琥珀色の戯言

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マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙 ☆☆☆☆


あらすじ: 1979年、父の教えである質素倹約を掲げる保守党のマーガレット・サッチャーメリル・ストリープ)が女性初のイギリス首相となる。“鉄の女”の異名を取るサッチャーは、財政赤字を解決し、フォークランド紛争に勝利し、国民から絶大なる支持を得ていた。しかし、彼女には誰にも見せていない孤独な別の顔があった。

参考リンク:映画『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』公式サイト


2012年10本目の劇場鑑賞作品。
平日のレイトショーで鑑賞。
観客は20人くらいいて、メリル・ストリープさんの「アカデミー賞主演女優賞効果」も、それなりにあるみたいです。


この映画、邦題は『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』なのですが、原題は『THE IRON LADY』(鉄の女)だけなんですね。
僕は、マーガレット・サッチャーの人生は、いろいろと苦難はあったし、「孤独」ではあったかもしれないけれど、「不幸」ではないと感じたので、タイトルの「涙」という言葉は必要ないと思いました。


マーガレット・サッチャーは、商家に生まれ、他の女の子たちが「映画でも見にいきましょうよ」とにこやかに街を歩いているのを横目に、家の手伝いをせざるをえず、地方の政治家であった父親の影響を受けていきます。
24歳のときに独身で選挙に出馬した彼女は落選するのですが、「結婚して選挙に出れば当選できるよ」と夫となるデニスにプロポーズされ、「ミセス・サッチャー」となるのです。
デニスからのプロポーズに対して、「私は他の女みたいにしおらしく家を守ることはできないけど、それでもいいの?」と尋ねます。
デニスは「そんな君だからこそ、結婚したいんだ」と答え、彼はずっと「鉄の女」を支え続けるのです。


「政治の世界に紛れ込んできた女」として保守党でも「異邦人」として扱われていたサッチャーさんなのですが、労働運動の盛り上がり、過激化にともなう不景気や社会の混乱を見かねて、保守党の党首選に出馬。
彼女自身の予想をも裏切り、党首に、そして英国初の女性首相となってからは、「公費の拠出を減らして、民間にゆだねる方針」そして、「自分が正しいと思ったことを曲げない強い政治」で、イギリスを牽引していきます。
在任期間、なんと11年半!


サッチャーさんがイギリスの首相になったとき、ちょうど僕がニュースを少しは理解できるくらいの年齢で、僕のなかでは、いまでも、イギリスの首相=マーガレット・サッチャーと、それ以外の人という感じなんですよね。


この映画のなかで、サッチャーさんは首相就任初期、閣僚たちに向かって、「あなたたちはバターやマーガリンがいま、いくらで売られているか知ってる? 私は貴族じゃなくて商家の娘で、母親でもあるから、ちゃんと知っています」
そう、啖呵をきるシーンがあります。
麻生元首相がカップラーメンの値段を知らないというのを揶揄した記事が書かれたことがあって、僕は「首相たるもの、そんな枝葉末節のことまで知っている必要があるのか?」と思ったのですが、あの話には、このサッチャー首相のエピソードという「元ネタ」があったんですね。
そんなサッチャーさんも、首相の座に長くとどまるにつれ、どんどん独善的になっていきます。
「金持ちも貧乏人もみんな一律の税金を払う」という制度への反対の声に対して、サッチャーさんは、こう言い放つのです。
「私は上流階級出身ではなく、貧しい商家の娘から、自分の努力でここまでやってきました。みんな『やればできる』はずです。できるのにやらないほうが悪い」
……うわっ、「ワタミ化」してる……


時系列でいえば、ワタミの偉い人のほうが「サッチャー化」したと言うべきなのでしょうけど。
長年の仲間にも冷たくあたるようになり、周囲から孤立したサッチャー首相は、結局、辞任への道をたどることになるのですが、「女性」という、当時の「政治的マイノリティ」であり、「庶民」であったサッチャーさんでも、長く権力の座にとどまるうちに、自分のルーツを見失ってしまったのだなあ、と感慨深くもありました。


この映画を観ながら、僕は、ふたりの日本の政治家のことを考えていました。
ひとりは、小泉純一郎元首相。政策が似ているのと、「強い言葉」を武器に、長年トップに君臨しつづけたことが共通点。
そして、もうひとりは橋下大阪市長
言葉の強さや「いまの有権者に媚を売るのではなく、何世代もあとの人たちに感謝されるような改革」を志向しているところ。
サッチャー首相は、11年半も首相をつとめていながら、最後は、その独善性から周囲に見捨てられてしまいます。
彼女の政策に対しては「イギリスの経済を回復させた」「フォークランド紛争で最後まで折れず、領土を守った」という評価と、「なんでも民間に任せることによって、公的なサービスは劣化し、国内での貧富の差が拡大した」「国際協調性に欠ける」という両面の評価があるようです。
ただ、あれほど人気と権力を握っていたサッチャー首相の「玉座」も、けっこう簡単に失われてしまうのが政治の世界なのだな、とも感じたんですよね。
逆にいえば、「保守党の政治家たちやイギリス国民は、マーガレット・サッチャーにさんざん汚れ仕事をさせたあげく、要らなくなったら見捨ててしまった」とも言えるのではないでしょうか。
橋下さんは、ヒトラーになる可能性だってゼロではないでしょう。
その一方で、「サッチャー」として改革をさせ、利用して危なくなったら捨てる、という選択肢だって、国民にはあるのかもしれません。


僕はサッチャーさんの「孤独」を感じましたし、家族も大変だっただろうな、とは思うんですよ。
だからといって、「やりたい大きな仕事を任され、それなりの成果をあげた」というサッチャーさんの人生は「不幸」なんかじゃ、全然ありません。
「政治家」というのは、こういう業の深い仕事なんだな、という感慨が強く残る映画でした。


万人におすすめするのは難しいかもしれませんが、サッチャーさんのこと、世界の現代史、そして、メリル・ストリープさんに興味がある人は、ぜひ観ていただければと思います。
それにしても、サッチャーさんはまだ存命なのに、よくこんな映画、つくらせてくれたものですね……

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