琥珀色の戯言

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ヤクザと原発 福島第一潜入記 ☆☆☆☆


ヤクザと原発 福島第一潜入記

ヤクザと原発 福島第一潜入記



担当編集者から一言

暴力団専門ライターの著者が、ジャーナリストでは震災後初めて作業員として福島第一原発に潜入。高濃度汚染区域でいきなり4ミリシーベルト食らったり、熱中症で昏倒したり、汚染水で作ったセシウムスイカを食べたり……。著者ならではのヤクザと原発の密接すぎる関係も全部暴露。フクシマ50の中に3人の暴力団幹部がいることや、作業員派遣で暴利をむさぼる親分など、ヤクザにとって「最大のシノギ」としての側面もたっぷりと伝えます。

福島第一原発に作業員として潜入し、働きながら隠しカメラなどで取材を行っていた、ジャーナリストの鈴木智彦さんの著書。
この本の発表にあわせて、外国特派員協会で会見を開いた際の鈴木さんの言葉
「事故直後、東電は(下請け)各社に死んでもいい人間を集めてくれと指示しました」
というのがものすごくクローズアップされていて、「東電批判」の本なのかと思っていたのですが、内容はまさに「原発作業員として鈴木さんが『現場』を見て、体験したこと」です。
どんな人たちが、どんな状況の「福島第一原発」で働いていたのか?
僕が知る限り、ここまであのときの現場の状況を生々しく語っている本は、他にはありません。

 元々現場では誰一人として、政府が東電に作らせた事故収束までの工程表を守れると思っていない。協力企業の多くが「それぞれの会社の作業員の数が倍になって、奇跡的に毎日の天候が作業を阻まず、なんの事故もなく、すべてがスムーズに運んで、ようやくあの工程表が実現する」というのだから、まず間違いなく遅延するだろう。
 どれだけ政府が圧力をかけようと、東電が懇願しようと、現場では実際に作業を行う人間の発言力が強い。協力企業の発言力は送り込んでいる作業員の数に比例する。当時の1Fは、それぞれの作業員が持つ高いモラルにより、かろうじて安全が担保されている状況だ。実際、やり放題、好き放題しようと思えば可能である。一例を挙げれば、カメラを協力企業の作業員に渡し、写真を撮ってきてもらっている出版社がかなりある。10万円から20万円の現金をくれるので、作業員にとってはいいアルバイトだ。作業員が宿泊しているいわき湯本の旅館では、カメラマンが差し入れを運んでくる姿をよく見かけた。
 マスコミの他、いわき湯本にはおかしな市民団体もやってくる。作業員に手当たり次第測定器を当て、「あなたも放射能に汚染されています!」と金切り声を上げるのだ。私が目撃した市民団体は、原発で作業していない人間に対しても「汚染されています!」と叫んでいた。本気で反原発運動をするなら、正確な知識を学び、まともな測定器を買うべきだろう。

原発で作業をしていた人たちだって、全員が「日本のために善意で働いている人たち」ではありません。
原発がなくなったら、仕事を失ってしまうから」という人たちや、「割のいい仕事だから」という理由の人もいますし、「国やみんなのため」+「給料が高いから」という「合わせ技」の人だっています。
でもまあ、いちばん「異常」なのは、ここに出てくる「おかしな市民団体」ですよね。
こういう人たちは、何がしたいんだろう……
ネットにも、こんな感じの人が少なからずいるけれど、これで誰を幸せにしようとしているのか……


僕がいちばん考えさせられたのは、以下の話でした。

 いわき湯本近辺を宿にしている作業員に密着しているうち、分かってきたことがあり、作業員の多くは放射能に関する専門的な知識を持っておらず、毎日のニュースすら知ることが出来ない情報弱者という事実である。
「旅館のフロントに新聞は置いてあるけど、毎日疲れちゃって読む気がしない。テレビのニュースを録画しておきたいけど、部屋にビデオなんてない。インターネット? 携帯ならあるけど、パソコンなんて持ってきても無意味だ。ビジネスホテルならともかく温泉旅館にLANケーブルなんてない。元々みんな肉体労働してんだし、無線で繋ぐほどのマニアはいない」(協力企業の現場監督)
 実際、7月初め、4号機の使用済み燃料プールの温度が上昇し、作業員に避難命令が出される直前だったのに、作業員の多くは深刻な事態だったと認識していない。
 他の部署がなにやってんのか……1号機担当なら2号機や3号機、4号機がどうなってるのかさっぱりわからないし、知ったところでどうにもならない。あんまり考えすぎると作業が進まないからな。工程表通りに作業が進むわけがないけど、最小限の遅れで済ませたいと、誰もが思ってる。晩発性の癌? そんなこと考えたってしかたない。なるようにしかなんねぇよ」(いわき湯本を宿にしている協力会社社員)
 自分がどれほど危険な作業をしているか漠然としか理解していない上、新たな情報を得ることもできず、慣れが恐怖心を鈍化させるのだろう。誰に強要されたわけでもなく、自分の意思で現場に入っているのだから、自業自得・自己責任と結論づけるのは簡単だ。が、現場の過酷さを考えれば、作業後、または休日を使い、情報を得るための努力をしろと強いるのは酷である。

こういう「よくわかんないまま、原発で作業をしていた人たち」を、「情弱(情報弱者)」とバカにできるでしょうか?
理由はどうあれ、あのとき、命の危険を顧みずに原発で作業をしてくれた人たちがいなければ、状況は、いまよりもっとひどくなっていた可能性が高いのです。
「死んでもいい人間を集めろ」という言葉は、あまりにも酷いとは思います。
でも、あの原発事故のときの大部分の日本人の本音は「(自分や家族や大事な人以外の)誰でもいいから、原発をなんとかしてくれ!」だったのではないでしょうか。
極端な話、それがヤクザであれ、犯罪者であれ、「情報弱者」であれ、「なんとかしてくれるのなら、構わない」という、切実な気分だったはずです。
「危険をよく知らなかった人たちに、そんな仕事をさせるなんて卑怯だ」
それは、確かにその通りです。僕だってそう思います。
その一方で、「じゃあ、お前が『みんなのために』危険を承知で行ってくれるのか?」と問われたら、「わかりました」と言える人がどのくらいいるのだろう?
僕には、無理です。


東電は人間を使い捨てにする、ひどい企業」だと断罪することは、いまの世論のなかでは、そんなに難しいことではありません。
しかしながら、劣悪な環境で作業をする人たちを「英雄」として持ち上げることは、「そんな危険な仕事を他人に任せざるをえない人間」の罪の意識のあらわれでもあるような気がします。
いくら「東電が悪い」「政府が悪い」と叫んでみても、誰かがあの現場で実際に作業をしなければ、状況は改善しないのですから。

 ソープの他、毎日、誰かを誘って飲みに出た。相部屋で本音を聞き出すのは無理だし、酒が入れば自然と口が軽くなる。何人かに話を訊くうち、ようやく作業員の実像がみえてきた。彼らが日本のために尽力していることは事実である。が、これだけの事故が起きても、東電を本気で批判する作業員は少数だ。
「なんもかんも津波が悪い。あんなに大きな津波が来るなんて誰も思わないっぺ」
 上会社の責任者は、東電の言う”想定外”という言葉をそのまま繰り返した。
原発は安全だ。事故は仕方がなかった」
 もちろん、細かい部分での不満はたくさん訊いた。が、原発で飯を食っている人間にとって、東電は神様的存在であり、生活を支えてくれる恩人なのだ。3月のようにきわめて線量が高かった時分ならともかく、私が勤務した7月、8月に関していえば、作業員たちの多くはこれまでの人間関係のしがらみ、もしくは金のために現場に出ていたように思う。その点、ふつうの労働者と変わりはない。
「本当はもう辞めようと思ってたのよ。重機の免許もあるし、二種免も持ってるから、他の仕事に就こうと思ってた。でも社長から電話もらって、金もいいし、今更他の仕事さがすのもしんどいし」(40代の作業員)

この本での鈴木さんのルポの貴重なところは、「意識の高い知識人」の話ではなくて、こういう「現場の人たちの気持ち」が、そのまま書かれていることでした。
僕だって、東電に責任が無いとは思いません。
そもそも、原発なんてものを作る必要があったのかが、最大の問題点でしょうし。
ただ、多くの企業のなかで、東電は突出して悪質なのだろうか?と疑問にもなるのです。
むしろ、「全部東電のせい」にしてしまうことによって、もっと本質的な「日本の(あるいは世界の)企業そのものの問題」が、検討されないままになってしまうのではないか、と考えてしまいます。
この本のなかに書かれている「態度の悪い大企業の正社員」の話を読んでいると、「やっぱり大企業はダメなのかな……」という気分にもなるんですけどね……


そして、原発反対派に「話をつける」ことや、地元の人たちの「利益をとりまとめる」ことに、とくに東日本では、ヤクザがかかわっているし、それを企業側も見て見ぬふりをしているという現実が、この本のなかでは語られています。

 親分は気乗りしない様子で話し始めた。
「儲け方は……いろんなやり方がある。地域ごと、組織ごと、食い込む方法は違うだろう。組織のてっぺんたちは、自分の勢力範囲に原発が建設されるだけで、黙っていても金が入るようになっている。よくいう近隣対策費。名目なんてどうでもいい。それをしなきゃ、まともに話なんて進むわけない。
 なにをするって? 決まってるだろ。邪魔するのさ。右翼を使ってもいいし、末端の若い衆を暴れさせてもいい。すんなり金は落ちるね。会社のほうでも織り込み済みの経費なんだろう。電力会社……知らないわけがないと思うが、この時代、さすがに直接の接点はない。窓口になるのは建設業者だ。俺たちにとっては幼なじみの同族だからな。
 これは原発だけの話じゃない。原発だけを分けて考えるからおかしなことになるんだ。火力でも水力でも原子力でも、やり方としちゃ変わらない。民間の工場は建設される場合でもそうだ。規模のでかいみかじめ料ってヤツだ。でも民間の工場はどんどん海外に進出している。大手メーカー、製造業のほとんどは、人件費の安い国に工場を新設するようになった。たった一つの例外が発電所だ。こればっかりは海外に作るわけにはいかねぇ」
 親分の証言通り、円高が進んで企業の海外進出が加速しても、発電所を国外に移転することは不可能だ。公共工事と並び、巨額の資金が投入される発電所建設という大プロジェクトを、暴力団が見逃すはずがない。

「そういう存在」がなければ、あのときに原発で働いていた人たちは「供給」されなかったのだろうか?と考えると、なんともいたたまれない気持ちになります。
「非常事態には、非常の対応が必要なのだ」
それはたしかに、そうなのだろうと思います。


「あのとき、『知識人』たちに、何ができたのか?」
 彼らは、危ない危ないと言ったり、政府や東電を批判するだけで、事態を収束させるためには、何一つ役に立っていないのではないか?
自省をこめて、僕はそう考えずにはいられません。


東電が「死んでもいい人間を集めろ」と言わなければ、自発的に原発で働く人たちが、集まってきてくれたのか?
「死んでもいい人間なんていない」のなら、原発は、あのまま放置しておくべきだったのか?


本当に、いろいろと考えさせられる一冊でした。
ネットで、はるか上空から「国益」とかを語る前に、ぜひ一度、読んでみていただきたいと思います。

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