琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

さや侍 ☆☆☆☆


映画『さや侍』公式サイト

あらすじ: ある出来事により、侍として戦うことをやめ、刀を捨てた野見勘十郎(野見隆明)。そんな父に対し、娘(熊田聖亜)は反発していた。2人は、あてもなく旅をしていたのだが、無断で脱藩した勘十郎には懸賞金がかけられており、とうとう捕まってしまう。しかし、奇人として世間では有名だった殿様から「30日の業」に成功したら、無罪にすると言われ……。


2011年15本めの映画館での鑑賞作品。
木曜日の21時30分からのレイトショーで、観客は20人あまり。
大雨の平日の夜としては、かなりの人気のようです。


僕はこの映画、クライマックスのあのシーンを見て、思わず「お見事!」と心の中でつぶやきました。
何が「見事」なのか、自分でもよくわからなかったのだけれど……
この『さや侍』という映画には、「理不尽な美学」を感じましたし、映画を観たあとで、自分の心にちょっとした「引っ掻き傷」みたいなものを発見するのは、なかなか良いものです。
ほんと、「なんでそうなるの?」って言いたくなるし、ひとりの親としては、「それはないだろ……」と言いたくもなるのだけれど。
松本人志さんは、インタビューなどで、「娘が生まれて、親になったから、撮れた映画」だと、この『さや侍』のことを語っておられます。
僕は正直、この映画の根底に、子供を持った後の「世の中には子供よりも大切なものがあるんだ!」という松本さんの再発見か、あるいは「子供に正面から向かいあうこと」への照れがあるんじゃないか、と思うのです。
でも、それがどちらなのかは、ずっと考えているのだけれど、よくわからない。
あるいは両方なのだろうか。
ただ、僕はなんとなく、「前者」なのかな、という気がします。


松本人志監督は、以前雑誌に連載されていた『シネマ坊主』という映画評論のなかで、『王の男』という韓国映画を採り上げておられました。
その回、なぜか非常に印象に残っているのですが、その中で松本さんは、「国一番の芸人が、笑うという感情を失ってしまった王を、さまざまな芸を駆使して笑わせようとする」という『王の男』に、こんな苦言を呈しています。
「この映画に最も違和感があるのは、主人公の芸が、ことごとくつまらなくて、なんでこんなのが国一番の芸人なんだ?と呆れてしまうところだ」(僕の記憶で再現した「意訳」です念のため)
この『さや侍』って、『王の男』の時代劇バージョンみたいな話だな、と僕は思いながら観ていました。
松本さんは、「個々の芸」を笑えるものにすることができれば、『王の男』は、きっと面白い映画になるに違いない、と感じていたのかもしれません。
たしかに、この『さや侍』で、「三十日の業」を課せられた野見勘十朗の芸は、大爆笑するようなものじゃないけれど、次にどんなものが出てくるのかと楽しみになるし、ちょっと笑ってしまうようなものもあるんですよね。
ストーリー上も、彼の芸が、「洗練されていて面白い」必要はないわけだし。
そんなの一日で準備できるか!なんてツッコミながらも、僕はけっこう楽しめました。


ちなみに、
「三十日の業」について、松本さんは、Yahoo映画でのインタビューで、こんなふうに仰られています。

Q:30日の業は、いろいろな仕掛けが出てきて、すごかったです!


松本人志美術にお金をかけられるのは、主演俳優にお金がかからないってことがかなり大きいですよね(笑)。

なるほど!


でもまあ、最後はやっぱり「泣かせる話」に向かってしまうわけで、そのほうが映画としての座りは良いのだろうけど、「松本人志がつくる映画としては、これでいいのか?」とは、考えてしまいます。
少なくとも、『大日本人』『しんぼる』よりは、「泣かせる成分」は多い作品です。


あんまり書くとネタバレになるのでほどほどにしておきますが、巷で評価されている娘役の女の子(熊田聖亜さん)よりも、野見隆明さんが圧倒的にすばらしかった。
あれほど「何を考えているのか、まったく伝わってこない人」っていうのは、希有な存在です。もし、「上手い役者」が野見勘十朗の役をやっていたら、おそらく、「演技で彼の心の変化が伝わりすぎた」のではないかと。
あの「役者的ではない存在感」があればこその映画だったし、彼を主役に抜擢した松本さんというのは、やっぱりタダモノじゃありません。


はっきり言って、「何が言いたいのかよくわからない」というか、「主題」みたいなものを考えはじめると、袋小路に入り込んでしまうような作品です。
「それって、実際のところ、子供にとってはどうなんだ?」
ほんと、僕にはよくわからない、というか、あれで良いとは思えない。
「親子愛」の映画だと言う人が多いけれど、これは「自己愛」「芸への愛」の映画ではないのだろうか?


でも、そういう、矛盾しているところを含めて、僕はこの映画、すごく好きでした。
他人に「ぜひ観て!」って言い切る自信はないんだけど、「どう思った?」って、みんなに感想を聞いてみたい作品です。


以下ネタバレ感想です。ご注意ください。


本当にネタバレですよ。

それにしても、最後の場面で、「助けてあげるよムード」に満たされたなかで、なぜ、野見は切腹することにしたのだろうか?
いや、わかるんですよそれはそれで。
三十日の業で、「生きるための努力をやり尽くした」という満足感があって、だからこそ、「死ぬことで生を完成させたかった」という「美学」も、僕には共有できないけれど、理屈としてはわかる。
親と子の絆というか、先に死ぬ人間が後に遺せるものは、「甘やかすこと」「直接助けること」じゃなくて、「意地」とか「生きざま(あるいは死にざま)」なのだ、という松本さんのプライドもわかる。
でも、あの年齢の娘には、やっぱり、「美学」よりも「触れられる親」が必要だと思うし、その可能性があるのだったら、どんなに恥ずかしくても「生き延びる」という選択をするべきなのではないかと、僕は考えてしまいます。

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