琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

あなたは、この赤信号を無視して渡りますか?

参考リンク:バレなければ良いという生き方(ボストン@愛の日記)

↑の文章、高校時代、漢文の教科書に載っていた「天知る 地知る 子知る 我知る」という言葉を思い出しながら読みました。

ちなみに意味はこんな感じ(Yahoo辞書より)

後漢書(楊震伝)」より。楊震が王密のさし出すわいろを断った時の言葉
だれも知らないだろうと思っていても、天地の神々は知っているし、私も君も知っている。悪事は必ずあらわれるものである。隠し事はいつかは露見するものだ。四知。

直接の関係はないのだけれども、これを読んで思いついた話を。
僕はこんな状況で、いつも悩んでしまうのです。

真夜中の田舎道の交差点の横断歩道の信号は赤。
遅い時間なので、ほとんど車は通りません。暗いけれど、街灯があって、見通しは良い。
民家はあるけれど電気は消えていて、見渡す限り、人影もない。
しばらく待っていても、信号はずっと赤のまま。
さて、僕はこの状況で、どうするべきなのだろうか?

とれる行動は2つです。
「赤信号を無視して渡る」か「青になるのを待つ」か。
(某ベストセラー小説のように、突然ピストル自殺をする、という選択肢もありますが、まあそれは現実的ではないでしょう。そもそもピストル持ってないし)


「無視して渡る」を選ぶにしても、(1)「どうせ誰も見ていないから、罪に問われることもないので渡る」のか、(2)「こういう状況下では、待つのは時間の無駄だから、自己責任で渡る」のか。
「青になるのを待つ」場合も(3)「万が一、誰かに見つかったら責められるかもしれない(車が突然出てくるかもしれない)から待つ」のか、(4)「誰も見ていなくても、交通ルールは遵守すべきだから待つ」のか。


たぶん、みんなどれかひとつだけに偏っているわけじゃなくて、これらのいろんな要素が入り混じっているなかで、自分の行動を決めると思うのですが、僕は基本的に(4)なんですよね。
「ルールを守りたい」というよりは、「そうしないと、なんとなく自分に対して気持ち悪い」と感じるので。
でも、たぶん無人島だったらそんなことしないし、あまりに赤信号が続いたら、渡っちゃうかもしれません。
ただ、そういう行動に対して、「すべてルール任せにしてしまって、自分で状況判断をするという意識に欠けているのではないか?」と自問自答してもいるのです。
だってさ、そういう状況では、現実的には、まず車は来ないし、警察に捕まることもないんだから。
「そういう軽微なルール違反が、もっと大きなルール違反のきっかけになるのだ」という考え方もできるかもしれないけれど、実際に「100%右側の歩道を歩く」とまでは、普段から徹底しきれていないわけだし。


そんな細かいことまで気にしていては、キリがない、それもそうです。
「いちいち考えないようにする」というのも、「処世」なのだとは思う。
それでも、僕自身は、そういうときに「神様が見ているから」と言えない人間の迷い、みたいなものを感じずにはいられないんですよね。
みんな、そういうときには、どうしているんだろう?


あなたは、この赤信号を無視して渡りますか?
(ちなみに、車で信号無視したりはしませんよ。どんなに見通しが良くて、周りに人や車が見えなくても)


ところで、参考リンクの文章を読んで、もうひとつ思ったことがあります。
それは、「じゃあ、生まれてすぐに死んでしまった子供の人生に『意味』はあるのだろうか?」ということです。
そんなの揚げ足取りだと僕も思う。
でもさ、実際にそういう「人生」もまた存在しているわけで、「少なくとも親は短時間でも幸せにしてあげたじゃないか」とか「人間生きているのがマイナスを積み上げるようなものなんだから」とか「そんなことは考えずに、お前は運よく生きられているお前自身の人生にまず責任を持つべき」なのか、自分でもよくわからないのです。
そもそも、そういうのって、そんなに簡単に言葉にできるものなのか?
子供のために、少しでも「いい世界」を遺してあげたいな、とは考えるんですけどね。

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