琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

「スティーブ・ジョブズは、彼が自身に課したゴールは全て成し遂げたよ」

スティーブ・ジョブズのことを、少しだけ僕も語っておきたい。
彼が、スティーブ・ウォズニアックとともに、ガレージでApple2をつくりあげたという伝説を子守唄のようにしてマイコンマニアになった世代としては、ジョブズの死は、ひとつの時代の終焉だから。
ジョブズは、その理念や思想において、僕たちに大きな影響を与え、彼が作った製品において、実際に僕たちの生活を変えてみせた。
思想と生活、双方にこんなに影響を与えた人物は、歴史上、ジョブズの他にいるだろうか?


……というような、ジョブズの仕事の話は、たぶん、ここで僕なんかがしなくても、もっと詳しい人たちが、してくれるはずだ。
 僕はただ、ジョブズの訃報を聞いて、いま本当に感じていることだけを書こうと思う。


CNET Japanは、こう伝えている。

Steve Jobs氏の遺族が次のような声明を発表した。
 Steveは、家族が見守るなか、静かに息を引き取りました。
 Steveは、世間ではその先見性で知られていましたが、プライベートでは家族を大切にしてくれる人でした。ここ1年の闘病中に祈りを捧げてくれた多くの人々に感謝します。また追悼を望む方々のためにウェブサイトを設置する予定です。
 Steveへの思いを共有してくださる皆様の優しさやサポートをありがたく思っています。多くの方がわれわれとともに死を悼んでくれることを承知しつつ、われわれが悲しみに暮れる間はプライバシーを尊重してくださるようお願いします。

僕は、ジョブズの訃報を聞いて、彼が以前ある雑誌のインタビューで、こんなことを言っていたのを思い出さずにはいられなかった。

 やりがいというのは、会社をつくったり、株式を公開したときにだけ感じるものではないんだ。
 創業は親になることと同じような経験だ。子供が生まれたときはそりゃあメチャメチャうれしい。でも、親としての本当の喜びは、自分の子供とともに人生を歩み、その成長を助けることだと思う。
 ネットブームを見て問題だと思うことは、会社を始める人が多すぎるということじゃなくて、途中でやめてしまう人が多すぎることなんだ。会社経営では、ときには従業員を解雇しなければいけなかったり、つらいことも多い、それはわかるよ。でも、そんなときこそ、自分が何者で、自分の価値がなんであるかがわかるんだ。
 会社を去れば、大金が転がり込むかもしれない。だけど、ひょっとしたら自分の人生でもっと価値あるすばらしい経験をする機会を放棄してたのかもしれないんだ。

ジョブズは、順風満帆の人生をおくってきたわけではなかった。
大学を中退して、ヒッピーみたいな生活をおくっていたこともあったし、Apple2を実際につくったのは、もうひとりのスティーブ、ウォズニアックだった。
彼は自分がつくったアップル社を追われ、ギリギリのところでピクサーが成功し、アップルに戻ってきた。
アップルに戻ってきてからも、強烈なカリスマ性とともに、ワンマンな経営方針とエキセントリックな性格に泣かされた人は、けっして少なくない。


今回、ジョブズがアップルのCEOを辞任した後、ジョブズの「いまの姿」の画像が、ネットで公開されていた。
異常なやせ方、精気が乏しくなった表情をみると、「これはいつまでもつのだろう……」と考えずにはいられなかった。


昨日の訃報を耳にして、多くの人が嘆き悲しんでいたけれど、僕は正直、「思ったよりも早かったけど、いずれ来るべきものが、今日来たのだな」と感じた。
むしろ、ジョブズが戦ってきた膵がんと、その進行度を考えると、ジョブズは、ものすごく長生きをして、ここまで生き延びてきたのだと思う。


ジョブズの訃報は、寂しいし、悲しい。
でも、その一方で、僕は彼がひとりの人間として、父親として「やれるだけのことをやり尽くしたこと」に、拍手と畏敬の念を贈りたい。


少し前、ジョブズがアップル者のCEOを辞任した際に、こんなエントリを読んだ。

参考リンク:Long Tail World: 隣のジョブズ:My Neighbor, Steve Jobs - @lisenstromberg

ニューズウィークウォール・ストリート・ジャーナルやCNETは相変わらずスティーブ・ジョブズ時代の影響についてウダウダ報じているが、私の胸を去来するのは執筆で使うMacBook Airでも通話で使うiPhoneでもない。引退と聞いて真っ先に浮かんだのは、氏が息子の高校卒業式に出た日のことだ。スティーブは立ち上がって頬を伝う涙を隠しもせず満面の誇らしげな笑顔で見送っていた。卒業証書を受け取って自分の輝ける未来に歩き出す息子を。それは、これに勝る遺産がないことを誰よりもよく知っているひとりの良き人間、良き父親の姿だった。

僕は同じ頃、がんとの闘病が終わりつつあるジョブズの写真に驚いていたのだが、この「ジョブズの隣人の話」を読んで、涙が止まらなくなった。


ああ、スティーブ・ジョブズは、人間として、父親として、「自分の役割を果たし終えた」のだなあ、って。
この時のジョブズは、自分の病気のこともある程度は知っていただろうし、「残された時間」についても、覚悟はしていたはずだ。


息子の「旅立ち」を見守っていたジョブズは、とても満たされた気分だったにちがいない。
人類に「コンピューターが当たり前のようにそこにある時代」をもたらし、息子は、高校を無事に卒業し、大人への一歩を踏み出した。
残されている時間を自覚していればこそ、この瞬間、スティーブ・ジョブズは、とても、しあわせだったはずだ。


この卒業式のとき、スティーブ・ジョブズ自身もまた「人生の卒業証書」を受け取ったのではないかと思う。


56年という生涯は、アメリカや日本の平均寿命を考えると、少し短い。
家族や周囲の人、そして、彼自身も、できることなら、もうちょっと長生きできたらな、と思ってはいたのだろう。


それでも、ひとつ言えることは、スティーブ・ジョブズは、紆余曲折を経ながら、アップルの社長として、そして何より、ひとりの夫として、父親として、「やり遂げた人」なのだということだ。


スティーブ・ジョブズは、立派に人生を完走した。
最後まで、立ち止まることも、歩くこともなく。
いろいろあったけど、たぶん、幸せで、面白い人生だったんじゃないかな。


ジョブズの最初のパートナーであり、ともにガレージでApple2をつくったスティーブ・ウォズニアックは、ジョブズにこんな言葉を贈っていた。

「人は人生にゴールをもうける。スティーブ・ジョブズは、彼が自身に課したゴールは全て成し遂げたよ。」

本当に、その通りだと思う。
これは、「盟友」からの、最大の賛辞だ。
仕事だけじゃなく、家庭人としても、ジョブズは「全てを成し遂げた」。
そんな人間、「歴史」がはじまってから、これまでに何人いただろうか?


あの「ガレージ伝説」を耳にしてから、僕にとってのあなたは、「憧れすぎて反発してしまう先輩」みたいなものでした。


でも、今日だけは素直に言います。
ありがとう、スティーブ。
あなたと同じ時代に生きることができて、本当に面白かった。
もしパソコンやネットがなかったら、僕はいま自分が何をしているか、想像もつかないよ。
あなたと同じ時代に生きたことを、僕はずっと、子供たちに語りつづけます。

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