- 作者: 鈴木大介
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2010/03
- メディア: 単行本
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内容(「BOOK」データベースより)
DV、うつ、虐待…。別れた夫との修羅をひきずり、子どもとの生活のため、そして行き場のない寂しさから出会い系サイトで売春するシングルマザーの壮絶な性と生。
「売春」するシングルマザーたち。
「お金のため」と完全に割り切ることもできず、「借りているだけ」だと自分に言い聞かせ、「これ(出会い系での売春)をきっかけに、良い人に巡り会えれば……」という淡い期待を抱いてしまう。資格もなく、仕事も見つからず、心の病をかかえ、生活は苦しい。
子供だけは失いたくないし、子供が生き甲斐なのだけれど、その一方で、虐待してしまったり、子供を十分に養育できるほどの経済力がなかったり。
「ひと昔前までは、シングルマザーでも主婦でも、子持ちの女は風俗の世界ではけっこう重宝されてた」と言うのは、千葉県内のデリヘル(派遣風俗業)のマネージャーだ。「人妻専門」などと広告を打った業者で、派遣風俗の届け出はしている許可業者=合法業者である。この業界に10年以上というマネージャー氏は、場末感漂う居酒屋の座敷にあぐらをかき、飲食店の中だというのに愛犬をひざに乗せつつ、厳しいビジネスの目で「風俗業と母親」を語った。
「だいたい人妻(業界では既婚者もシングルマザーも人妻と称す)が重宝というのは、彼女らのバックレ率(無断欠勤率や逃亡率)が低いから。これはいつの時代でもそうだね。風俗業で一番怖いのは、所属してる女の管理ができなくなること。無断欠勤、行方不明、客の直引き(店を通さずに客と関係を結ぶこと)、待機部屋での窃盗騒ぎ、風俗店の女はトラブルの温床だから。ひとりが規律を崩すと、全部がガタガタになって管理できなくなる。でも子どものいる人は落ち着いてるし、守るものがあるからそんな簡単に行方不明にならないし、責任感も仕事意識も強い。でも逆に、子どものいる女からしたら店に所属するのは結構勇気がいるみたいだけどね。実際、ある程度の条件は店も提示するから」
その条件とは、まず店のホームページにプロフィールとしてじぶんのセミヌード画像を掲示する必要があること。希望すれば顔にはボカシ処理が入るが、指名客が減る。だが、たとえボカシていても子どものいる母親としては「誰かに見られたら」という恐怖がある。同様に恐怖を煽るのが、出先(派遣先)の選択ができないことだ。
業者は、「子どものために、なんとかして稼がなければならない」という母親たちの立場を利用してもいるわけです。
ところが、昨今の不景気の影響で、「若くてきれいな女の子が、どんどん風俗業界に入ってきた」ために、彼女たちの「性の商品」としての価値も、下落しているそうです。
体を売ってさえも、稼げなくなってしまっている女性たち。
いまの「ワーキングプア大国」日本では、離婚や失職、病気などで日常のバランスが崩れてしまうと、誰でも生活保護対象レベルの収入になってしまいます。ところが、「世間の目がこわい」「自分のプライドが許さない」などの理由によって、そのレベルの収入で、子供がいても申請しない母親が、かなり多いのだそうです。それで、彼女たちが「生きるための手段」として選んだのが「出会い系での売春」
「生きるための手段」という一方で、冒頭に御紹介したような「言い訳」もせずにはいられない……
著者は、「売春するシングルマザーたち」を取材しながら、このような困惑を抱えていたと告白しています。
確かにこうならば、納得がいくのだ。
(1)極まった経済的困窮があるから、身体を売ることを考えた。
(2)風俗店は過酷な環境を強いられるために、ピンで売春することを考えた。
(3)そこには、出会い系サイトをはじめとするインフラが整っていた。
実に理路整然、模範解答然としていて、わかりやすい。実際、聞き取ったシングルマザーのうちで、経済的に困窮していない対象者はひとりとしていない。みなが想像を超えた貧困の蟻地獄のなかで、あがいていた。
しかし彼女ら自身に、一番最初に出会い系サイトにアクセスして男に会って金をもらったきっかけを聞き込むと、2割強の取材対象者がこのように答えたのである。
「だって、寂しかったから」
僕はおおいに混乱した。
生きるか死ぬかの経済的困窮のなかで、身を売るという手段を選ぶならば「やむを得ず」という言葉が当てはまる。だが「寂しかったから」売春するシングルマザーというのは、僕の理解を超えていた。
僕は知らなかったのだ。「やむを得ず」売春相手に会ってしまうほどの、圧倒的な寂しさがあることを。そんな想定外の寂しさを生み出す、離婚、シングルマザーという、特殊な環境と心理を。
風俗業者が指摘する通り、彼女らはプロのセックスワーカーとして組織のなかで働く存在にはなりきれない人たちだ。かといって、出会い系を使ってフリーランスのセックスワーカーとして生計を立てているかといえば、そうでもない。そこに職業意識はなく、売春をしているという意識すらない。たとえその日に必要な1万円を出会い系で逢った男とのセックスの代償に得たとしても、彼女らに言わせればそれは「売春行為をして、客からギャラを1万円もらった」ではなく、「出会い系で逢った男の人から1万円を援助してもらい、お礼にセックスをした」となる。その証拠に、彼女たちの多くは出会い系で逢う男を「客」と言わないことがほとんどなのだ。売春を糧に路上に生き抜く未成年の少女らですら、「今日は『客』を○『本』取った」という表現をあたりまえのように使っていたのに、である。
この本を読んでいると、暗澹たる気分にならずにはいられません。
「こんなシングルマザーが少なからず存在しているのは、日本の社会が病んでいるからだ」
著者は、そう訴えてきます。
でも、彼女たちを実際に取材したレポートを読めば読むほど、「とはいえ、そんな酷い男をパートナーとして選んだのも、生活保護の手続きすら『そんな難しいことは自分にはわからないから』と行わないのも、(行おうともせず)、淋しい、とか言って売春をしているのまで『社会の責任』なのか?」とも思えてくるんですよ。
つい、「それって、『自己責任』だろ!」って言いたくなってしまいます。
著者は、取材対象の23歳の女性に、生活保護を受給することをすすめます。
そして、彼女と一緒に福祉事務所に行く約束をして、預金通帳の記録や給与明細、ハローワークから紹介された企業の面接を受けた記録、精神科から処方された薬の処方箋などを可能なかぎり、準備しておくようにメールしました。
ところが……
「でも〜、やっぱ無理だって。生活保護受けたら、やっぱり周囲の目だってあるし。いままで無収入で生きてきたことだって、普通に考えたら彼氏がいて養ってもらっているって思われるに決まってるじゃん。そうじゃないことを、どう説明するのかわからない。出会い系でどうのこうのとか話すとか、絶対無理だし、言うぐらいなら死ぬ。この辺、本当に田舎だから」
返答までに数十秒の間のある、きわめてスローな問答。救済の必要な人間に救済を説得するという、言いようのない不条理……。だが彼女が切々と訴えるのは、まずは生活保護や精神科を受診していることについての差別だった。
彼女は「資料はひとつも用意していなかった」そうです。
いままでの環境とか、受けてきた教育とかは、たしかにあるのでしょう。
でも、「自分で自分を救おうという最低限の努力」すら、放棄してしまった人に、他者は、何ができるのだろう?
結局僕は、彼女らの誰ひとりとして救うことも、状況を改善することもできなかった。ただひとりとして生活保護の受給をサポートすることもできなけば、シングルマザーの自助組織にたどり着かせることもできなかった。
情けない。情けないが、その無力感から問題を提起するのが記者の責務とも思う。彼女らが救われるための道は、法整備だろうか、就業環境の向上を含めた社会整備だろうか、周辺の意識改革だろうか。赤の他人の一般人が、彼女らを少しでも救うことはできないのか。
著者も、この本のなかで、「正直、この母親たちに共感するのは難しかった」と告白されています。
彼女たちの抱えている闇は、あまりにも深すぎて、「ひとり救うために、自分の人生をひとつ失う」くらいの対価が必要なのではないかと僕も思います。
でも、そこまでして「救いたい」「救える」ひとが、この世の中に、何人いるのだろう?
幼い子供を抱えた母親に「仕事がない」のは事実だろうけど、それでもちゃんと生きているお母さんのほうが多数派なのだし……
(ただし、著者は取材のなかで、「出会い系のシングルマザー」たちは、子どもたちに暴力をふるう例はほとんどなく、「自分は母親である以上、他者を守る存在である」と思い込んでいる存在」であり、「母として、女として、真面目すぎる」とも述べています)
読んでいて、「こんな現実を知っても、どうすればいいのか……」と、気がめいるばかりで、いたたまれなくなる本でした。
それにしても、こういうふうにしか生きられない女性たちが存在するなかで、「出会い系」というのは、「買う男がいるのが悪い」のか、それもまた「日陰のセーフティネット」なのか……