琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

「よかったら、この後、一緒に回鍋肉を作らない?」

『生きるコント2』(大宮エリー著・文春文庫)に、エリーさんの大学時代のこんなエピソードが紹介されていました。

 東大に入りたての頃、あの手この手で、知らず知らず宗教団体に引き込まれる被害が相次いでいた。わたしはそのことを、学内で撒かれている注意を呼びかけるビラで知った。よくある手口は、勉強会という口実の異性からのアプローチだそうだ。そして、被害に遭うのはだいたい真面目な男子学生。場所は生協の前が多く、美女が声をかけてきて、ビデオを一緒に観て欲しい、と言うのが常套句らしい。そんなの明らかに怪しいじゃないか、と思ったが、男子たるもの、美女にちょっとでいいからと言われると、つい、ふらふらとついて行ってしまうものなのか。そのままあっさり洗脳されてしまうのか、男子達よ。
 わたしは学食で1人、遅い昼ご飯を食べていた。キャンパスライフなんて言うけれど、実状、こんなにつまらないものである。味噌ラーメンを、薄暗く人も少ない食堂ですすっているのだから。わたしはドラマみたいなキャンパスライフを想像していたのに。いつもつるんでいる落ちこぼれの稲中卓球部のような男友達らと落ち合えなかったら、こんなにも孤独。ため息をついたとき、隣の席に、感じのいい女の人ふたりが座ってきた。
「ここ、いいですか?」
 なんでこんなにがらんとしているのにわたしの隣に? まさか勧誘? でも、ここは食堂だし、勧誘ならイケメンが来るはず。しばらく2人の女性はおしゃべりをしている。心理学研究室の3年生らしい。相変わらず味噌ラーメンをすすっていると、「ひとりですか?」と話しかけられた。その聞き方が、爽やかだったので、もしかしたら、ここからドラマのようなキャンパスライフが始まるのかもと思った。警戒半分、期待半分で次の言葉を待つ。すると先輩は、予想外の言葉を発した。
「よかったら、この後、一緒に回鍋肉を作らない?」
 ホイコウロウ? なんでまた? 突飛な提案に危ない勧誘なのか爽やかな誘いなのか分からなくなる。
「色んな人と時々集まって、お料理をつくりながら異業種交流してるの。視野が広がるよ!」
 爽やかな合コンみたいなものか。確かに大学の外の人達と出会うのは学生にとっていいことかもしれない。心ときめく出会いもあるかもしれんし。そう思って彼女たちについて行く。

大宮エリーさんは1975年生まれで、1年間浪人して東大薬学部に入っているので、これは1990年代半ばの話です。
僕はこの5年前くらいに大学に入ったのですが、やはり、同様の「お誘い」はありました。
それも、キレイな女性の先輩から誘われるので、つい、「年上のお姉さんたちと、楽しいキャンパスライフ!」みたいなことを想像してしまうんですよね。
僕の場合は、入学直後に入った部活の先輩に注意されていたので、引っかからずにすみましたが……


ちなみにこの「回鍋肉パーティ」も、やっぱりその手の「お祈り関連の勧誘」で、エリーさんは間一髪で脱出したそうです。


こういう話をすると、「そんなのに騙されるヤツは、バカなんだろ」と言う人がいます。
僕は、そんな単純な話じゃないと思うんですよ。
僕の同級生にもひとり、在学中に行方不明になった人がいます。
彼は、ちょっと真面目すぎるところはあったけれど、ごく普通の同世代の学生でした。
でも、失恋をきっかけに、人生に悩むようになってしまい、そんなときに巡り合ったのが、その後、世間を大きく騒がすことになる、ある新興宗教団体の教祖の本でした。


ある日、彼は忽然と姿を消してしまいました。
彼のアパートには、家具や生活用品などが、そのまま残されていたそうです。
「出家」した、あるいはさせられた、洗脳されてしまった、などの噂はありましたが、その後の消息は、少なくとも僕の耳には入ってきていません。


FLASH』という写真週刊誌の2012年1月31日号の辛坊治郎さんのコラムには、こんなことが書かれています。

 皆さんはそんな「困った宗教」と無縁だと思ってませんか? オウムの信者と何夜も語り明かした経験から言わしてもらうと、私やあなたと、オウムの信者との間には紙一重の差もないかもしれないって思うんです。オウムを信じた結果、重大な罪を犯して獄に繋がれ、死刑執行を待っている男たちが麻原死刑囚以外に12人いますが、あなたや私がそのなかの1人となっていたとしてもなんの不思議もないんです。
 オウムに限らず、新興宗教が信者を集めようと思ったときに使う手口はほぼ同じです。それは、弱っている人、ウブな人を狙うことです。よくある手口が、病院の前などでチラシを配るパターンです。そのビラで、まずたんなる悩みの相談窓口のようなところに「客」を集めるんです。で、向かい合った「相談員」は、「客」の顔を見て、「あなた、何か病気のことでお悩みですね」とズバリ言い当てます。言い当てられたほうは、「どうしてこの人、私の悩みがわかるの? もしかして超能力者?」なんて思うんですね。こうなれば布教は簡単です。少しずつ相手に悩みを語らせる手口で忍び寄ってきて、最後はすべての財産を奪って出家させて監禁してしまいます。同様に学校の前で親にパンフレットを配って、「子供さんの教育でお悩みですね」とか、老人ホームの前でビラを配って「嫁姑問題で悩んでますね」等々、この手法は宗教勧誘の伝統的手口です。この手口のミソは、どの場所で配られているパンフレットも、あくまでも「一般的な悩みの相談窓口」で、どこにも病気とか教育とか嫁姑とか書いてないんですね。ところが、パンフレットのどこかに必ず配った場所が病院前なのか学校前なのかなどが、教団側にだけわかる記号で書いてあるんです。で、そのパンフレットを持って相談に来た人がいったいどんな悩みを持っているかは、教団側にはその記号でわかるようになってるんです。また、そもそも相談に来る人というのは、何かにすがりたい人ですから、普通に道を歩いている人より勧誘が簡単です。とにかく「弱っている人」というのが、宗教勧誘の第一ターゲットなんです。あなた、大丈夫ですか?
 そして、第二のターゲットは「ウブで孤独な人」です。都市部の大学に入学すると、スポーツ系のクラブや同好会に交じって、「○○の会」や「○○研究会」など、何をやってるんだかわからない団体が声をかけてきます。特に地方から出てきて友人もなく、1人で牛丼屋で飯を食うような寂しい生活をしていると、「誰でもいいから俺の話を聞いてくれ」という心理状態になるんですね。そのうえ、18歳や19歳の若者なんて、なんだかんだ言っても人生経験が足りませんから、本当に痛い目に遭ったことなどなくて簡単に人を信用してしまうんです。


 これを読みながら、「状況は、いまでもそんなに変わっていないのかな」なんて思いました。
 入学前の希望にあふれた大学生活のイメージと現実の寂しい生活とのギャップは、たぶん、どの時代でもそんなに変わらないのでしょう。
 大宮エリーさんの「回鍋肉パーティ」の話、いま読むと「いかにも怪しい感じ」なのですが、大学に入ったころの僕も、部活の勧誘の「鍋パーティ」とかに緊張しながら行っていたんですよね。
 あれがもし「部活を隠れ蓑にした宗教の勧誘」だったとしたら、僕は逃げ切れていただろうか?
 あるいは、学生時代に失恋とか学業不振、人間関係なんかに悩んだとき、優しく手を差し伸べてくれた人を疑うことができただろうか?
 うーん、僕はただ、運が少しだけ良かっただけなのかもしれません。
 それが、これからもずっと続いていけばいいなあ、と願うばかりです。
 人生の後半にも、危機はありますからね、いろいろと……


「バカだから、あんな宗教の勧誘に引っかかるんだ」っていうのは、そう思い込んで、自分を安心させたいだけだと思うんですよ。
 オウムの幹部たちは、僕なんかが逆立ちしてもかなわないような「頭のよい人たち」でした。
 そもそも、誰だって、「心が弱ってしまっている時期」はあります。
 そして、洗脳のプロにとっては、一度「洗脳モード」にハメてしまえば、相手がどんな人間であろうが、まず失敗することはありません。
 それこそ、スパイ養成機関で厳しい訓練を受けたような人間でもないかぎり、逃れることはできないのです。


 今日から本格的に新生活がはじまる、という人も多いはずです。
 だからこそ、このエントリを書きました。
 新しい世界には、希望と同時に、さまざまなトラップも隠されています。
 とはいえ、「何も、誰も信じるな」とも言えません。
 そんな人生は、あまりにも辛すぎる。


 ただ、こういう予備知識があるのと無いのとでは、少しは違うはずです。
 もしあなたの周りのひとが、取り込まれそうになっていたら、どうか、声をかけてあげてください。
 僕は、いや、僕たちは、いなくなってしまった彼の話になると、あれから20年経つのに、何も言えなくなってしまうのです。
 「僕たちの責任だ」と思うほど立派な人間じゃないけれど、「どうにかならなかったのか?」と考えずにはいられません。


 どうか、あなたの新生活が、充実したものになりますように。


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