琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

政治の修羅場 ☆☆☆☆


政治の修羅場 (文春新書)

政治の修羅場 (文春新書)

内容(「BOOK」データベースより)
自ら「地獄を見た」と言うほど、数々の修羅場を潜り抜けてきた鈴木宗男が、いまだから語れる秘話を満載。角栄中川一郎、金丸から小沢、小泉、プーチンまで、手に汗にぎるエピソード、内幕を明かす。読めば、カネ、人事、権力闘争をめぐる「永田町の論理」が浮かび上がる。


この新書を読みながら、ずっと考えていました。
結局、政治家として成功するのは、マメさと気配りと人間関係なんだなあ、って。
それは、「人間として大事なこと」なのかもしれません。
でも、結局この人は、「日本をどうしたいのか」という明確なビジョンはなくて、その場その場で、与えられた仕事をマメにこなし、周りにサービスして、のし上がってきたんですよね。
それはもちろん、悪いことじゃないけれど、「出世するための技術」が素晴らしいのに、「出世して何がしたいのか」が欠けている人生というのは、なんだかとても不気味な感じがするのです。


この新書のなかでは、「お金の話」や「鈴木宗男さんが、周囲の人にやってきたこと」も、けっこう赤裸々に書いてあります。
鈴木さんが政治家になるきっかけになった中川一郎さんとの出会い、秘書としてめざましい働きをして、中川さんからも周囲からも認められたこと。
そして、「デキすぎる秘書」であったがために、中川さんの奥様や中川さんの周囲の代議士たちとの関係がギクシャクしてしまったこと。
そんなかでの、中川さんの自殺と、その遺児との選挙での「下克上」と言われた争い……


あくまでも、鈴木宗男さんからの視点で書かれている新書なので、おそらく、周囲の人からすれば、まったく違った「事実」が存在するはずです。
でも、この本、滅法面白いんですよね。
それは、鈴木宗男という人が、「あくまでも自分の視点で語る」ことを貫いているからで、「こんなことを書いたら、公平性に欠けるかな」なんていう「配慮」をせずに、「もう批判しても大丈夫な人」に対しては、言いたいことを言っているからなのです。
中途半端に「客観的に書こうとしていない」からこそ、この新書は面白い。


この本の冒頭に、こんな話が出てきます。

 平成14年に”鈴木宗男バッシング”を受けたとき、
「宗男の田舎には『鈴木踏切』がある。利権で踏切を作って、自分の名前を冠にしている」
 とさんざん言われた。よく調べもしないで、とんでもない話だ。田舎ではみんな、自分の家まで行くために自分の土地に踏切を作る。佐々木踏切や鈴木踏切はたくさんあるのだ。

これは「事実」なのでしょう。
にもかかわらず、マスコミは「鈴木踏切」を「権勢をふるった男の象徴」のように、面白おかしく採り上げた。
しかしながら、あの『ムネオハウス』の話は、この新書のなかには一切出てきません。
「自分に都合の良い話を強調することによって、自分に都合の悪いことも『デマだった』と思い込ませようとしている」ようにも感じられるんですよね。
こういうやりかたは、ネットなどでもけっこうよく行われていて、「10のうち9正しくて、1間違っている。その1の部分を強調することによって、10のすべてが間違っているような印象を与えようとする」人は少なくありません。もちろん、「10のうちの1しか正しくない場合」に、逆のことをやる人もいるのです。


「赤裸々」なようでいて、鈴木宗男さんという人は、ちゃんと「書いてもセーフなこと」と「これを書いたら危険なこと」の線引きをしているんですよね。
そういうところに、僕は怖さを感じるのです。
この人は味方には「情に厚い人」だろうけど、敵には徹底的に酷薄になれるのではないか、と。


しかし、この新書を読んでいると、なんのかんの言っても、日本の社会は(僕は外国の社会をよく知らないのですけど)、「マメさ」と「情」で動いているのだな、と考えずにはいられません。

「選挙に勝つ秘訣は何か?」とよく尋ねられるが、それは日常活動に尽きる。
 選挙期間が始まってから頭を下げても遅い。「金帰火来」とよく言われる。金曜日、国会が終わったらすぐ地元へ帰る。月曜は本会議も委員会もないから、火曜に上京する、という意味だ。私も2期目の当選を果たすまでは、毎週びっしり「金帰火来」を実行していた。地元では、細かく後援会を回って、演説会や国政報告会を開いていた。それを地域ごとにこなしていく。
 それをきっちりやっていれば、選挙にはさほど苦労しないですむ。3回当選できれば、もうだいたい大丈夫だ。
 私は選挙期間中、1日に何人と握手したか、その記録を毎日つける。50万票取ろうと思えば、5万人と握手する。選挙を3回やったら、手を握る具合によって「この人は大丈夫」「この人は逃げる」がわかるようになった。同時にその感触を記録していくから、私の票読みの誤差は約1割。選挙予測より正確だ。

こんなに地元での「票集め」ばかりやっていて、この人は選挙に勝って、「政治家であり続けるために、政治家をやっている」のだろうか?と、僕は思ったんですよ。
ただし、鈴木宗男さんの名誉のために書き添えておくと、鈴木さんはすごい行動力で、政務次官時代に、外国を飛び回ったり、他のどの次官よりも精力的に各地の自衛隊の駐屯地を訪問したりされてはいるのですけど。
鈴木さんは、二世議員でもなく、秘書上がりの苦労人なだけに、「選挙民」たちの気持ちのオモテもウラも知り尽くしているようにみえます。

 海自と空自の基地がある硫黄島へも行った。当時、硫黄島の任務は半年交代で、何の楽しみもない。だから私は、横綱北勝海を連れて慰問に行った。自衛隊員はみんな喜んだ。沖縄の基地へは、千代の富士を連れて行ったこともある。部隊慰問というより家族慰問だ。離島で頑張っている連中に、「国民はあなた方の頑張ってることは知ってますよ。みんな評価しています」と言うと、家族たちも泣いて喜んだ。

 防衛庁(当時)の入口の両脇に、歩哨が立っている。彼らは、沖縄を除く全国の郷土部隊から2週間交替で派遣されてくるエリートだ。将来、その郷土部隊の幹部になる人材だ。
 私は彼らに、ウイスキーや酒を差し入れた。ところがこの2週間の間、酒は飲めないという。そこで別のものを考えた。インスタントラーメンがいいと思ったが、お湯が必要だとかいろいろあって、あんぱんに決まった。そこで私は木村屋のあんぱんを毎週1万円分、差し入れることにした。
 それは平成14年3月まで続けた。”宗男疑惑”が出てきたものだから、防衛庁に迷惑をかけてはいけないと思って、私のほうで遠慮して止めた。つまり、平成元年に防衛政務次官になってから、約14年続けたことになる。

 鈴木宗男さんというのは、田中角栄さんから連綿と続く「昭和の人たらし政治家」の系譜を受け継いでいる人のように、僕には思われます。
 気配りができ、バイタリティにあふれ、実行力もある。
 身近にいれば、人間的な魅力も伝わってくる人なのでしょう。
 あれだけのバッシングにあっても、こうして立ち上がってこられたのは、「底力」だとしか言いようがない。

 
 鈴木宗男さんへの好悪の感情はさておき、この新書、たしかに「人間関係の大切さ」とか「他人とどう付き合っていくか」を考えさせてくれる、良いテキストでもあります。
 鈴木宗男さんの「陳情のさばきかた」。

 そのうちに多忙な中川先生に代わって、さまざまな陳情を受け付けるようになった。このときの経験は、自分が議員になってからも大いに役立っている。
 陳情のためにわざわざ地元からやって来る市町村長や地方議員は、みんな公の代表だ。選挙という民主主義の手続きによって選ばれた人たちが、議会で決定された公の案件を持ってくるのだ。一時よく「利益誘導」という言葉がマスコミで持て囃されたが、選挙と議会決定を経たものは、すべて公の話だ。だから一つとして、ないがしろにすることはできない。
 とはいえ、すべてを実現させることも無理だ。それぞれの案件をどう見極め、どう応えるか。それは、政治家の見識と力量、そして政治勘の問題だ。私は常に、その案件によって富の公平分配がなされるか、将来的に見ていいプロジェクトか、という観点から判断してきた。
 加えて、即断即決を旨とした。話を聞いた段階でできないと思ったものは、その場できちっと「これは無理ですよ」と言う。それは経験上、判断がつくようになる。問題は、筋が通っていて相手が納得するような、説明の方法だ。時には、鈴木宗男は冷たいとか、話を聞いてくれなかったと誤解する人もいる。しかし長い目で見たら、鈴木の判断は正しかったとわかってくれるものだ。
 それは、田中角栄中川一郎鈴木宗男に共通するやり方だった。イエス・ノーをはっきりさせる胆力。政治家はこれを持ち合わせないとダメだ。「わかったわかった。前向きに検討する」といった甘い言葉で引っ張って下手に期待を持たせたら、負の遺産になってしまう。のちのち、お互いが無駄なエネルギーを使うことになるのだ。
 まさに政治家の見識が問われるところだ。政治家は”お世辞家”になってはいけないのである。

 これは「政治家の見識」だと鈴木さんは仰っておられますが、「なかなかノーと言えない人間」である僕は、これを読んで、考えさせられました。
 たしかに、大事な関係であればあるほど、「下手に期待をさせたおかげで、負の遺産になってしまう」ことは多いのです。
 「イエス・ノーをはっきりさせる胆力」は、政治家じゃなくても、持っているにこしたことはありません。
 しかしながら、それを持っている人は稀有で、だからこそ、「政治家に向いている人」というのも少ないのかもしれませんね。


 本当に「面白い新書」なので、「鈴木宗男って、なんかちょっと胡散臭いよな……」という人にも、一度読んでみていただきたい。
「見直す」か「胡散臭さの理由がわかる」かは、人それぞれだとは思いますけど。

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