琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

「断ち切る」ための人生

参考リンク[悩みのるつぼ]父親が大嫌いです - 岡田斗司夫公式ブログ


僕はこれを読んでいて、西原理恵子さんのこの話を思い出しました。

ダ・ヴィンチ』2007年9月号(メディアファクトリー)の特集記事「悲しみを知った夜は『100万回生きたねこ』を読み返す」での西原理恵子さんへのインタビュー「『100万回生きたねこ』は、”負のスパイラル”を絶つ話でもあるんです」の一部です。

 西原さんが『100万回生きたねこ』と出会ったのは「小6か中1のときだと思う」。場所は、地元の図書館だった。
「まわりには、目が合っただけで殴りかかってくるような、いじわるな子供ばっかりで。だからいつも学校の図書館や市民図書館にいましたね。現実にはいやなことばっかりなんだから、本にだっていやなことばっかりあってほしかったのに、絵本にはいい子供ばっかり出てくる。『十五少年漂流記』とか『ロビンソン・クルーソー』を読んでも”全然漂流してない! うちのほうがよっぽど漂流してるよ!”って(笑)。
 でも『100万回生きたねこ』は、すとん、と落ちた。ぜんぶ”だいきらい”で”しぬのなんか へいきだったのです”っていうのを見て、ほんとそうよね!って、すごく共感して、ひきこまれました。
 けれど当時、終わりのほうで”とらねこに家族ができて幸せになる”という部分だけは、理解できなかったのだという。
「これは何?って。自分の環境と照らし合わせて、家族を持つのは不幸になることだと思っていた。その分働いてお金を稼がなくてはいけないわけだから、子供は足手まといで疎んじられる存在なはずだ、と。うちはお金がなくて、親がいやなケンカばっかりしていたんですよ」
 ようやくラストに納得したのは、
「やっぱり子供を産んでから。子供は、負担になるものじゃないんだってことがわかったんです」
 とらねこが何度も死んでは生まれ変わる「輪廻」の部分については、出産後よく考えるようになったのだという。
「息子や娘を見て、この子はどこから来たのかな? どこへ行くのかな?と。佐野さんがこの絵本を書いたとき、もうお子さんがいたでしょう。子供を産んだ人は、輪廻転生のことを考えるようになるのかなぁと思った」
 今年の春、西原さんはパートナーであり、子供たちの父親であるジャーナリストの鴨志田穣さんを腎臓がんで亡くした。葬儀のとき、西原さんの友人の医師・高須克弥さんが、こう言ってくれたのだという。
「息子たちを指差して『人間は遺伝子の船。あんなに新しい乗り物を用意してもらった鴨志田さんは、本当に幸せだった。新しい船に乗り換えたのだから古い船のことはもう忘れていいんだよ』って。実際、息子はささいなクセが、どんどん父親に似てきている」

 僕は西原さんの『毎日かあさん』などの「家族モノ」の著作から、西原さんは昔から面倒見がよくて子供好きな人だったのではないか、というイメージを持っていたのですけど、このインタビューのなかで、西原さんは「家族を持つのは不幸になることだと思っていた」と告白されています。そして、子供のころ貧しかったがために、売れっ子になってからでさえ、自分、そして自分の家族が「『負のスパイラル』に陥るのではないか?」と苦しんでいたということも。

 
 僕は、自分が「親」になるまで、ずっと、「そんなに『子供』とか『家族』って立派なものなの?」と考えていました。
 傍からみれば、「子供のため」「家族のため」という錦の御旗を掲げて自分のワガママを正当化しているだけのように見える人って、けっこういますしね。


 この岡田さんに相談している女の子の「母親」は、「お前のために、離婚はできない」と言っているのではないでしょうか。
 僕は自分が子どもだったとき、そういう親の言葉が「子どもを言い訳にしている」ようで、すごく嫌でした。
 でも、自分が親になってみると、やっぱり「子はかすがい」だと痛感しています。
 誰かが面倒をみなければ、生きていけない存在が身近にいれば、そんなに長くケンカもしていられないし。


 先日、うちでも夫婦のあいだで、けっこう激しい諍いがありました。
 それをじっと悲しそうに見ていたもうすぐ3歳の息子が、僕たちの間に割って入って、泣き始めたのです。
 僕はその息子の姿をみて、「ああ、3歳のときの僕がここにいる……」と思わずにはいられませんでした。
 あの頃、自分がいちばん悲しかったことを、親になった自分が、我が子の前でやっている……


 「負の連鎖を断ち切る」というのは、本当に難しいことです。
 人は、「わかっているつもり」なのに、嫌だった「昔、自分がされたこと」を繰り返すしがちなのです。
 部活で1年生のときにイヤでイヤでしょうがなかった「シゴキ」なのに、自分が上級生になると「それがこの部の伝統だから」ということで、後輩に同じことをしてしまう。
 虐待された子どもは、親になって子どもを虐待するようになることが多い、というけれど、「負の連鎖」を断ち切るというのは、本当に難しい。
自分が親になってみると、「虐待」が「教育」なのだと、信じようとしてしまう。
 前述した部活の「伝統」と同じように、人は「自分がされてきたこと」に、引きずられてしまいがちで、「それを打破して、新しいやりかたを自分で作り出す」ことには、大きな困難が伴います。

 たとえそれが「負の方向」であっても、その流れにのって、思考停止してしまえば、ラクではあるんですよね。


 自分に「負の遺産」を遺してくれた人を恨むときもあると思う。
(というか、恨むときばっかりですよね、基本的には)
 でも、「負のスパイラル」を断ち切れるのは、自分自身だけなのです。
 そして、そのためには、あるいは、それだけのために、一生を費やすことになるかもしれません。
 でもね、これはきっと、「誰かがやらなければならない仕事」なんだよ。


西原さんの話にはこんな続きがあります。

 そして、鴨志田さんの生き方は、『100万回〜』のラストとも重なる気がするのだという。
「とらねこが”負のスパイラル”を絶って死んでいった、とも読めるんですよね」
 アルコール依存症だった鴨志田さん。一度は離婚して家を出たが、施設に入り、克服。亡くなるまでの半年間はもう一度、西原さんと子供たちと共に暮らすことができた。
「家に戻ってきたときは、『子供に渡すことなく自分の代で、アルコール依存症のスパイラルを絶つことができた』ってすごく喜んでいましたね。ちゃんと人として死ねることがうれしいって。鴨志田の親はアルコール依存症だったから。負のスパイラルについては、ふたりでよく話し合っていた。生い立ちが貧しいっていう自覚がお互いにあって。また貧困家庭を作ってしまうんじゃないか、と私もずっと心配だった。だから、とにかく仕事をしてお金を稼ごう、とずっと思っていた」

 とりあえず、僕もがんばります。
 西原さんほど稼ぐことはできなくても、「負のスパイラル」から子どもが逃れられるように。
 不思議なもので、自分が親になってみると、この女の子の「公園で水遊びをして肺炎になった話」みたいなのが、「親も僕を喜ばせたくて、一生懸命だったのかもしれないな」なんて、ふと思えてくるときもあるしね。


この世でいちばん大事な「カネ」の話 (角川文庫)

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100万回生きたねこ (講談社の創作絵本)

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