琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

誰かが足りない ☆☆☆


誰かが足りない

誰かが足りない

内容紹介
予約を取ることも難しい、評判のレストラン『ハライ』。10月31日午後6時に、たまたま一緒に店にいた客たちの、それぞれの物語。認知症の症状が出始めた老婦人、ビデオを撮っていないと部屋の外に出られない青年、人の失敗の匂いを感じてしまう女性など、その悩みと前に進もうとする気持ちとを、丹念にすくいとっていく。


「ひとり本屋大賞」7冊目。
うーむ、これが『本屋大賞』ノミネートか……
読みながらずっと、『田村はまだか』の劣化版みたいな作品だと感じていました。
出てくるのは「引きこもり」「認知症」などの「わかりやすい苦境にある人々」で、この人たちが集まってどうなるかというと……なんだこの寸止め感は。
すべてのテーマが登場人物の口から語られるのもなんだか薄っぺらいんですよね。
なんか超能力者みたいな人まで出てくるし。
最後に『サイボーグ009』になるのかと、一瞬期待してしまいました……


と、ひどいことばかり書いてしまったのですが、「読みやすくて、わかりやすい絶望のなかの希望の物語」と考えれば、そんなに悪い小説ではないのですよね、たぶん。
けっこう印象的な言葉も散らばっていますし。

「そっか」
 いきなり大きな声を出したので、ふたりが同時に私を見た。
「笑えばよかったんだ」
 借金だって、不合格だって、ネコババだって、男に騙されたことだって、笑ってあげればよかったんだ。だって、ただの失敗なんだから、それだけのことなんだから」
 死に至る病というのは絶望のことだと。あの本は泣ける小説でもノンフィクションでもなく、哲学書だった。
「失敗自体は病じゃないんだ。絶望さえしなければいいんだ」

ああ、確かにそうだなあ。
ところで、この「笑えばよかったんだ」って、どこかで聞いたことがあるような……
綾辻エヴァンゲリオン」(『Another』)の次は、「宮下エヴァンゲリオン」か……


ひとつのレストランで、ただ偶然一緒に食事をしているようにみえる人たちにも、それぞれの「事情」がある。
それは、人生のすべての場面にあてはまることではあります。
僕はこれを読んでいて、伊集院静さんのエッセイに書かれていた話を思い出しました。

 それから二十五年後の秋の夕暮れ、私は病院で前妻を二百日あまり看病した後、その日の正午死別していた。家族は号泣し、担当医、看護師たちは沈黙し、若かった私は混乱し、伴侶の死を実感できずにいた。
 夕刻、私は彼女の実家に一度戻らなくてはならなかった。
 信濃町の病院の周りにはマスコミがたむろしていた。彼等は私の姿を見つけたが、まだ死も知らないようだった。彼らは私に直接声をかけなかった。それまで何度か私は彼等に声を荒げていたし、手を上げそうにもなっていた。
 私は表通りに出てタクシーを拾おうとした。夕刻で空車がなかなかこなかった。
 ようやく四谷方面から空車が来た。
 私は大声を上げて車をとめた。
 その時、私は自分の少し四谷寄りに母と少年がタクシーを待っていたのに気付いた。
 タクシーは身体も声も大きな私の前で停車した。二人と視線が合った。
 私も急いでいたが、少年の目を見た時に何とはなしに、二人を手招き、
「どうぞ、気付かなかった。すみません」
と頭と下げた。
 二人はタクシーに近づき、母親が頭を下げた。そうして学生服にランドセルの少年が丁寧に帽子を取り私に頭を下げて、
「ありがとうございます」
 と目をしばたたかせて言った。
 私は救われたような気持ちになった。
 いましがた私に礼を言った少年の澄んだ声と瞳にはまぶしい未来があるのだと思った。


 あの少年は無事に生きていればすでに大人になっていよう。母親は彼の孫を抱いているかもしれない。
 私がこの話を書いたのは、自分が善行をしたことを言いたかったのではない。善行などというものはつまらぬものだ。ましてや当人が敢えてそうしたのなら鼻持ちならないものだ。
 あの時、私は何とはなしに母と少年が急いでいたように思ったのだ、そう感じたのだからまずそうだろう。電車の駅はすぐそばにあったのだから……。父親との待ち合わせか、家に待つ人に早く報告しなくてはならぬことがあったのか、その事情はわからない。
 あの母子も、私が急いでいた事情を知るよしもない。ただ私の気持ちのどこかに――もう死んでしまった人の出来事だ、今さら急いでも仕方あるまい……。
 という感情が働いたのかもしれない。
 しかしそれも動転していたから正確な感情は思い出せない。
 あの時の立場が逆で、私が少年であったら、やつれた男の事情など一生わからぬまま、いや、記憶にとめぬ遭遇でしかないのである。それが世間のすれ違いであり、他人の事情だということを私は後になって学んだ。
 人はそれぞれ事情をかかえ、平然と生きている。

うん、悪い作品じゃないんですよ。伊集院静さんのエッセイと比べてどうこうと言うつもりもありません。
でも、この小説はちょっと「軽すぎた」。
こういうの書いておけば、みんな「感動」するんでしょ?って、思われているような気がして、ちょっと悔しい。


僕にとっては、この小説「何かが足りない」。

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