琥珀色の戯言

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浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか ☆☆☆☆


浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか (幻冬舎新書)

浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか (幻冬舎新書)

内容紹介
「うちって浄土真宗だっけ? 浄土宗?」と
実家に電話したことは、ありませんか?
宗派の違いが解れば、仏教が見えてくる。

日本の仏教はさまざまな宗派に分かれており教義や実践方法が大きく異なる。にもかかわらず多くの人、とくに地方から都会に出て菩提寺とのつきあいを絶った人は関心を持たない。だが親や親戚の葬儀を営む段になって途端に宗派を気にするようになる。家の宗旨に合った僧侶を導師として呼ばねばならないからだ。そこで初めて「うちは◯◯宗だったのか」と知る。そもそも宗派とは何か。歴史上どのように生まれたのか。本書は、日本の主な仏教宗派を取り上げ、その特徴、宗祖の思想、教団の歩み、さらに他宗派との関係、社会的影響をわかりやすく解説する。


参考リンク:『浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか』はなぜ売れるのか --- 島田 裕巳(アゴラ)

今年2月末に幻冬舎新書の一冊として刊行した拙著『浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか』は、幸いなことにかなり売れている。


3月16日朝の時点で、誰でも見られる文教堂のランキングでは、新書で1位、総合で2位である。編集者から聞いたところでは、その前日、紀伊国屋書店の実際の売り上げを示すパブラインで総合4位に入っていたという。


売り上げが伸びたのは、15日に朝日新聞毎日新聞で全5段のおよそ3分の2を使った広告が出たことによる。ただし、広告が効果を発揮するのは、実際に本が売れているときで、売れ行きを加速することはできるが、決して初速をつけてくれるものではない。それは、これまで本を出版した経験がある方はよくご存じのことだろう。


基本的に本は売れるものではない。私など、現在どこの組織にも属さず、いわば「筆一本」で食べているわけだが、ヒットを飛ばすことは実に難しい。そもそも、重版される本を出すこと自体が相当に大変なことだ。


ちなみに昨年、私は11冊の本を刊行したが、そのうち重版されたのは2冊だけである。エンターテイメントではない人文書は、それほど売れるものではない。ところが、『浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか』は、日本の仏教の宗派について解説した、ある意味かなり地味な内容の本なのに、エンターテイメント以上に売れているのだ。


島田さん自身も仰っておられるように、かなり売れているみたいです、この新書。
しかし、1年に11冊という執筆ペースの速さもさることながら、「戒名シリーズ」などで「売れたネタには食らいつく」イメージがある島田さんでも、「重版されたのは2冊だけ」とは。
内容的には重複している部分もありそうなのに、これだけ売り上げに差が出るのは、出版社の「売りかた」の差なのでしょうか……
こうして著者が「本の売れ行き」について、堂々とコメントしているのも、なかなか興味深いものではありますね。


この『浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか』が売れた理由にもいろいろあると思うのですが、やっぱり、「仏教にもいろいろあるみたいだけど、いったい何が違うのか?」というのがわからない人が多いから、だという気がするんですよ。
身内の葬儀のときになって、あらためて宗派を確認したという経験がある人も少なくないはず(僕にもその経験があります)。
で、それにしたがって、儀式は済ませたものの、「数ある仏教のなかで、なぜその宗派を信仰するようになったのか?」はわからないまま、日常に戻ってしまう。
そんななかで、このタイトルの新書をみかけたら、つい、手が伸びてしまうのではないかなあ。

 日本に仏教は、最初朝鮮半島百済からもたらされるが、その後は中国からの影響の方が強くなる。日本から中国に渡った僧侶もかなりの数にのぼるし、中国から日本に来た僧侶も少なくない。中国では、仏教を破壊する「廃仏」がくり返されたこともあって、その難を避けるため、日本に渡ってきて、日本で生涯を終えた中国僧もいる。
 こうした交流があったことで、日本には、その当時中国で流行していた最新の仏教が伝えられた。中国の仏教は、時代とともに変遷を重ねていき、インドとは異なる独自の発展を遂げていった。日本人の僧侶たちが盛んに中国に渡ったのも、最新の動向にふれたいと考えたからだ。これは、明治の近代化がはじまって以降、さまざまな分野の日本人が渡欧に出向き、旺盛に知識を摂取してきたことの先駆と言える試みである。
 その結果、日本の仏教のなかに、主要なものとして4つの流れが生まれる。それが、法華信仰、密教浄土教信仰、禅である。
 宗派のなかには、もっぱらこのうちの一つの流れだけを強調するようなところもあるが、他の流れにかんしても、影響の大きさには違いがあるが、どの宗派も何らかの形で取り入れている。

 
 この新書では、現在の日本に存在している仏教の各宗派の誕生から現在に至るまでの流れが、おおまかに説明されています。
 読んでみると、僕が知らなかった話ばかり。
 「南都六宗」は、奈良時代平城京で成立した日本の仏教信仰の源流で、それは、宗派というより、仏教を研究する「学派」としての性格が強かったのだそうです。
 現代でも、奈良の有名なお寺、興福寺薬師寺大本山とする法相宗東大寺大本山とする華厳宗唐招提寺を総本山とする律宗が存続しているのですが、南都六宗は、明治維新の際の「神仏分離」で排斥され、大きなダメージを受けました。
 それがなんとか存続できたのは、戦後の「高度成長期の、修学旅行需要のおかげ」だったのだとか。
 これらの寺院は「観光地」として、経済基盤を築くことに成功し、なんとか生き延びることができたのです。
 ちなみに、これらの「南都六宗」の寺院は、国家に庇護されていたため、檀家をもつ必要がなく、墓地を持っていません。
 そして、葬儀を営むこともないそうです。

 「現在でも、南都六宗の寺院で僧侶が亡くなったとき、その寺の僧侶が葬儀を営むことはなく、葬儀は他の宗派の僧侶に依頼され、墓もそうした菩提寺のなかに設けられる。そのために、南都六宗の寺は、今日まで葬式仏教への道をたどってはいないのである。

 そんな「仏教」が、いまでも日本に残っているのですね(しかも、修学旅行などで、多くの人が一度は訪れたことがあるところに)。


 この新書のなかでは、著者による「伝承とは異なる親鸞像」が描かれているのも興味深いものでした。
 親鸞の「浄土真宗」が、いまの日本では「いちばん多くの門徒をもつ仏教宗派」となっています。

 宗教法人を単位とすると、浄土真宗本願寺派(いわゆる西本願寺)が曹洞宗に次いで第2位であり、1万280か寺で694万1005人、真宗大谷派東本願寺)が浄土宗に次いで第4位になり、8600か寺で553万3146人となり、両本願寺をあわせると、信徒の数は1240万人を超える。なお、浄土真宗では信徒のことを「門徒」と呼ぶ。

 ちなみに、浄土真宗には、両本願寺以外の系統もあるそうです。


 いわゆる「葬式仏教」を生み出したのは曹洞宗だというのも、興味深い話でした。
 曹洞宗の中興の祖、紹瑾が、中国の『禅苑清規』の影響を受けた『螢山清規』という禅寺での日々の修行について記したものがあるのです。
 『禅苑清規』のなかには、悟りを開いて亡くなった僧侶用と、修行段階において亡くなった雲水用の2つの葬儀のやり方が示されており、『螢山清規』では、その後者が一般信徒の葬儀に応用されています。

 それが、もともと雲水のための葬儀の方法であったために、そこには、剃髪して出家したことにし、その上で戒律を授け、さらには戒名を授ける部分が含まれている。つまり、死者をいったん僧侶にするわけである。死後に出家するというのは、仏教の伝統的な考え方からはずれるが、この方法は定着する。そして、ここが極めて重要なことにもなっているが、曹洞宗以外の他の宗派にも伝わっていく。
 その点で、曹洞宗は、今日にまで受け継がれている「葬式仏教」の生みの親だということになる。

 「厳しい修行」を行ってきた宗派から、「葬式仏教」が生まれたというのも、なんだか不思議ではありますね。
 修行のシステムがしっかりしていたからこそ、人々が憧れるような「葬式」を執り行うことができたのかもしれませんけど。


 宗教学の専門書ではないので、それぞれの宗派の細かい違いや、具体的な「教え」の内容には触れられていないところはありますが、だからこそ、読みやすい「仏教入門」にもなっています。
 浄土真宗がこれだけ多くの門徒を抱えるようになった理由が「庶民向けだったから」だけなのかは、正直、よくわからないのですけど。

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