琥珀色の戯言

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理系の子―高校生科学オリンピックの青春 ☆☆☆☆☆


理系の子―高校生科学オリンピックの青春

理系の子―高校生科学オリンピックの青春

内容(「BOOK」データベースより)
インテル国際学生科学フェア―それは高校生による科学のオリンピック。世界中の予選を勝ち抜いた理科の自由研究が集い、名誉をかけて競う。出場した少年少女たちは、どんなふうに育ち、なぜ科学に魅せられ、どんな研究をやってのけたのだろう?十歳で独力で爆薬を製造、やがて「核融合炉」の製作に挑んだ少年。自閉症を持ついとこのため画期的な教育プログラムを生み出した少女。少年院で非行少年たちの眠れる知の才能を発掘した熱血理科教師。ハンセン病に感染してもへこたれず、らい菌の徹底研究を開始した少女。そして小さな虫を手がかりに太古の地球環境を解明した日本人の少女。ほか研究に青春をかけた理系少年少女たちの感動の実話。科学はこんなにもおもしろい。


日本の中学校、高校時代って、「スポーツができる人たちがカッコいい!」ってイメージがありますよね。
僕は運動音痴で、体育の時間が大嫌いだったので、この本の登場人物たちには「共感」できるんじゃないかな、と期待しながら読みました。

 インテル国際学生科学フェア(ISEF)は、サイエンス・フェアによるスーパーボウルだ。毎年、50ヵ国をくだらない国々から1500人以上の高校生が集まり、400万ドルをゆうに超える賞金と奨学金をめぐって戦いが繰り広げられる。いわば高校生による科学のオリンピックである。

 すごいなあ、さすがアメリカ!
 理系の高校生たちにも、こんな「晴れ舞台」が用意されているのか!
 実は、これほどの規模と裾野の広さはありませんが、日本にも同じような科学フェアはあるのです。
 僕は学生時代にそんなものがあるとは知りませんでした。もう20年以上も昔の話なので、いまは日本の高校生もみんな知っているのかもしれませんけど。


 でも……率直なところ、この本に登場してくる高校生たちのあまりのすごさに、「ああ、この人たちは、まさに『科学の子』で、僕みたいなテストで点数をとることに四苦八苦していた人間とは、違う世界で生きているんだなあ」と圧倒されるばかりではあったんですよね。
 もっとも、このフェアに参加してくる高校生たちも、みんなが「自分の才能を証明するため」ではなくて、「あまりにも寒いトレーラーハウスに住んでいて、なるべく安く暖かくしたいとがんばった」とか「自閉症の従妹と深くコミュニケーションとりたかった」なども「切実な理由」に基づくものもあるのです。
 そういうエピソードを読むと、僕も彼らを応援したくなりました。
 科学は、人を幸せにするためにあるのだよなあ、って。


 しかしながら、彼らは「科学へのすごい興味と、目標に向かって努力する力」と引き換えに、現実世界で「うまくやっていく」能力が若干欠けているようにも思われます。
 この本で、僕がいちばん興味深かったのは、こんなすごい才能を持っている若者たちに、周囲の大人(親や先生たちや彼らを指導した人たち)は、どう接してきたのか、ということでした。


 大人たちは、ときに危険すぎる実験をやったり、研究をする意義を見失ってしまったりした若者たちを、信頼し、支え、そして、大人のほうも成長(あるいは再生)していくのです。 
 この本を読んでいると、若者たちを献身的にサポートするのは、「自分自身も居場所を失いかけている大人たち」なんですよね。
 

 この本の第一章で紹介されているのは、テイラー・ウィルスンという「核にとり憑かれた少年」です。
 彼は、10歳のころから、「核」への興味を持ち続け、14歳で、小さな「原子炉」をつくってしまいました。
 そんなことが、本当にできるのか?と僕は読んでいて驚愕したのですが、それは、たしかに「原子炉」だったようです。

 
 テイラーを支援してくれた大人は、ビル・ブリンズミードというネヴァダ大学の工学技術職員だったのでした。
 彼は、テイラーを子ども扱いせず、その研究を手助けしていきます。
 著者は、ビルについての、こんなエピソードを紹介しています。

 仕事を離れても、ビルは趣味で作っているものの部品を手に入れるために、政府のオークションをあさっている。こうして作っているもののなかに電気自動車があり、この赤い小型のスポーツカーは、時速160キロで突っ走ることができる。毎年、ネヴァダ州北部の砂漠の真ん中で<バーニング・マン>というアートフェスティバルが1週間にわたって開催されるのだが、ビルがこれの大ファンで、そこへ出かけるだけのために電気自動車を作りあげたのだ。3メートルの車体は、原爆の”リトル・ボーイ”を再現したもので、その上にはカウボーイが使う装飾を施した鞍を載せた。スタンリー・キューブリックの映画『博士の異常な愛情』では、B-52のパイロットがカウボーイのように原爆にまたがり、ロシアに落ちて行くのだが、ビルはこの映画に敬意を表し、”リトル・ボーイ”に乗って<バーニング・マン>の会場を走りまわるのだ。こと核兵器に関しては、ビルは健全なユーモアの持ち主だ。

 うーむ、日本人で、子どものころ広島に住んでいたことがある僕としては、これが「健全なユーモア」なのか?と言いたくなってしまいます。
 『博士の異常な愛情』に敬意を表しているのであれば、これは核兵器を賛美したものではないはずですが、僕はやっぱり、これって悪趣味というか、「アメリカの傲慢」に思えるのです。
 こういう人たちが、「原子炉をつくる方法」を握っている。


 子どもというのは、まっすぐに「自分の目標を達成すること」に向かっていく力があります。
 しかしながら、それは、「悪用されるおそれがある大きな力」でもあるわけです。
 大人だったら、「怖い」とか「それは世界を危険にさらす」と及び腰になるような研究でも、子どもや若者は、ためらわない場合があります。
 もちろん、「悪意」からではなく、「科学への情熱」を抑えることができなくて。


 この本で紹介されている研究のほとんどは、「良心的で、日常生活を充実させるもの」です。
 それでも、科学は「悪用」される危険をはらんでいます。
 「ノーベル賞」で有名なノーベルは、発明したダイナマイトが戦争で多量に使われ、大富豪となりました。
 ノーベルは、兵器としてではなく、「土木工事で安全に使用できる爆薬」として、ダイナマイトを発明したのに。
 

 「科学」は、善でも悪でもなく、「そこに事実として存在するもの」です。
 使いかたによって、どちらにも転んでしまうものです。
 だからこそ、使い方を誤らないようにしなければなりません。

 
 僕はこの本を読みながら、「こんなフェアがあって、天才を称揚しているアメリカって、やっぱりすごいなあ!」と感動していました。
 なぜ、日本は「理系の子」たちをうまく育てられないのか、と。


 でも、こんなフェアが必要とされる社会は、大きな問題も抱えているのです。

 かつてはみずからがサイエンス・フェアのスターだった審査員もいた。ペンシルヴァニア州ウィリアムズポートから来た産科医ロバート・ドナートは、癌に対して細胞を免疫にするウィルスの研究で、1976年のインテルISEFの準優勝に輝いた。家の経済的な事情から、このときまでロバートは大学進学をほとんど考えていなかった。しかし、サイエンス・フェアのおかげで何もかもが変わった。ロバートは全学費を付与する奨学金を得て、医学部で有名なアーサイナス大学へ入学することができたのだ。インテルISEFで2位に輝くと新聞記者から取材の申し込みが来るようになり、必ず将来の進路について尋ねられた。ロバートは答えを用意していた。
「医者になりたいですね」
 翌朝、この記事を読んだロバートの母は涙を流した。

 インテルISEFの400万ドル相当の賞金を手にする可能性は、誰にでもあるのだ。運のいい一握りの者が、数十万ドルを獲得するだろう。大学へ進学して卒業するまでの充分な学費を稼ぐものも出てくるにちがいない。医者、宇宙飛行士、技術者など、ずっと思い描いていた夢の職業に就くことができるか、2,3時間のうちに決まるのだ。

 要するに、「優秀な研究ができるのに、こういうフェアで最優秀クラスの成績をあげるしか、大学で勉強するための手段がない若者たちが少なからず存在している国」なんですよね、アメリカは。
 いまは、サブプライムローンにつづき、学資ローンが、大きな社会問題になっています。
 「大学に入るお金を稼ぐために、軍隊に入り、イラクに行った」
 のし上がるには大学に行くしかないけれど、大学に行って卒業したからといって、望んでいたような生活ができるわけじゃない。
 日本であれば、本人がある程度優秀であれば、奨学金とアルバイトでなんとか大学生活を送っていけるはずです。
 「サイエンス・フェア」の物語は、たしかにすごく感動的なのですが、そのドラマチックさは、「アメリカが厳しい競争社会であること」の象徴でもあります。


 この本の巻末に、日本からISEFに参加した高校二年生・田中里桜さんが「サイエンス・フェアが教えてくれたこと」という文章を寄稿されています。
 田中さんは、ISEF派遣者の代表として、ノーベル物理学賞受賞者・益川敏英教授と、小惑星探査機「はやぶさ」のプロジェクトマネージャー・川口淳一郎教授と対談したそうなのですが、その際に、こんな話をされたそうです。

「学生の研究では一つのことにこだわって、そのことだけを突き詰めて学ぶのはすばらしいと思う。しかし科学技術の進歩でその技術が不要となり、いくら研究しても人の役には立たないということも起こりうるのだ。学生には自分自身の研究をするために、まずは高校・大学で、何十年も未来で生き続けるような学問の基礎をしっかり学んで欲しい」

 一握りの「天才」たちにとっては、こういうのは意識しないまま通り過ぎてしまうところなのかもしれませんが、こういう「(とくに若いうちは)結果を求めることにこだわりすぎず、学問の基礎を学ぶべき」という考え方もあるのです。
 

 この本のなかで、僕にとって最も印象的だったのは、「科学と芸術」に関する、この話でした。

 また、電波天体のひとつパルサーの発見につながる研究をしたジョスリン・ベル・バーネルは。椅子に座ったまま屈みこみ、ハンドバックをあさって薄いノートを引っ張り出した。宇宙に関する詩をこのノートに書き写しているのだとベル・バーネルは言った。子供のことからずっと詩を書き留めているけれども、それを口にしたことはほとんどないというのだ。でも、ちょうといい機会なので打ち明けましょう。わたしは科学と芸術が大好きです。それどころか、このふたつは完璧なカップルだと思っています、とベル・バーネルは言った。
「わたしたちは厳格にものごとを実証していかなければなりませんが、創造力、常識にとらわれない、とんでもない発想が必要なんです。そもそもの仮説というのは、そこから生まれます」

 「発想力」と「証明する力」の双方を兼ね備えていないと、「科学者」として一流にはなれない。
 「科学と芸術は、完璧なカップルなのだ」と言われると、そのふたつを比較して優劣を考えることの無意味さが、わかるような気がします。


「感動のドキュメンタリー」であり、「科学教育の大切さ」を思い知らされ、「子どもにどう接していくべきか」悩まされる、そんな一冊です。
この本に出てくる子どもたちの、そして、科学の未来が輝かしいものでありますように。

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