琥珀色の戯言

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「当事者」の時代 ☆☆☆☆☆


「当事者」の時代 (光文社新書)

「当事者」の時代 (光文社新書)

出版社/著者からの内容紹介
私は2009年夏、『2011年新聞・テレビ消滅』(文春新書)という本を上梓し、そのなかでマスメディアがなぜ立ち行かなくなっているのかをビジネス構造の観点から論じた。なぜビジネス的に描いたかと言えば、それまで出回っていたマスメディア論の多くが、「日本の新聞は言論が劣化している」「新聞記者の質が落ちている」といった情緒論ばかりだったことに辟易していたからである。そうした情緒論ではなく、純粋にビジネス構造の変化からマスメディアの衰退を論じようとしたのが同書だった。
本書はその続編に当たる。今回はビジネス論ではなく、ただひたすらその言論の問題を取り上げた。しかし私は巷間言われているような「新聞記者の質が落ちた」「メディアが劣化した」というような論には与しない。そんな論はしょせんは「今どきの若い者は」論の延長でしかないからだ。
そのような情緒論ではなく、今この国のメディア言論がなぜ岐路に立たされているのかを、よりロジカルに分析できないだろうか----そういう問題意識がスタート地点にあった。つまりは「劣化論」ではなく、マスメディア言論が2000年代以降の時代状況に追いつけなくなってしまっていることを、構造的に解き明かそうと考えたのである。
本書のプランは2009年ごろから考えはじめ、そして全体の構想は2011年春ごろにほぼ定まった。しかしその年の春に東日本大震災が起き、問題意識は「なぜマスメディア言論が時代に追いつけないのか」ということから大きくシフトし、「なぜ日本人社会の言論がこのような状況になってしまっているのか」という方向へと展開した。だから本書で描かれていることはマスメディア論ではなく、マスメディアもネットメディアも、さらには共同体における世間話メディアなども含めて日本人全体がつくり出しているメディア空間についての論考である。


472ページをこえる、新書としては、かなり厚い本。
最初、手にとったときには、「こんな厚い本、誰が読むんだろう?」とか、ちょっと思ってしまいました。
でも、読み終えてコーヒーを飲みながら、「ああ、こんな熱い本、久々に読んだな」という満足感に浸ることができたのです。


前半部分では、著者の毎日新聞での記者生活での実体験を軸に、「マスコミの実態」が描かれています。
僕も、著者が引用している『クライマーズ・ハイ』という小説を読みました。
そこでは、警察とマスコミの「外面的には反目しつつも、お互いに相手から利益を引き出そうとして、離れられなくなっている」という現状が語られています。
マスコミ側は「チェック機構」のつもりでも、外部からみれば、「警察といつもくっついている」ようにも見えてしまっている、その理由が、詳細に書かれているのです。
これはまさに、著者の「記者体験」あればこそで、いまや「ネット系のメディアの寵児」となっている著者ではありますが、記者時代の話をもっと読んでみたいな、というくらい面白かった。
この新書の素晴らしいところは、これだけ分厚い本で、内容も簡単ではないにもかかわらず、最後までちゃんと「読める」ことなんですよね。
それは、紹介されている事例や関係者の話が。それぞれ、読み応えのあるエピソードであるというのが大きいと思います。
某有名大作家が精神科医相手に、自分の思い込みにもとづく与太話をしているだけで本になってしまう新書(しかも、売れるんだよそれが!)に比べると、コストパフォーマンスが高すぎて申し訳ないくらいです。


ちなみに、「ある有名な事件記者の話」。

 ちなみにこの大先輩は、誰もが知っている大事件で大誤報を飛ばしたことがある。事件が解決せず、ほぼ迷宮入りになりそうになったころ、警察庁長官に朝回りをかけて「あの西の方の件ですけどね、どうなりましたかね」といつものように聞いた。長官は、「おお××君、西のあの件なら解決したぞ。これから報告に行くんだよ」と答えたらしい。
 実は長官はまったく別の事件のことを「西のあの件」と言っていたのだが、大先輩はてっきり戦後史に名が残っているあの大事件だと読み違えてしまったのだ。そうして毎日新聞は夕刊1面社会面大展開でこの特ダネを報じ、しかしその日のうちには当局から完全否定されてしまったのだった。
 さすがにこの誤報は毎日の編集局幹部が引責辞任する騒ぎになり、大先輩本人もしばらく暇な部署へと左遷されて不遇をかこつことになった。しかしこういう誤報を飛ばしても、当の本人はほとんど気にしていないようだった。
 ある記者はこの最強先輩を称して、
『パコーンとホームランをかっ飛ばしたつもりがハズレでも、『ああ、ファウルか』ぐらいの認識しかないんだよね。『あっはっは』と笑い飛ばして終わり。誤報で申し訳ありません、なんてこれっぽっちも思ってない」
 と呆れたように話していたことがある。天性の事件記者というのは、こういう人のことを指すのだろう。

こういう話を読んでいると、「記者としての才能、とくにスクープ記者などは、ちょっと人格的にアブノーマルなところがないと、抜きんでることができないのではないか」などと考えてしまうのです。
まあ、そういうのって、マスコミだけの話ではないのかもしれないけれど。


そして、著者は、マスメディアに、そして読者に問いかけます。

 そもそも報道の視座とは、何だろうか。日本の多くの新聞やテレビは「客観的で中立的な報道」を標榜している。しかし神の視点にでも立たない限り、この「客観的中立」の客観をどこで担保するのか、中立というのであればその中立のポジションをどこに取るのか、という立ち位置の取り方の問題が必然的に生じてしまう。
「客観的中立」って言ってるけど、何に対して客観的なの? 中立ってどこらへんの位置を指して言ってるの?」
 ということを問われてしまうのだ。
 さらに言えば、五五年体制下の戦後社会において、視座は保守と革新だけではない。そこにもうひとつ、「市民」という視座もあった。「市民目標」「市民感覚」と呼ばれているような視座である。では市民の視座は、客観的中立とイコールになり得るのだろうか?

この新書の中盤では、具体的な例を織り込みながら、この質問に対して、マスコミ(というか、著者が属してきた新聞記者の世界)は、どう答えようとしてきたか、が書かれています。

市民は正義や国家を論じてはいけない。
正義や国家を論じるマスメディアは、それら市民を代弁し、市民感覚で報道する。

もちろん、すべてのマスコミ人が、こんな感覚ではないのだと思います。
でも、「こういう矛盾しきった意識」が、日本のメディアを長い間支配していたのです。

 
著者によると、戦争が終わったあと、日本人の大部分は、「自分たちは軍部の暴走に騙された被害者だった」と考えていたそうです。
そして、在日やアイヌに対する「差別意識」も色濃く残っていた。
ところが、1960年代の後半から1970年代(ベトナム戦争から、学生運動最盛期)にかけて、「アジアの人たちに対する、加害者としての日本人」という思想が広まってきます。


僕は1970年代はじめの生まれなので、「日本人の戦争責任」「加害者としての日本人」という考えを、ずっと教えられてきた世代です。
だからこそ、のちに、小林よしのりさんの『戦争論』を読んで、「日本にも、それなりの理由があって戦争をしたのだな」と、あらためて感じたのです。
僕は子供のころ、広島に住んでいたので、8月6日は登校日でした。
その日には、被爆した人の体験を講堂で聴いていたのですが、当時は「日本人が悪いことをしたから、原爆を落とされたのだ。原爆のおかげで、戦争が早く終わって、多くの人が助かったのだ」というようなことを言う大人がたくさんいました。
「原爆って、あんなひどい兵器が、『天罰』みたいなものなのか?」
いまは、あれは「アメリカの裁かれなかった戦争犯罪」だと思っていますけど。


「被害者であり、それと同時に加害者でもある。でも、その加害者になった理由は、国家などの大きな存在に強制されたものだった」
(しかし、だからといって、100%免罪されるかどうかは難しい)

このあたりが、ひとつの「バランスのとれた答え」だったのかもしれませんが、1970年代からは、著者が言う「マイノリティへの憑依」がみられてきます。

 マイノリティへの憑依。
 憑依することによって得られる神の視点。
 神の舞いが演じられる辺境最深部。その神域から見下ろされる日本社会。

 なぜマスメディアが、本当は好きではない市民運動をことさらに取り上げるのかについて、私は第二章で以下のように書いた。
 それは権力に対するカウンターとして、弱者の声のシンボルとしてそこに存在していてくれるからであった。客観的中立報道の立ち位置から外れられない自分たちの代わりに、反権力的な意見を代弁してくれる、つまりは「自分たちは弱者の味方である」というわかりやすい立ち位置を打ち出してくれるからなのである。
 マスメディアが代弁しているのは、この日本社会を構成しているマジョリティの日本人ではない。幻想の<庶民>である。地に足着けて文句も言わず、国家や正義を声高に議論せず、権力や資本主義に酷い目にあわされながらも、それでも地道に自分の生活を送っていくような、そういう無辜の庶民。
 そしてその幻想の<庶民>を、マスメディアはマイノリティである市民運動の<市民>によって代弁させてきた。
 市民運動を担う人たちは、戦後の総中流社会においては、社会の周縁部に存在する人たちだった。第二章でも書いたように、市民団体がNGO(非政府団体)として権力との協力関係を保つようになり、インサイダー化してくるのは90年代後半以降である。戦後の日本社会では、市民運動は圧倒的多数のマジョリティのなかで孤立したマイノリティでしかなかった。インサイダーでもなく、かといって完全なアウトサイダーでもなく、社会とその外側の周縁部にポジションを取り、その立ち位置から権力のあり方を鋭く批判する人たちだったのである。
 そして、この周縁部にいる<市民>が<庶民>を代弁してきたのだとすれば、<庶民>は周縁部の外側、完全なる社会のアウトサイダーにいる者でなければならない。
 それは<異邦人としての庶民>という新たな存在なのだろうか――第二章で私はそう疑問を書いた。

 <マイノリティ憑依>が進んでいった先に、この<異邦人としての庶民>という憑依される対象としての幻想の存在が生まれてきたのだ。
「みずからを語ることのできないマイノリティ」という存在は、人類学の用語で「サバルタン」と呼ばれる。サバルタンはもともとは社会の支配階層に服従する底辺層を指す言葉だった。つねに歴史は支配階級によって書かれ、社会に受け入れられていくのに対し、底辺層サバルタンの歴史はいつも断片的で挿話的なものにしかならず、つまりサバルタンはみずからの力でみずからの歴史を紡ぐことを許されていない。つまりサバルタンの歴史は、つねに自分たちを抑圧する支配階級によってのみ語られ、書かれてしまうという矛盾した構造をはらんでいるのだ。支配階級がもし勝手にサバルタンの歴史を紡いでいくのだとすると、サバルタンという存在は実在する底辺層からだんだんと遊離してしまうことになる。
 サバルタンの側から見ても、他人に勝手に憑依され、勝手に語られることによって、自分たちと「語られるサバルタン」は乖離していってしまう。
 1970年に起きた<マイノリティ憑依>のパラダイムシフトは、メディア空間のなかで醸成されていくことによってこの乖離が徐々に生じ、そうして気がつけば幻想のサバルタンとしての<庶民>を生み出したということなのだった。
 ここで円環は閉じ、マスメディアの描く幻想の<庶民>の源流と、1970年の<マイノリティ憑依>は一体化した。

 すみません、これだけ読んでも、なんだかよくわかんないですよね。
 実際にこの本を読んでいくと、こういう言葉の意味が、すごく伝わってくるのですが……
 これはもう、僕のちからではうまく説明できないので、「損はしないから、読んでみて!」と言うしかありません。


 1980年代後半から1990年代にかけて、<マイノリティ憑依>は、さらにゆがんだものになっていきます。
 バブル期についていけなくなってしまった人を取材した『飽食窮民』というルポルタージュのなかに「(機械に接し続けたために)精神を病んでしまったシステムエンジニア」の話が出てくるそうです。
 それは、極端な、「機械のように感情を失ってしまった」とか「コンピューター関係の職場で頻発する強姦事件」とかいう事例ばかり。

 自分がインサイドにいることをきちんと明示的に確認するためには、「病んだSE」のような異邦人は奇妙奇天烈で異邦人らしければらしいほどよい。明らかに「自分たちとは違う」とわかればわかるほど、「自分たちはインサイドにいるんだ」ということを明確に納得することができる。そしてこの奇妙奇天烈さを追い求めるという行為は、エンターテインメントとして成立してしまう。記事に登場する異邦人が変であればあるほど、読者は自分たちのインサイド感覚を確認できるし、そしてそれは変であるがゆえに、「変な人の話を読んだ」というエンターテインメント性を同時に高めてしまう。
 つまり<マイノリティ憑依>は進めば進むほど、エンターテインメント性をさらに高めてしまうという逆説的なことがそこでは起きてしまうのだ。
 これはある意味で、メディアの悲劇である。
 なぜなら社会の多数派の人々にとって、<マイノリティ憑依>は二つの視点しかもたらさないからである。第三者的な偽の神の視点と、エンターテインメントにしかならない見世物的な視点。そしてこの二つの視点は、いずれも歪んでいる。
 このような<マイノリティ憑依>の記事は、1980年代から90年代にかけてさかんに量産されるようになった。その結果、記者の側でもこうした<マイノリティ憑依>に対して徐々に嫌気を感じる人が増えていくようになる。当然のことだ。
 私が駆け出し記者には、「弱者に光を当てよ。その光によってわれわれの総中流社会のゆがみを逆照射するのだ」と胸を張って言っていたベテランたち。しかし彼らも、90年代後半になるころから徐々にそういうことを大声で言わなくなってくる。『弱者に光を」に誇りを持つことはあまりなくなり、逆にそのような<マイノリティ憑依>の記事に対しては、こんな自嘲的な言葉を投げるようになってきたのだ。
「なんだ、また奇人変人大集合かよ」

いまのネット上でも、同じようなことが起こっています。
「弱者を代弁する」と称して、「第三者的な偽の神の視点」と「エンターテインメントにしかならない見世物的な視点」から、他者の「それぞれの立場からの真摯な言葉」を批判する人たち。
「弱者だから、自分は何を言ってもいい」というのは、まさに「思考停止」でしかないのに。
ましてや、彼らは、「自称弱者」であって、本当の「弱者」ではないのです。


ネットでは、マスメディアを「マスゴミ」と批判する人がものすごく多いのに、ネットでの言論は、「日本のマスコミが通ってきた道」を、忠実にトレースしています。
それも、急速に<マイノリティ憑依>に向かっているのです。



この新書の「終章」は、すごく印象的なものでした。
ここではまず、報道写真家・石井義治さんの「悲劇」が語られています。
石井さんは、1980年、偶然居合わせたバス放火事件の現場を撮影しました。
しかし、そのことが、優秀な報道写真家だった彼の人生を狂わせていくのです。
「スクープ」として撮影した炎上するバスには、妹さんが乗っていました。


その一方で、著者は、東日本大震災で、「記者」と「当事者」のふたつの立場を併せ持つことになってしまった地元記者たちが「被害者と同じ視点での報道」を実現したことにも触れています。
それは、きわめて大規模な災害であったからこそ起こりえた「奇跡的な出来事」ではありました。
「マイノリティ憑依」と著者が呼んでいる、「実際には存在しない(あるいは稀有な存在である)弱者の立場を、記者が勝手に代弁して書いた記事」ではない、「新しい報道のかたち」が、そこにはあったのです。


僕は、この新書を読みながら、ずっと考えていました。
「当事者」とは、何者なのだろう?と。


読み終えて、いま、あらためて考えています。
「当事者」になることは、はたして、幸せなのだろうか?
少なくとも、その人自身にとっては、「傍観者」でありながら、「マイノリティの立場を代弁」していたほうが、ラクだし、カッコいいんじゃないかな。


著者は、石井義治さんをインタビューしたあとで、こう述べています。

 当事者であることを引き受けるというのは、途方もなく重い人生を背負うということと裏腹だ。


率直に言うと、僕は「そんなめんどくさい目にあるのなら、当事者なんかにはなりたくない」と思うのです。
でも、こうしてブログを書いているというのは、ある意味、自分を「当事者化」してしまうことでもあります。
いや、ブログを書かなくても、今の世の中は、生きているだけで、「当事者化」してしまうリスクを誰でも負っているのです。


僕が何かを書くと、それに反応する人がいて、その反応に対して、なんらかの反応をする人もいて……
Twitterで、「ランチの席で友達にするような有名人の噂話や悪口」をつぶやいてしまったばっかりに、人生を狂わせた人も、何人かいます。
自分で書かなくても、「満員電車のなかで、暴言を吐いていた人」などとして、世間に広められてしまう可能性だってある。


ネットは、誰でも「評論家」になれる一方で、誰でも「当事者」になってしまいやすい世の中をつくりだしています。
もう「そんな面倒なら、自分は当事者なんかには、なりたくない」と言って逃げ切れる時代ではないのでしょう。


でもなあ、まだやっぱりそんな「勇気」とか「覚悟」は持てないなあ、と考え込んでしまう自分を再確認させられもしたんですよね。
そんなに簡単に結論が出せる内容じゃないとは思います。
だからこそ、ひとりでも多くの人に、実際にこの新書を読んで、考えてみてもらいたいのです。

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