琥珀色の戯言

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新聞・テレビはなぜ平気で「ウソ」をつくのか ☆☆☆☆


新聞・テレビはなぜ平気で「ウソ」をつくのか (PHP新書)

新聞・テレビはなぜ平気で「ウソ」をつくのか (PHP新書)

内容紹介
業界震撼の「癒着メモ」公開(40万メモリーク)、マスメディア堕落の構造を徹底的に究明する!
現職大臣を辞任に追い込んだ「放射能つけちゃうぞ」発言は、完全なるでっちあげだった―真相を隠蔽して虚報を流し、バレても責任を取らない。それでいて正義の旗を振りかざす横暴ぶり。
新聞・テレビの罪深き欺瞞は、「ただちに危険はない」との政府発表を垂れ流しつづけた原発・震災報道で決定的となった。政治との悪質な癒着。
ネットメディアの台頭によって、情報を管理できる時代は終わった。国民を騙しつづけた先にはマスメディアの死が待っている。ジャーナリスト休業を宣言した著者が放つ、記者クラブへの最後通告。


【内容例】番記者たちのあいだで交わされる「談合」/政府に情報を売るマスメディア/忘れてはいけない震災報道「9のウソ」/「放射能、ついていませんか」とふったのは記者/いまや中国メディアのほうがよっぽど進歩しているetc.


 いま、なにかと話題の上杉隆さんの最新刊。
「なんかまたカッコいいこと書いているんだろうけど、あの上杉さんだからなあ……また大風呂敷広げているんだろうなあ……」なんて思いながら読み始めたのですが、内容は至極真っ当というか、既存の「ジャーナリズム」の問題点が、具体的な事例とともに検証されている、なかなか読みごたえのある新書でした。

 じつは日本の記者は、取材した人間が自分で記事を書かない。
 彼らがやっていること、それは話を聞きながら言葉をメモに起こす「聞き打ち」、あるいは、その取材をICレコーダーに録音して、あとで詳細な起こしを行う「書き起こし」などだけ。いわば「速記起こし屋」なのである。そうしたメモを、現場の記者たちはひたすらデスクに上げつづける。そのとき彼らは、みずからの頭をまったく働かせていない。
 このようなマシン的な仕事は本来、共同通信時事通信など通信社の仕事であり、彼らがそれを行うことは当然の仕事であって、なんら問題はない。実際、私は過去に通信社をこの点で批判したことは一度もない。
 しかし、ジャーナリストたる新聞記者がそれと同じ行動をとれば、意味するところはまったく違ってくる。それが政府だろうが、東京電力の発言だろうが、あるいは、もし会見を行っている人物の発言が完全にウソだとわかっていても、その発言どおりに書き起こせば、それで彼らの仕事は完了してしまうからだ。
 現場の記者の評価基準は「なんでもいいから、たくさんメモを上げる」ことになり、残念なことに、実際にその多寡が彼らの「出世」まで規定してしまうのである。

 僕はこれまで、「通信社の仕事」と「ジャーナリストの仕事」の違いなんて、考えたことがありませんでした。どっちも似たようものなのだろ?って。実際、似たようなことを日本ではやってきているんですよね。
 でも、上杉さんは、「それは違うものなのだ」ということを、あらためて書いておられます。


 この新書によると、新聞記者たちは、独自に取材をすることなく、「当番」を決めて、誰かが起こしたメモを「ちょっと表現を変えて、各社で使い回すこともある」のだとか。
 大学の宿題のレポートかよ……
 仲良しなのは立派なことなのかもしれませんが、これでは、記事が似たり寄ったりになってしまうのは自明の理でしょう。

 
 しかも、こういう取材メモを、政治家の側に「横流し」している記者もいるのだとか。
 その情報をもとに、政治家側は、「メディア対策」を行っているのです。
 「ジャーナリズムは反権力」どころか、「権力の犬」そのもの。
 落ち目になった政治家は叩き放題ですが、小泉元首相のような人気のある政治家は、叩くと自分たちが読者から嫌われるリスクもあり、アンタッチャブルな存在にしてしまいます。
 その「利権集団」である「記者クラブ」の打倒というのを目指してきた上杉さんの仕事というのは、評価されてしかるべきでしょう。
 まさに「徒手空拳での闘い」だったわけですし。


 また、原発事故の際、こんなこともあったそうです。
 日本政府が出した「半径20キロメートル以内は避難、20〜30キロメートルは自主避難を積極的にすすめる」という指示に対して、アメリカ、韓国、オーストラリアなどの政府が80キロメートル外への避難を求めていることを伝えた上杉さんなのですが……

 だが、それより私は許せなかったのは、既存メディアの姿勢である。いjつは既存メディアには、放射能事故が起きたときに「この圏内に入ってはいけない」という内規がある。時事通信社は60キロメートル、朝日新聞社や民放各社は50キロメートル、NHKは40キロメートル。
 つまり、政府発表の「避難地域は20キロメートル圏内」、よって、それ以外の地域は安全だと報じておきながら、既存メディアの記者たち自身は、実際にはその地域に入っていなかったのだ。
 たとえば、半径20〜40キロメートル圏内に住む被災者は、NHKの記者に「周辺の様子をビデオに撮ってくれ」と頼まれた。撮影したのちに連絡したところ、取りにくるのかと思いきや、「もってきてください。ぼくたちはそこに歯入れないんです」と言われたという。彼らが激怒したことは、言うまでもない。

 マスコミがこういう人たちばかり、というわけではないのかもしれません。
 しかしながら、「この人たちは、誰に向けて『報道』しようとしているのだろう?」と疑問になってしまうのも事実です。


 この新書を読んでいると、上杉隆という人に対して、「イヤな感じ」がするところもあります。
 僕はこれまでも何冊か上杉さんの著書を読んできたのですが、上杉さんが何かにつけて「『ニューヨーク・タイムズ』では……」という話をするのが、すごく気になっていました。
 あの悪名高いFOXテレビだって、「アメリカのメディア」なんじゃないの?と思っていたし。

 
 この新書のなかで、上杉さんは、こんなことを書いておられます。

 さらに、日本のマスメディアの多くはどういうわけか、欧米メディアの一部を「権威」と崇める傾向がある。「『ジ・オーストラリアン』によると」「『バンコク・ポスト』によると」といった枕詞はあまり使わないが、「『ニューヨーク・タイムズ』によると」という文言は、やたら多用するといったように。
 そうした日本のマスメディアの特性がわかっていたからこそ、私は記者クラブの弊害を糾弾した『ジャーナリズム崩壊』で、それを逆手にとることにした。権威に弱い人間に対しては権威を使え、というわけで、意識的に「私の所属した『ニューヨーク・タイムズ』の場合は……」といった表現を真似てみたのだ。

 なんと、堂々の「釣り宣言」!
 しかも、先日の町山智浩さんとの「直接対決」では、「NHKの正社員でもなく、ニューヨーク・タイムズも正式に『所属していた』とは言いがたい」ことが判明……
 一体どういうことなんだこれは……


 これまでの上杉さんと「自由報道協会」の活動は「仲間や協力者に甘すぎるんじゃない?」と思うところはあるものの、日本のマスメディアに、「風穴」をあけるものでした。
 上杉さんは、これまで手弁当で、逆風のなかこういった活動をやってきたのだから、本当にすごい人です。


 しかしながら、その一方で、「脇が甘い」というか、「自分のこととなると、なんでそうなっちゃうのかなあ……」と言いたくなるようなところも少なくない。
 真面目なだけの人間には、こんな「革命」は起こせないのかもしれないけれど……


 上杉さんは、この新書の冒頭で、坂口安吾の『堕落論』を引用されたあと、こう仰っています。

 みずからを直視し、堕ちることのできない政治はウソである。
 みずからの過ちを認め、訂正しながら堕ちることのできない記者クラブは欺瞞である。
 そうした社会制度を打倒しないかぎり、日本の真の再生はありえない。

 そして、「そのために私は、アンシャン・レジーム(旧体制)とともに堕ちる道を覚悟している」と。
 

 『堕落論』のなかには、こう書いてあります。

 人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。

 最近の上杉さんをみていると、「正しく堕ちる道を堕ちきることの難しさ」みたいなものを考えずにはいられません。
 上杉さんでさえ、NHKニューヨーク・タイムズといったブランドで自分を飾ることの誘惑にあらがえないのだから。

 
 後半はちょっと本の内容とは離れてしまいましたが、上杉さんはすごい仕事をしてきた人だということは確かです。
 上杉隆という人を語るのに、彼の「仕事」を無視するのは、やはり、フェアではありません。
 それを知るために、おすすめしたい一冊です。

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