琥珀色の戯言

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電化文学列伝 ☆☆☆


電化文学列伝 (講談社文庫)

電化文学列伝 (講談社文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
作品中の家電製品の描かれ方を軸に文学を語る、新しくて深い書評エッセイ。小川洋子博士の愛した数式』のアイロン、吉田修一『日曜日たち』のリモコン、花輪和一刑務所の中』の電気カミソリなど、作家が作品世界をどう構築するのか、その秘密が明かされる。書き下ろし短編小説、「導線」収録。

うーむ、最初の3分の1くらいまではけっこう面白かったのですが、正直、最後のほう、長嶋さんの自作が連チャンするあたりでは、読み疲れてしまいました。
僕は電気製品好きだし、小説世界の小道具としての電化製品の使い方を、実作者である長嶋さんが語るという発想そのものはすごく面白いのだけれども、正直、採り上げられている作品に、僕が魅力を感じたものが少なくて。
そういう意味では、『センセイの鞄』の「電池」についての、こういう語りは、かなり印象的でした。

 さまざまな「物」の使用後を思ったとき、電池ほど存在感の変わらない「物」は、ちょっとない。切れた電球は、端が黒ずんでいるのに対し電池はどうか。たとえば部屋のリモコンの調子が悪くて、裏蓋を開ければそこには二本の電池があるだろう。それがなんというか、いかにもまだまだ使えそうだ。買ったときと同様にツルッツル。ドアを開けたら同じ景色で、ふむふむと納得し、久しぶりに開けたらやはり同じ景色というくらいに。新品同様。むしろリモコンそれ自体の方が、長く使い込むと、よく押すボタンから文字表記はかすれ、プラスチックも手垢で古ぼけていく。
「懐中デントウ」も「掛時計」も「ヒゲソリ」も「ラジオ」も、つまりセンセイが使ってきたさまざまな電化製品も、故障したときはそれなりに古びた姿をみせていたはず。

作家というのは、ここまで「小道具」に気を遣っているのか、と感心するのと同時に、やっぱり長嶋さんの「電化製品への偏愛」みたいなものを意識せずにはいられないのです。
この書評エッセイを読んでも、「この本を読んでみたい!」という気分になった作品は少なかったのだけれど。
それはやはり、電化製品が出てきて、しかもそれがテレビやラジオやパソコンなどの「小道具としては、ありきたりなもの」ではいけない、という「縛り」が、けっこうキツかったからではないのかな、と考えてしまいます。
長嶋さんの「電化製品エッセイ」のほうが、僕にとっては「読んでみたい本」だなあ。

それにしても、僕にとっての長嶋さんというのは、ものすごく「同世代感」がある人です。

 家に新たな電化製品がやってくること、それ自体に高揚があるのだと思う。「便利さ」もだけど、それ以前にただの「変化」がもたらされるということが象徴される。観葉植物の鉢植えを持ち込むのよりさらに、変化を自ら指向した感じもする。それはなぜかというと、電化製品が安いものではないからだ。安くない金額を一時に、自分(の暮らし)に投じた。そのことの高揚。
 だから少し話はずれるが、僕は最近の大型の家電量販店で、高価な電化製品を簡単に買えてしまうことに拍子抜けの感がある。こちらにお座りください、こちらにご記入ください、在庫取り寄せになります……そういった時間のかかるやりとりで、電器屋のソファに座らされ、何度か頷いたりしてみせるやりとりがあったはずが、最近は、いきなりカードを渡されて「レジでおみせくださーい」といわれる。
 レジでは保証書の記入すら「後でこちらのシールをお貼りになってください」で、手早く「取っ手」をつけて持たされる。ボールペン一本買ったときみたいに「シールで(袋にお入れしなくて)いいですか」と言われるような軽さ。えぇーって思う。もっと厳かに面倒にしてくれないか。

僕も「あまりにも手軽に、10万円もする電化製品が買えてしまうこと」に拍子抜けしてしまい、なんかちょっと残念な気分になることがあるのです。
長嶋さんのように、うまく言葉にすることはできなかったのですが、これを読んで、なんだかすっきりしました。
本当にうまいよなあ。

正直、書評エッセイとしては、「ちょっと企画にムリがあったかな……」という気がするのですが、長嶋さんのファンなら、という感じです。
僕としては、「作品中のテレビゲームの描かれ方」の書評エッセイを、今度は書いていただきたい。


長嶋さんの『パラレル』という作品より。

(1991年の主人公の友人・津田の部屋の描写)

 当時の津田の下宿はフローリングのワンルームで、家賃高いんだろうなあと正直に感想を述べたら「まあね」と、特に悪びれもせずにいうのだった。津田の父親は社長だという。調度は無印良品ではなかったと思う。テレビゲームが三台もあった。黒いのと、灰色のと、白くて小さいのとがスチールのラックに上手に収まっていた。それで夜通しゲームをした。

もう、これだけで、というか、この機種名をあえて書いていないところに、僕にとっての「同世代感」があるんですよね。
いや、たぶんみんなわかってくれないだろうけど。

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