- 作者: 沼田まほかる
- 出版社/メーカー: 双葉社
- 発売日: 2011/04/02
- メディア: 単行本
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内容紹介
亮介が実家で偶然見つけた「ユリゴコロ」と名付けられたノート。それは殺人に取り憑かれた人間の生々しい告白文だった。創作なのか、あるいは事実に基づく手記なのか。そして書いたのは誰なのか。謎のノートは亮介の人生を一変させる驚愕の事実を孕んでいた。圧倒的な筆力に身も心も絡めとられてしまう究極の恋愛ミステリー!
なんというか、僕はこの小説、嫌いです。
テレビドキュメンタリーによくあるような、「ヤンキーが更正して真人間になると、すごく周囲から評価される」というバカバカしい光景をみせられているようで(まあ、この小説の場合は、そこまで「浅い」ものではないのですが)。
そんなの「ずっと真っ当に生きている人」のほうが、よっぽど「偉い」はずなのに。
殺人鬼がちょっと「いいこと」したからって、「感動」なんてするもんか、と身構えて読んでしまうんですよやっぱり。
でも、そう思いながらも、24時くらいから読み始めて、「少しだけ読み進めておく」つもりだったのに、ついつい夜中に2時間かけて読み終えてしまいました。
オチは途中でバレバレだし、登場人物には感情移入できないし、手記は気持ち悪いし……なんですけど、「この物語を最後まで見届けたい」という気分になってしまう作品でした。なんか「引っかかる」作品なんですよ、良くも悪くも。
人間の「愛情」なんて、けっこうイビツなものだったりしますしね。
「傷を舐めあうのではなく、お互いに高めあうような関係で」って言うけれども、実際にそんな関係って、長続きするのだろうか?
人は、他人の「強いところ」「カッコいいところ」にばかり惹かれるわけじゃなくて、「弱さ」にたまらなく取り憑かれたりもするんですよね。
相変わらず、仮面と悟られない仮面をかぶって目立たないようにはしていましたが、職場というのは学校よりももっと寒々とした異様な場所でした。学校にはあった、何もしないという自由、そうしたいときにまわりと接触を断つ自由がないのです。
自分をお金で売っているわけだから、仕事を強制されるのはしかたがないとしても、仕事以外の意味のわからない人間関係にも、否応なく組み込まれなければならない、そうしないと、仕事がうまくできない仕組みになっているのです。
たとえば、ある同僚のひとり息子が小児癌で死んだときには、まだ若いその社員をみんなで囲んで口々に慰めました。
心配で眠れなかったと言う者、無常観にとらわれて仕事への意欲をなくしたと言う者、みんながついてるからがんばれと肩をつかんで揺さぶる者。誰もが暗い表情で眉を寄せ、女子社員の何人かは涙さえ浮かべています。
私もハンカチを目に当てて顔を隠しました。かぶっている仮面がひび割れてしまいそうでしたから。
特別親しくもない同僚のために、会ったこともない子供のために、誰も彼もがそれほどまでに打ちひしがれるのが変だと言う気はありません。そうではなく、それが一種の演技であることを、慰める側も慰められる側もちゃんと知っていることが変なのです。
どうしてそんな気味悪いごっこ遊びみたいなことをするのかよくわかりません。
その場はお開きになってすぐ、女子社員たちは化粧室でマスカラを塗りなおしながらケラケラ笑っていました。
ああ、カミュの『異邦人』みたいだな、なんて考えながら読みました。
でも、この考えって、きっと、誰の心にもあるんじゃないかな。それをこうして言葉にすることに抵抗はあるけれど。
この作品を読んで、あらためて考えてみると、他人の心の内って、本当にわからないよね。自分の身近に居る人にも「秘密」があるんじゃないかとか、ちょっと想像してしまうのです。
だからといって、他人に「人を殺すという欲望」に忠実に生きられては迷惑ですし、なんか死んだ人たちは浮かばれないな、と僕自身の「ユリゴコロ」を封じ込めてみようとするしかない、そんな居心地の悪さが残ります。