琥珀色の戯言

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ニッポン異国紀行―在日外国人のカネ・性愛・死 ☆☆☆☆


ニッポン異国紀行―在日外国人のカネ・性愛・死 (NHK出版新書 368)

ニッポン異国紀行―在日外国人のカネ・性愛・死 (NHK出版新書 368)

内容紹介
異郷で亡くなったら遺体は冷凍空輸される!?
夜逃げ補償つきの結婚仲介ってどういうこと??
タイ人ホステス御用達の「美女になる油」とは!? ――――
海外のスラムや路上を数多く取材してきたノンフィクションの俊英が、
在日外国人たちの知られざる生態を追って全国を駆け巡る。
そこに浮かび上がってきたのは、日本人も知らない、この国のもう一つの姿だった!
グローバル化社会」「異文化交流」のスローガンが取りこぼしてきた
リアルな人間模様をすくい上げ、
新しい視点から、変容しつつある日本文化に光を当てた迫真のルポ。


この本の「まえがき」は、こんな言葉で始まります。

「日本で外国人が死ぬとどうなるか知っているか? 外国人の死体は内臓を抜かれて防腐加工され、ドライアイスで冷凍保存されたまま、飛行機で祖国へ送り返されるんだぞ。まるで輸出される魚だよな。
 けど、遺体の搬送ってすごくお金がかかるんだ。中東に運ぶだけで百万円はゆうに超える。日本で何年も必死になって働いても、死んでしまえば、貯金はすべて死体の搬送費用で消えちまうんだ。儲かるのは、日本の葬儀屋と航空会社だけ。結局俺たちは、いつまでたっても貧乏なままなのさ」

著者の石井光太さんは、この言葉を、新宿の路上で仲良くなったパキスタン人から聞いたそうです。
グローバル化」によって、日本にもたくさんの外国人がやってきているのですが、この新書では、彼らの「カネ・性愛・死」が、生々しく採り上げられています。
それは、彼らだけの問題ではなくて、外国人と共生している日本人にとっても、大きな影響を与えることもあります。
たとえば、イスラム教徒は「復活」のために肉体を残しておかなければならず、宗教上は土葬が義務づけられているのですが、日本のように誰がどこに埋められているかを示す「墓標」を建てる習慣はあまり無いのだそうです。
イスラム教徒は異教徒との結婚が禁じられているため、イスラム教徒の男性と結婚した日本人女性は、基本的にイスラム教に改宗します。
そして、この女性が亡くなった場合、「イスラム教徒の墓地に、墓標も建てられずに土葬されること」で、日本人遺族とトラブルになることもあるのだとか。


冒頭の「遺体の空輸」の話にしても、「そこまでして遺体を故郷に運びたいのだろうか?」とも考えてしまうのですが、それは、僕にとって、まだ「死」というものが、いまひとつ実感できず、特定の宗教を信仰していないからなのかもしれません。


また、群馬県太田市の「風俗」を、著者は取材します。
韓国での取り締まりが厳しくなったため、日本にやってきた韓国人セックスワーカーが、日本の地方都市に大勢流れてきているそうです。

 店を出た後、私は表通りに立つ風俗案内所を訪れた。従業員に、この歓楽街における韓国人の様子を聞こうと思ったのだ。
 黒いスーツを着た長髪の男性は答えた。
 「ここ数年、韓国人はすごい勢いで増えている。少し前までは、九割が日本の風俗店で、もう一割が東南アジアの店だった。そこに、韓国人たちが押し寄せてきたんだ。彼らは日本人の半額で本番までやる。たまったものじゃないよ。お金のない客はそっちへ流れていき、日本の風俗店はどんどんつぶれていった。東南アジアの連中なんてほとんど追い出されちまった」
 韓国人が地元歓楽街の価格崩壊を招いたということだろう。風俗業界では女性の取り分は約半額である。客が一万円払えば、女性には五千円入る仕組みだ。だが、日本人の女性が五千円で本番までやらせるとは考えにくい。売春という形態においては、韓国人に客を奪われるのは当然だといえる。
 しかし、地方の歓楽街は、雇用のセーフティネットとしての意味も備えている。地方では、中卒や高卒の女性たちの雇用がほとんどない。外国人にその職場を奪われたらどうなるのか。
 風俗案内所の従業員は答えた。
 「大丈夫。東南アジアの連中はいなくなったけど、今のところ日本人と韓国人は棲み分けをしている。日本人は<おっぱいパブ>や<セク・キャバ>など本番のない店に切り替えているんだ。ここらには、年寄りの客が多いし、リストラされた工場従業員もわんさかいる。彼らは安いお金で射精するより、コミュニケーションを求める。おっぱいを触りながら酒を飲んで、デレデレとしゃべりたがるんだ。これは、日本語が流暢でない韓国人にはできない。日本人たちは、韓国人にはできない風俗店をつくることで、うまく自分たちの生活を維持しているんだよ」
 私はそれを聞いて、日本の歓楽街の「未来」を垣間見たような気がした。
 今、日本には多くの外国人が押し寄せている。都内の歓楽街では外国人の店が年々数を増している。日本人は価格では彼らに太刀打ちすることができない。そこで、外国人にはできないサービスを展開することで客をつかもうとしている。一時流行した「耳かき店」や水着の女性が体を洗うだけの「洗体サービス」なんかがその典型だろう。
 これはシンガポールなどの国にも同じことがいえる。自国の女性たちはホステスや一部の高級店で働き、インドネシア人やタイ人やフィリピン人など外国人売春婦が庶民用の風俗店で働く。そうすることによって、自国の女性と外国人が上手に棲み分けをしているのである。やがては日本も同じように、性産業の中で、日本人と外国人のきちんとした役割分担が生まれるのかもしれない。

 こういう形での「グローバル化」が、日本の地方都市にも押し寄せてきているんですね。
 「性産業の中での役割分担」か……
 

 いまのところ、日本人は、少なくとも国内では「きつくて安い仕事は避けられる」立場にいるのですが、この新書を読んでいると、日本経済の低迷にしたがって、外国人からみた「日本市場の魅力」は、どんどん薄れてきているそうです。
 「中国人妻」との国際結婚の斡旋業者も、著者に「以前の中国人女性は『日本人と結婚して、日本に来ることができるのなら』と相手を選ばなかったけど、最近は、相手の日本人男性への条件が厳しくなっている」と言っていたそうです。
 ヘタな日本人と結婚するくらいなら、中国にも条件の良い男はいるから、と。
 

 この新書を読んでいると、いまの日本は、僕のイメージよりもはるかに「グローバル化」が進んでいるみたいです。
 それが、日本、いや僕にとって、良いことなのか悪いことなのかはわからないけど。


 この新書のなかで、いちばん印象に残ったのは、著者がコンゴの小さな町で出会った韓国人宣教師の話でした。

 その晩、私は韓国人宣教師と話をした。聞くと、一年前から布教のために住みついているのだという。そうすることになったいきさつを尋ねると、彼は答えた。
「私は妻が病気になった時に、教会に助けてもらったことがあるんです。妻は30代半ばで胃癌が見つかったのですが、すでに骨にまで転移していました。私の給料は低かった上、会社を辞めており、妻に十分な医療を受けさせることができませんでした。そんな時、親戚からある教会を紹介されたのです。
 私が教会のドアを叩き、事情を話すと、牧師は私が改宗すれば何でも協力すると言ってくれました。私は藁にもすがる思いで信者になりました。すると、牧師は信者から寄付金を集め、四年間の治療費の一部を肩代わりしてくれたのです。ただ、妻は助からずに命を落としてしまいました。
 その後、私はどうしようかと考えました。教会や信者の方々には言い尽くせないぐらいの恩を感じていました。そこで牧師に何か自分にできることはないかと尋ねたところ、勉強をして宣教師になり、世界で布教活動をしてはどうか、と勧められました。それが教会のためにも、手を差し伸べてくれた信者のためにもなる、と。それで、私は四十歳を前にして一から神学の勉強をし、この国に赴いたのです。
 この国に来て日は浅いですが、未だに武装組織などに対する怖いという気持ちはなくなりません。新聞を読んでいても、人々の話を聞いていても、どこかで紛争の話が出てきます。誰がどうやって殺されたとかそういう話です。また、エイズマラリアもひどいものです。しかし、私に手を差し伸べてくれた韓国の信者たちのことを思うと、恩返しをするにはこうやって布教をするしかないのです。
 それに、実のところ、国に帰ったところで、もう教会と関係なく生きていくことができないんです。実は、会社を解雇されているんです。妻の闘病生活を支えようとした時に会社のお金を横領したのが見つかってしまったのです。親戚にはそのことが知られてしまい顔を合わせられませんし、別の町で働くにしてもこの年齢で再就職するのは難しいでしょう。私には、この教会の中で生きていくしかありません。だからこそ、こうやって恐怖を押し隠しながら布教をしているのです」
 この韓国人宣教師の話を聞いた時、私は彼がキリスト教に対する思いだけからで危険な地域に住み着き、布教をしているのではないのだと知った。

 信仰を持たない僕は、何かの宗教、とくに新興宗教を「布教」する人への警戒心を消すことができません。
 でも、「布教する側」にも、そうなるに至る「理由」や「過程」があるんですよね。
 だからといって、僕が「信者」になる筋合いはないのだけれど。
 石井光太さんの著書を読むと、そういう「世界の割り切れなさ」みたいなものが、すごく伝わってくるのです。


2012年4月9日に、竹熊健太郎さん(@kentaro666)が、twitterで、こんなツイートをされていました。

天才放送作家で小説家の景山民夫は、晩年幸福の科学に入信して講談社抗議デモの先頭に立ち、世間の目が点になりました。なぜあのクレバーな人物が? と俺も疑問だったんですが、重度の脳障害を抱えた娘さんの面倒をずっと見ていたんですね。俺は景山さんを宗教にイカレた愚か者と簡単に嗤えないなあ。

僕もこの話を知るまでは、景山さんの「乱心」が理解できなかったし、「なんか狂っちゃったんだろうなあ」なんて思っていたのです。
人間の心の中は、本人にしか(いや、本人にさえも)わからない。


日本での在日外国人のことを考えるのは、世界のなかでの日本を考えるのと、似たようなことなのかもしれません。
とはいえ、僕に何ができる、というものではないし、いまや、日本人も日本で生きていくので精一杯、なのですが。



僕のTwitterはこちらです。
http://twitter.com/fujipon2

 

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