支えもあって、鴨志田さんはアルコール依存をなんとかコントロールできるようになり、家族のもとに帰ってきて、安らかに亡くなられた。


「事実」はこの通りなのでしょう。
そして、鴨志田さんが書かれたものをけっこう読んでいる僕も、こういう「大変な男と結ばれてしまった西原理恵子の苦難」みたいな面ばかり想像していました。
鴨志田さん自身の著書にも、「アルコールがやめられないダメな自分」と「妻や家族への申し訳ない気持ち」しか書かれていませんし。


でも、この「あなたがいたから」は、良くも悪くも「第三者」によってつくられた番組です。
だからこそ、当事者どうしには近すぎて見えなかった「ふたりの関係」が伝わってくるところがあるのです。

 ギャンブルに追い詰められた父親を見ていたはずの西原さんが、どうしてギャンブルにのめり込んだのか。その理由は、自分でもよくわからないという。ただ、ずっと考え続けていたのかもしれない疑問がある。
「人を人でなくしてしまうものは、いったい何なのか? それを見てみたい」
 ある医者は、「依存症というのは病気の一種だ」と前置きして、こんな説明を聞かせてくれた。
 たとえばパチンコ依存の人は、フィーバーでドキドキしているときが日常の状況になってしまう。酒の依存だと、酒を飲むと頭がシーンとして落ちついて、他人とコミュニケーションがとりやすくなる。どちらも、その状況が一番居心地がいいから、常にそうならなければいけないという心理になってしまう。そんな人が、すごく多いのだと。
 同じ医者に、またこうも言われた。
 どうしても同じ失敗を繰り返す、依存の女性たちがいる。パートナー選びにしても、ダメな男性と付き合ってさんざん苦労させられ、一度は懲りたはずなのに、次もまた同じようにダメな男性に魅かれてしまう。
 それは、ドキドキさせられたりハラハラさせられたりする日常を、心の中で「面白い」とか「すてきなことだ」と置き換えてしまう女性たちなのだ。
「そう聞いて私、『はい』って。『それは間違いない、私です』って。やっぱりそのドキドキ、ハラハラが面白かったり、そういう思いをさせてくれる人を好きになるんですよ。お父さんにドキドキ、ハラハラさせられた。それを面白いことだと心のどこかで思い込んでいるので、仕事も、好きになる男の人も、ドキドキ、ハラハラさせられることが私には面白いんです」

いつもドーンと構えているようにみえる西原さんも、内面では、けっこう揺れていた時期もあったそうです。
若くしてギャンブルマンガや突撃体験マンガで売れっ子になった一方で、ギャンブルの借金は膨らみ、それをまたネタにして稼ぐという自転車操業
「ギャンブル依存」になっていた西原さんが出会ったのが、鴨志田さんだったのです。
取材でミャンマーに行ったとき、本来予定されていた通訳の「代役」としてあらわれたのが、「戦場カメラマン」を名乗る怪しげな男・鴨志田穣

 再び鴨志田さんから強い印象を受けたのは、百万円を持って一緒にカジノに行った夜のことだった。
 西原さんは、大きいカネを張っている”格好いい自分”を、鴨志田さんに見せたかった。
「女なのにすごいでしょ。こんな大きいおカネを一回に張って、負けても顔色ひとつ変えないのよ」
 ところが、気が付くと、鴨志田さんは、空ろな顔でつまらなそうにして立っている。
「何よ、男のくせにギャンブルもできないの」
 と悪態をつく西原さん。
 その時、鴨志田さんが発した思いもよらないひと言が、西原さんのその後の人生を大きく変えることになる。
「つまらないよ、こんなの。何が面白いの? あのさ。本当のギャンブルだったら戦場が一番だよ。みんな、命懸けてるんだからさ。僕と一緒に行ってみない? 君の知らない世界を見せてあげるよ」
 その言葉を聞いた途端、西原さんは、目の前のダイスやカードがすごくつまらないものだと思えた。答えは出ていた。
「それ、行く行く。連れて行って」
 今でもふと、思うことがある、と西原さんは言う。もしあの時、鴨ちゃんに出会わなかったら、私はどんな人生を歩んでいたのだろうか。もしあの時、ついて行くと言わなかったら、あんなにつらい思いをせずにすんだのにと。

 西原さんの心に、今も深く刻み込まれた鴨志田さんの言葉がある。
「アジアの人は、泣くことと笑うことがとても上手なんだよ」
 どんなに貧乏で悲惨な暮らしでも、アジアの人たちは笑っていた。鴨志田さんが撮った戦場写真の中でも同じ。人々はやはりみな、笑っていた。生まれてから70年も80年もひたすら貧困の中で暮らし、戦争や内戦に翻弄され続け、人生で一つもいいことのなかったようなおじいちゃんやおばあちゃんが、カメラを見て笑っている。
 そんな生きる強さこそ、鴨志田さんが西原さんに見せたいものだった。


 どん底でこそ笑え。

西原さんは、まちがいなく、鴨志田さんとの出会いで、「救われた」時期があったのです。
鴨志田さんとの出会いがあったからこそ、西原さんは、いまの「作風」をつくりあげてきた。
そのままずっと、ふたりが「足りないものを補って、生きていく」ことができれば、よかったのだろうけど……
でも、鴨志田さんもまた「弱さ」を抱えて生きてきた人でした。

 二人の子どものために、一度は酒をやめようとした。しかし気がつけば、自分の父親と同じ酒浸りの日々を送るようになっていた。
 もう一つ、酒に溺れてしまう皮肉な理由があった。
 それは、人気作家になっていく妻と裏腹に、自分はカメラマンとして挫折した、という苛立ちだ。
 結婚を決めて、9年暮らしたタイから帰国することになり、さて何をしようかと思いあぐねていた鴨志田さんに、文章を書いてみるよう勧めたのは西原さんだった。
「あんた、何か書いてみたら」
 そのままどこかへ電話をかけ、
「明日、浅草で人に会うことにしたから」
 翌日出向いた先はゲイバーで、落ち合ったのはゲイ雑誌『さぶ』の編集者。鴨志田さんがアジアでの放浪体験をエッセイに書き、西原さんが漫画を添える初の連載は、二年間続いた。『さぶ』は売れ行きが悪く廃刊となったが、その後、西原さんとの共著が売れた。
 そうして「鴨ちゃん」のキャラが世に知られていくにつれ、妬みややっかみが聞こえ始める。
「アイツは、有名な奥さんをもらったおかげで名前が売れた」「カメラマンとしてはダメだったのに、うまいことやったな」

 どうでもいいといえば、どうでもよいのだけれど、何か気になってすっきりしなくて……。


 と前置きして、複雑な胸のうちを明かした文章が『ばらっちからカモメール』にある。
 ある日、西原さんの担当編集者から『現代用語の基礎知識2002』という本が送られてきた。別冊付録の「いまが読める人物ファイル」をパラパラ見ていて、鴨志田さんは自分の名前を見つける。
 その紹介文は、最後にこう書いていた。
「漫画家・西原理恵子の夫」
 鴨志田さんは思う。

 普通にこういう場合は、
夫人は漫画家の西原理恵子……としないだろうか。
 世間はどうやら、僕がサイバラに手を引っ張ってもらって歩いている、
 そう思っているらしい。
 あっ、そうか。当たっているからしょうがないのか……。
 でも……やっぱり気になる、なあ。

 ある民放の人気報道番組に、鴨志田さんが一人で出演したことがある。
 アフリカの紛争地帯のレポート。当代随一の人気者だったキャスターの質問に答える鴨志田さんは、あまりに正直だった。
「今回の混乱の原因は?」
「わかりません」
「政治的な背景があるといっても過言ではない?」
「いや、ですからそこまでは僕にはわかりません」
「……。今回のレポートでお感じになったことは?」
「力不足で何も撮れませんでした」
 あまりに純粋で真っ直ぐな姿勢。それは、過激さと面白さを求めるマスメディアの現場では、「面白み」に欠ける、頭の硬い受け答えだった。
 興味を失ったキャスターは、最後にひと言こういった。
「この方、あの、ポル・ポト派に捕まったこともあるそうです」
 鴨志田さんの何ともいえない切なげな表情が、画面に写し出されていた。

 男として、同じような立場だったら、自分ならどうするだろうか?
 結婚した当時から、西原さんは、かなりの「売れっ子」ではあったのですが、それ以降も仕事の幅を広げ、評価を高めていく妻と、その「引き立て」で、そこそこ売れてきた夫。
 世間の目、とくに同性の目は、かなり厳しかったのではないかと思います。
 僕はけっこう鴨志田さんが書かれたものを読んでいるのですが、(あくまでも僕の評価です)鴨志田さんの文章というのは、「『笑い』を目指しているようで、そのわりには中途半端に真面目で、文学青年っぽくて鼻につくところがある」のですよね。
 西原さんとの「コンビ」でなければ、ここまで世間に「認知」されることは、なかったかもしれません。
 なんとなく、鴨志田さん自身も、それがわかっていたのではないかな、と。
 西原さんのことは好きだし、創作者としての憧れもある。
 でも、それが自分の「妻」となると、「重荷」にもなる。
 妻に嫉妬するなんて馬鹿げているけれど、馬鹿げているだけに、湧き上がってくるそんな気持ちが許せなくて、自分をよりいっそう責めてしまう。


 こういうのは、もちろん西原さんの罪ではありません。
 いや、「相手の罪じゃない」からこそ、つらい面もあるのだと思います。
 テレビ出演のときの、あまりにも純粋すぎる鴨志田さんの姿に、「それだったら、出なきゃいいのに!」と感じたのは、僕だけではないはず。
 

 鴨志田さんの高校時代からの親友の土肥寿郎さんは、当時を振り返ってこう語る。
「当時の鴨志田は、西原さんが好きな破滅型というか、破天荒な人間、キャラクターを演じていたような気がしてならない」
 同じような見方をする鴨志田さんの友人はほかにも何人かいた。私たちは思い切って、「鴨志田さんは、漫画の中で笑い飛ばされることに苦しんでいたのではないか」という疑問を西原さんにぶつけた。
 一瞬、思ってもみなかったことを聞かれた戸惑いが、西原さんの表情に浮かんだような気がした。
 白状すれば私たちは、西原さんが本当に悪いことをしてしまったとうなだれるのではないかと、どこかで思っていた。しかし西原さんの答えは、意外なものだった。
「彼にはそれがつらかったかもしれない……。でも私、また同じ目に遭っても、また同じことをすると思う。やっぱり悪口を描いて、相手を笑い飛ばすと思う。それが正しいか間違っているか知らないけど、ほかにどうやって愛情表現をしていいのかわからないから」
 力強い、確信に満ちた声色だった。
「だから、『大好きなのに、どうして? 大好きなのに、どうして?』って私は言ったんだけど、彼はこっちを見ながら、どんどん沖のほうへ進んでしまう子どものようだった。もうすぐあの子は沈んじゃうんだろうなぁと思うけど、私は帰ってきてほしくて一生懸命、作品の中でギャグをやったんだけど……」
 西原さんは漫画を通して、必死に鴨志田さんに語りかけていた。しかし、その思いは鴨志田さんに届かなかった。

 西原さんの「思い」は、きっと、鴨志田さんに、そして、世の中にたくさんいる、「誰のせいでもないのに、すれ違ってしまう男女」に届いたのではないかと、僕は思います。
 ところが、鴨志田さんは、それを「受け入れる」ことができなかった。
「身近な存在である」というのは、ある意味、とてもせつないことですよね。
 鴨志田さんは、結局、「死」を目の前にするまで、西原さんや子どもたち、そして、不甲斐ない自分を「受け入れる」ことができなかった。
 彼自身の「純粋さ」や「プライド」のために。

 西原さんが振り返る。
鴨ちゃんが教えてくれたことで、もう一つ、『世の中の人がこっちを振り向いてくれるのは、面白いか、役に立つかのどっちかだ』というのがあるんです。そのどっちかじゃないと、人はこっちを見てくれない。偉そうに説教たれてもダメだし、地球の裏側にある悲惨なものを、そのまま見せてもダメだしって。
 伝えたいことは、一つでいい。それをどうやって言おうかというときに、『笑いで包んで出そうよ』というのが、二人の最初の合言葉だった。だから、鴨ちゃんが体験してきた戦場の悲惨さや、二人で見てきた貧困の残酷さも、あえて笑いに包んだんです。ジャーナリストとお笑い漫画家っていう組み合わせも、よかったのかもしれない」

 それがふたりを「幸せ」にしたのかどうか、僕にはわからない。
 でも、たぶん「作品」のためには、すばらしい組み合わせだったのだと思います。


「夫婦」っていうのは、本当に難しい。
あらためて、それを感じた一冊でした。

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