琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

落ち着かない結末の『アリとキリギリス』

夏休みにバリ島へ行ってきました。
そこから少し足を伸ばして、ジャワ島にある世界遺産・ボロブドゥール遺跡を観てきたのですが、遺跡見学の前に、研修センターみたいなところで、遺跡の説明ビデオを見せられたのです。
かったるいなー、目の前にボロブドゥールがあるんだから、さっさと「本物」を観ようよー、などと思いつつ観ていたのですが、これがけっこう面白かった。
というか、遺跡のレリーフ(壁に刻まれた装飾画)の「意味」は、こういうふうにして予備知識を得ておかないとわからないので、たしかに「あーこの細かいの彫るのは、大変だっただろうね」で終わってしまったのではないかと思います。

そんな「レリーフ」のなかに、動物の寓話を描いたものが多数あるそうです。
そのビデオを観ていて、なんだか違和感がすごくあったので、ここで御紹介しておきます。
ビデオを一度観ただけの記憶なので、登場する動物は間違っているかもしれませんが、話の概略はこんな感じだったはず。

 あるところに、鳥と猿がいました。
 鳥は日頃からせっせと巣をつくっていたのですが、猿は気ままなその日暮らし。
 そこに、激しい雨が振ってきました。
 鳥は巣に入り、濡れずにすんだのですが、猿はびしょ濡れになりました。
 鳥は、猿に向かって言いました。
「日頃から、ちゃんと準備をしていないから、そんな目に合うんだよ。自業自得さ」
 それを聞いた猿は、腹を立て、鳥の巣を破壊してしまったのです。

 結局、鳥も猿も、雨でびしょ濡れになってしまいました。

 一頭のライオンがいました。
 ライオンのくせに臆病で、シマウマにもバカにされ、追いかけられては逃げ回っている始末。
 それを見かねた猿は、ライオンに言いました。
 きみはライオンなんだから、もっと自信を持てよ。
 そうだ、僕がこうやってヒモで縛ってずっと側にいて、君がバカにされないように見ていてあげるよ。
 ところが、シマウマにバカにされたライオンは、やはり大パニックに。
 猿は、逃げ回るライオンに引っ張られ、地面を引きずられて、あわれにも、ボロボロになって死んでしまいました。

なんかこの2つの寓話、すごく違和感がありませんか?
僕は前者を観ながら、ああ、『アリとキリギリス』か、後者には『虎の威を借るキツネ』の話だな、と思っていました。
ところが、いまから1000年以上前の仏教の寓話では、同じような設定でも、こんな結末になってしまうのです。

ちなみに、解説によると、前者は「自分がうまくいっているときは、他人に自慢するより、手を差し伸べてあげたほうがいい」、後者は「自分より力が強いものに、むやみにかかわると危険である」という「教訓」をあらわす寓話なのだそうです。


こういう「童話」とか「寓話」には、「グローバル・スタンダード」というか、「人類に共通する叡智」が示されていると、なんとなく考えていたのですが、実際は、必ずしもうそうではないようです。
 時代や宗教、文化的背景によって、「教訓」は、多種多彩。
 そう考えると、いま日本で語られている「寓話」というのも、「絶対的な正解」ではないんですよね。
 いやむしろ、「キリギリスがアリから略奪を行う」ほうが、リアルなのかもしれません。

ちなみに、「人類共通」的な寓話も、もちろんあるんですけどね。
たとえばこういうの。

昔、昔、一つの胴体に二つの頭を持つ鳥がいました。上の頭はいつも高いところにあるおいしい木の実を食べられたのに対して、下の頭はいつも上の頭が食べ残す残りかすしかありつけません。下の頭は一生懸命上の頭に訴えました。「もっとこっちにもおいしい食べ物を分けて。」
でも、上の頭は聞く耳を持ちません。「どうせ同じおなかに入るんだから、一緒じゃないか。」
下の頭はくやしさのあまり、毒の入った実を食べました。
そして、二つの頭とも、毒によって、死んでしまいました。



ちなみに、この話のレリーフっていうのは、こういう石版です。

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