琥珀色の戯言

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【読書感想】お化け屋敷になぜ人は並ぶのか ☆☆☆


Kindle版もあります。

内容紹介
おそらく他にない「恐怖」を売り物とする、お化け屋敷。そのプロデューサーとはどんなことを考えて、そのビジネスを成立させているのか?「楽しいお化け屋敷を作りたい」と話す、著者の【緊張と緩和】理論とは。


著者について
お化け屋敷プロデューサー。株式会社オフィスバーン代表取締役。1957年、長野県生まれ。


「お化け屋敷」は、好きですか?
僕はジェットコースターとかお化け屋敷に関しては、「なんで金払って怖い目にあわなければならないんだ?」と考えてしまうほうなので(要するに、怖いからイヤだ、ってことなんですが)、ほとんど入ったことがないのです。
デートのアクセントとしてお化け屋敷、なんて機会もありませんでしたし。


この新書は、「お化け屋敷プロデューサー」という珍しい肩書きを持つ著者が書いたものなのですが、「いま、お化け屋敷はどうなっているのか?」と「お化け屋敷のプロデュースとは、どんな仕事なのか?」という興味で手にとってみました。

 私がお化け屋敷にストーリーを導入した後、さらにそれを進化させたのが1996年の「パノラマ怪奇館’96〜赤ん坊地獄」である。
「パノラマ怪奇館’96〜赤ん坊地獄」では、入り口で一人の赤ちゃんの人形を渡される。お客様は、お化け屋敷の暗闇に潜む魔物たちから赤ちゃんを守りながら、出口にいるお母さんまで、その赤ちゃんを届けなくてはならない。
 私はその頃、どうやったらお客様と恐怖の対象との距離を縮めることができるかを常に考えていた。人は怖いものを見ると、それを避けようとして距離を取り、関わりを避けようとする。けれど、距離を取られてしまうと、本当に怖い演出を体験できなくなってしまう。
 そこで思いついたのが、お客様に何かを持たせたり、何かの任務を与えるという方法だった。お客様が避けようと思っても、どうしても避けられない状況をつくってしまえばよいと考えたのだ。
 発想は「ストーリー」の延長線上にあった。ストーリーがあるのなら、お客様がそのストーリーの登場人物のよような立場になったら面白いのではないか。そのことによって、お化け屋敷に深く関わる立場になる。そのためには、お客様にストーリーに関わる何かの任務を負わせればよい。お客様は怖い、嫌だ、と思いながら、どうしても恐怖の対象に関わり近づいていかなくてはならない。それが今までにない恐怖を生むのではないだろうか。

 その後も、カップルを手錠で繋いで通路を壁で仕切り、手は繋がっているけれどお互いの姿が見えない状態で歩く演出や、お客さんに靴を脱いでもらって素足で体験するというアイディアも実現されているそうです。
 しかしこれ、「素足」っていうだけで、けっこう怖そうですよね。
 そして、話の種にでも、ちょっと体験してみたくなります。

 想像力というものは、実は我々が思っているほど自分の意識で操作できるものではない。筋肉に随意筋と不随意筋があって、不随意筋が自分で操作することができないように、想像力も思ったように動かすことができない。それが、想像力の厄介なところであり魅力でもある。
 想像力が、すべて本人の思った通りに働いたとしたら、これほど豊かな表現が世の中に溢れることができただろうか。想像力がすべて自分で操作できるものだとしたら、小説家が思いもかけないような物語を生み出すこともできないだろうし、音楽家が今までにないようなメロディーを奏でることもできないだろう。よく「アイデアが降りてくる」というような言い方をする。これなどはまさに、自分が操作していないところから何かがやってくる想像力の特殊な働き方と、感覚的にうまく表現している言い方である。
 このように想像力は、自分でコントロールできない側面を持っている。この側面が、お化け屋敷においては絶叫マシンの限度を超えた肉体的負荷の役割を果たす。つまり、お化け屋敷で恐怖を理性的に抑えこもうとしても抑えこめないのは、この想像の暴走によるものである。
 想像力の中でも、特に恐怖や不安についての想像力はコントロールすることが難しい。試験の前夜に明日のことが心配になって眠れない、という経験をした人も多いだろう。不安の想像力が勝手に働いて、眠っておかないと頭が冴えない、試験に悪い影響が出る、ということがわかっていながら、どうしても眠ることができなくなってしまう。不安を抑えることができず、結局眠れずに夜を過ごしてしまったという経験は誰にでもあるだろう。
 このように、恐怖の想像力はコントロールを失い、暴走を始めることがよくある。この想像力の暴走を利用して、誰もが作り物だとわかっているものを怖いものに変えてしまうのが、お化け屋敷のメカニズムなのだ。


 なるほど……
 お化け屋敷は「作り物」のはずだし、観客が物理的に傷つけられるはずがない、と頭ではわかっているのです。
 でも、入ってみると、やっぱり「怖い」。
 それには、こういう「想像力の特性」があるんですね。
 しかし、この話を聞いても、「怖いものは怖い」のだよなあ。
 「怖がり」の人間は、ある意味、「想像力が豊か」なのかもしれません。

 
 お化け屋敷をプロデュースするというのは、「怖さ」という他者の感情をコントロールすることです。
「アトラクション」としては、ただひたすら気持ち悪がらせるだけではなくて、屋敷を出たあと、「怖かったけど、楽しかったね!」と言ってもらわなければならないわけです。

それにしても、お化け屋敷がここまで進化していることに、僕は驚きました。
なんでもネット上でバーチャルに「体験」できるようになりつつある世の中ですが、だからこそ、その場にいなければ、その「怖さ」を感じることができない「お化け屋敷」の存在価値は、今後、よりいっそう高まっていくのかもしれません。
著者も「機械仕掛けではなく、キャスト(人間)が登場するお化け屋敷」に新しい可能性を見出しています。
大駱駝艦」という舞踏集団を率いる麿赤児さん演出の「暗闇の中から、大駱駝艦の白塗りをした舞踏家がお化けに扮して襲いかかってくるお化け屋敷」なんて、それこそ、「想像しただけで怖い」ものなあ。
著者がプロデュースしているような大掛かりなものではなくても、ショッピングモールの夏のイベントなどで、お化け屋敷が開催されているのを、最近よく見かけるような気がしますし。


とはいえ、僕のような40男にとっては、なかなか敷居が高いのもまた事実。
まあ、怖がりな僕としては、「自分が若い頃に、こんなふうに進化した、怖そうなお化け屋敷」が無かったことは、残念なような、正直ホッとしてしまうような。

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