琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

ファミコンの思い出 ☆☆☆☆


ファミコンの思い出

ファミコンの思い出

内容紹介
超人気サイト「思い出のファミコン」に寄せられた、家族や友人との泣き笑いエピソードを書籍化。


登場するゲーム数は、156本!
350本以上のエピソードを収録。
ドット絵のようなイラストは、すべて大図まこと氏による刺繍作品!


ファミコン世代に贈る、究極の1冊。

『思い出のファミコン』というサイトに投稿された、さまざまな人々の「ファミコンソフトに関する思い出」を集めて書籍化したものです。
「こんなマイナーなゲームまで!」と驚いてしまうような、ちょっとマイナーなゲームも採り上げられているのが嬉しい一方で、どのゲームも(『スーパーマリオブラザーズ』や『ドラゴンクエスト』シリーズまで)一律に見開きの2ページしか割かれておらず、ちょっと寂しい気もしたんですよね。
あと、こういう「読者投稿を集めた本」では致し方ないことながら、常連投稿者のコメントばかりが目立って、「またこの人か……」と、物足りなく感じたところもありました。


読んでいると、この本、やっぱりすごく懐かしいんですよね。
この本「ゲームそのものの思い出」よりも、「ファミコンの時代の家族や友人の思い出」が多くて、読みながら、うちの親は、僕があんなにゲームばかりしていても、よくあんなに大目にみてくれていたものだな、と思いました。

 私の父はとても厳しく、家の手伝いを済ませてから、そして宿題を済ませてからでないと遊ばせてくれませんでした。そして、目のためにも1日1時間。今考えればもっともなことなのですが、その当時は「別にいいじゃん」と思ってました。
 そんな父がある日、『ピンボール』をやってました。母と一緒に、楽しそうに。その姿は今でも忘れられません。父は決してうまくはなかったです。どちらかと言えば母のほうがうまかったと思います。私が替わってプレーして高得点を出すと、父が「お前、うまいな」とほめてくれました。あの厳しい父が、面と向かってほめてくれるなんてそれまでなかったので、とても嬉しかったです。それは高得点を出すよりもでした。
 それ以来、兄も交えて家族4人で時間も忘れ白熱しながら楽しんだのを憶えてます。


あの頃、ファミコンが普及しはじめた時期、親の世代にとって「テレビゲーム」という新しい遊びは、どんなふうに見えていたのだろうか……
「なんかわけがわからないものに、自分の子どもが、ご飯も食べず、勉強もせずに夢中になっている」という状況は、かなりのストレスだったのではないかなあ。
怒って電源コードを引きちぎった親。
一緒に遊んでくれた親。
子どもに見つからないように、夜中にこっそりファミコンで遊んでいた親。


自分が親の立場になってみて、あの頃の「いまの自分と同じくらいの年齢だった自分の親」のことを、考えることがあります。
同時に、自分の子どもには、僕はどんなふうに見えているのかなあ、どんな記憶をこの子は持って生きて行くことになるのかなあ、って。


いまは、親も一緒に、あるいは、親と子どもがそれぞれ好きなゲームで遊ぶのが「あたりまえ」の時代になりました。


あと、いまほど「新作ゲーム情報」が充実していない時代に、「クソゲー」を買ってしまった話も満載です。
グラディウス』の項には、こんな「失敗談(?)」が。

(『グラディウス』発売後にみんなで盛り上がった)数ヵ月後の休み時間。皆が「『グラディウス』みたいな横スクロールシューティングって他にもあるのかな?」という話になり、『グラディウス』で気を良くしていた僕は、また皆の先を越してやろうと企み、『バルトロン』というゲームを手に入れ、自慢モードに入りましたが、案の定クソゲー扱いされ、見事に轟沈したのは言うまでもありません(泣)。

うちにもありました『バルトロン』!
ちまちましたキャラクター、単調で眠くなる音楽、同じことの繰り返しのステージ、意味のないワープ……
あれが『グラディウス』の後に出たということ自体が驚きです。
まあでも、こうやって、25年後にネタにできているから、ある意味「元は取れた」のかな……
話としては、「クソゲー」のほうが盛り上がったりもしますしね。


読んでいて、僕もディスクの『悪魔城ドラキュラ』のクリア直前にフリーズしてしまったことや、中学時代に友達と『ファミスタ』を延々とやりつづけていたことを思い出しました。
なんだか、中高時代の思い出って、ゲームのことばかりような気もします。


この本の「おわりに」こんな言葉がありました。

 なんだか損ばかりの世代? でも僕たちにはファミコンがありました。まるで同級生のようなファミコン登場のタイミング。僕たちは一緒に成長していきました。ファミコンのおかげで、目をキラキラさせながら友だち同士で笑いあい、楽しくて夢中になって過ごした毎日。それらが今になってもみんなで共有できる喜びになっていることは、僕たちだけの贅沢な巡り合わせではないでしょうか。
 一時代を築いた「ファミコンブーム」という社会現象は、一人ひとりのファミコンとの思い出の集合体であり、僕たち一人ひとりがその歴史を作った当事者だったのです。

そうなんですよね、バブルが崩壊し、就職氷河期がやってきて、オウム事件に大きな自然災害……
成長の時代から、停滞、下山の時代へ……
「こんな時代に生まれて損した」と思いがちな、1970〜80年代生まれだけれど、少なくとも「ファミコンという友達」とともに過ごすことができたのは、けっこう幸せだったんじゃないかな、とも感じるのです。
僕は中学校に上がるときにちょうど転校することになったのだけれど、なかなか友だちができなくて、すごくつらい日々を過ごしていました。
その中学校はマンモス校で、地元の3つの小学校から生徒が集まってくるのだけれど、「大きなまとまりのなかに新しいひとり」だとみんな構ってくれるのに、「それぞれの派閥があり、固まっているなかの異物」っていうのは、かえって苦しかったんだよなあ。
でも、ファミコンは、毎日家で僕の帰りを待っていてくれた。
もし、あの頃ファミコンがなかったら、どうなっていたのだろう?
本当にありがとう、ファミコン


参考リンク:『思い出のファミコン』(この本の元になったサイトです)

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