琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

「ソーシャルゲーム」なんて、もう怖くない。

参考リンク:ゲームの奥を浅くしろ。ゲーム業界の次の一手を考える。 - わかりやすさを、コーディネート


何かと風当たりの強いソーシャルゲームなのですが、僕はああいうゲーム(と、その運営会社)が、どのくらい今の勢いを持続できるのか、非常に疑問なのです。

「これが新しいかたちなのだ」
「遊びやすくて軽いものに一度ハマってしまったら、もう元の重厚なゲームには戻れない」


実は、何年か前、僕はこれと同じような「世代交代」を目の当たりにした……ような気がしていました。

ケータイ小説」が大ブームになったときのことです。

あの頃も、「読書家」たちは、「あんなの小説じゃねえ!」と罵倒しながらも、あまりに『恋空』とかが売れまくっていたので、ちょっと不安になっていたんですよね。

ところが、「ケータイ小説」は、あっという間に下火になり、いまでは、書店でその手の小説を探すのも難しくなりました。
いわゆる「普通の小説」が、「ケータイ小説的」になった面はあるのだとしても、終わってみれば、「単なる一過性のブーム」でしかありませんでした。


参考リンクにもあるように、ソーシャルゲームというのは、携帯電話で遊びやすいように、ワンクリックで操作できる、シンプルなゲームがほとんどです。
しかしながら、「ワンクリックで遊べる、シンプルで面白いゲーム」に、そんなに多くのバリエーションはありません。
GREEやモバゲーは、昔の名作ゲームを「ソーシャル化」して無料で遊べるようにしてもいます。
でも、いま人気のソーシャルゲームは、みんなシステムが似通っています。


無料でもそこそこ遊べるけれども、ゲームの進行をスムーズにしたり、レアアイテムを手に入れるためには、お金を払うと圧倒的に有利になれる。

いまのところ、オンラインゲーム(ソーシャルゲームもそのひとつの形ですから)の課金形態というのは、「月額○○円」というものか、「基本無料でアイテム課金」のいずれかがほとんどです。
逆にいえば、「そういう課金ができるようなシステムのゲーム」じゃないと、ソーシャルゲームとしてはうまくいかない、ということです。
ソーシャルゲームの場合には「基本無料でアイテム課金」が現在の主流。
それが、「ソーシャルゲーム」というジャンルの枠を、とても狭いものにしてしまっています。
「無料でもそこそこ遊べる」し、「お金を遣うとすごく有利になった気がする」というゲームバランスは、ものすごくコントロールが難しいでしょうし。

いまはまだみんな、「ソーシャルゲームそのものに慣れていない」から、お金を払っても先に進んだり、他の人よりも強くなりたいと思うだろうけど、そのうち、「どのゲームも似たようなもの」であることに気づいていくはず。
そして、「このゲーム内で、どんなに勝っても、現実は変わらない」ことにも。


なんのかんの言っても、パチンコ業界が生き延びていけるのは、「換金できるから」なんですよね。厳密には法的な問題があるというのはさておき。


ソーシャルゲームとパチンコを比較してみると、僕もソーシャルゲームのほうが、依存の対象としては、はるかにマシなんじゃないかと思うのです。
ソーシャルゲームがパチンコに比べて問題になるのは、24時間いつでもできるというのと、子供もアクセスできるということ。
ただし、ああいうシンプルなゲームを24時間やるのはけっこうつらいし、中毒性のある遊びは、ソーシャルゲームだけではありません。


大人であれば、「趣味」や「娯楽」にある程度出費するのは、他人から責められることではありません。
正直、めんどうな上司との付き合い酒のために1カ月に1万円出費するのであえば、それを断って、ソーシャルゲームに使ったほうがマシなんじゃなかろうか。


ソーシャルゲームなんて、バカがやることだ」
「あんなの出会い系の温床」
「くだらないゲームで儲けやがって、許せん」


ネットでは、そういう主張がけっこう目立ちます。
でもね、じゃあ、もし誰かがソーシャルゲームをやめたとして、その人は英会話教室に通ったり、ジョイスの『ユリシーズ』を読みはじめたり、ジョギングをしたりするのか?って話です。
しないですよ、もちろん。
というかむしろ、そういう「正しくて有益なこと」をやるのが面倒だから、「暇だなあ」なんて言いながら、ソーシャルゲームをやっているのです。
出会い系として利用する人は、GREEやモバゲーがなくなったら、他の手段を使うだけです。
あえて言うなら、「インターネットそのものが、出会い系の温床」なのです。
(だからといって、もう野放しにしてしまえ、というわけにもいきませんけど)


そういえば、僕が子供の頃、テレビゲームも「あんなの目と頭が悪くなって、凶暴になるだけ」だとバッシングされていました。
ところが、いまの時代、ゲームデザイナーは「日本を代表するクリエイター」だし、ゲームにハマっていた子供たちが大人になり、「ゲームに影響された文化」をつくりあげています。
もう40歳になってしまった僕としては、いまさら「ケータイ小説文化」とか「ソーシャルゲーム文化」に飛びこんでいく気にはなれませんが、もし、ソーシャルゲームが一過性のものではなく、長期にわたって多くの人に愛されるのならば、そこにはまた「文化」が生まれてくるはずです。


でもね、率直なところ、ソーシャルゲームは、すでに、ゲームとしては進化の袋小路に入ってきていると思うんですよ。
GREEとモバゲーが、お互いに「似たようなゲームをつくりやがって!」と争っているのは、「儲かるソーシャルゲーム」の鉱脈にはすでに底がみえていて、今後、新しい大きな鉱脈を見つけられる余地が少ないことを、彼ら自身も理解しているから、なのかもしれません。

もちろん、ソーシャルゲームがすぐに消えてしまうことはないだろうけど、このまま右肩上がりの成長を続けていくことも、まずありえません。
というか、いまのように、似たようなシステムのゲームが濫発されている時点で、もう、「終わり」は見えてきているのです。


ソーシャルゲームが、ゲーム界を支配するなんてことには、おそらくならないだろうと思います。
ケータイ小説が、書店をあっという間に席巻し、あっという間に消えていったように、ソーシャルゲームも、「おさまるべきところにおさまる」ことになるでしょう。


個人的には「こんなことがソーシャルゲームでできるのか!」と驚かされるようなものを、見てみたくもあるのですけどね。

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