- 作者: 東海林さだお
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2012/03/16
- メディア: 単行本
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内容紹介
「丸かじりシリーズ」第34弾。東日本大震災を経て改めて考えた日本人と「食」問題。ますます意気軒高、秀逸な観察眼が冴えわたる!――日本お茶史、日本国鍋物法、稲荷ずしを正しく食べる、カップ麺をお店で食べると、巨大筍のザクザク、弁当箱を振り回す男、汁かけ飯やってますか、大論文「食べ物における団体と個」、なに?ビールに氷?、ミニトマトをどう食べる?“齧る”のファンです、非常食フルコースの夕べ、ウニ丼騒動記、とナルト、ナルトは……。抱腹絶倒の東海林ワールド、定番の最新刊。
『週刊朝日』に連載中の日本を代表する「食エッセイ」。
この『アンパンの丸かじり』は、2011年2月から10月までの連載分をまとめたものです。
僕は東海林さだおさんのエッセイ、全部とは言いませんが、書店で見かけると買って、読書に疲れたときに読んでいるのです。
いつも「安定した面白さ」で、「感想文」を鯱張って書くのではなく、さらっと読み流せる素晴らしさ。
この巻に関しては、連載期間が東日本大震災前後ということで、『丸かじり』では、あの時期をどう描いていたのだろう?
それが気になっていたのです。
結論からいうと、「ほとんど普段と同じ」でした。
大震災の翌日に西友に行って、「見渡すかぎりの棚に商品がない」状態だったときの話や、その後、近所のスーパーに品物が戻ってきた時の話があるくらいで、あとは、本当に「いつもどおりの『丸かじり』」だったのです。
大震災の翌日の話にも、ちゃんと「オチ」がついていますし。
締め切りの関係で、書いた時期と掲載される時期がズレるため、時事的なことは書きづらい、東京にはそれほど大きな影響はなかった、などの理由はあるのかもしれませんが、東海林さんは「だからこそ、日常を描く」と決めていたのかもしれません。
大震災のあと疲れて見る影もなかったスーパーがようやく賑やかになってきた。
スーパーに入って行って、たくさんの野菜の緑を目にすると元気が出る。
うちひしがれているときはとりあえず緑。目にいっぱいの野菜。
どんなスーパーでも、入って行ってすぐのところは野菜売り場と相場が決まっている。
入って行ってすぐのところが肉売り場というスーパーはまずない。
入って行っていきなり牛肉とか豚肉とか鶏肉が並んでいたりすると急に気が滅入る。つまるところあれらは死骸だからでしょうね。
こんな文章を読むと、「ああ、東海林さんも、震災のあとは『死の影』を感じていたのだなあ」なんて考えてしまうのですけど。
ところで、この本のなかで、東海林さんが見た「変わったアンパンの食べ方」の話が出てきます。
アンパンの食べ方は十人十色、みんな端っこからムシャムシャ食べる。
これ以外の食べ方は考えられない……のだが、あるんです、これ以外の食べ方が。
見たんです。
かれこれ30年以上前、新宿駅のホームの売店で。
牛乳とパンを店頭に並べて売っている売店があちこちにあって、朝、そこにサラリーマンが群がって、大急ぎでパンと牛乳で朝食を済ませていた時代。
50歳ぐらいのサラリーマンがパンと牛乳を買っていきなりそれをやった。
それをぼくが見ていた。
見事なものでした。
そのサラリーマンは左手に牛乳ビンを持ち、右手でアンパンを握りしめ、更にギュッと握りしめ、更に更にギュッと握りしめ、そうやって小さく固めたアンパンを口に放りこんでウグと飲み込み、そこへ牛乳を流し込んで立ち去るまでに30秒。
鍛えあげた手練の早技だった。
いま、そのことを思い出した。
急に思い出した。
東海林さんでさえ、この30年間で一度きりということですから、この「極度に効率的なアンパンの食べ方」は、一般的なものではないんでしょうけど、世の中には、こんな食べ方もあるんですね。
ちなみに、東海林さんはこの食べ方を再現してみたそうなのですが、「これがおいしい。とびっきりおいしい」と仰っておられます。
そういえば、僕は子どもの頃、アンパンを食べるときに最後にアンが無くなるのがイヤで、周りの皮の部分をぐるりと食べて、中央部が残るように食べていたなあ。
「偉大なるマンネリズム」
それでいて、読んでいると、必ず一冊に何ヵ所か、「ああ、僕の中にモヤモヤしていたものは、こういうふうに言葉にできるのだな」と感心せずにはいられないところがあるんですよね。