琥珀色の戯言

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【読書感想】二世兵士 激戦の記録: 日系アメリカ人の第二次大戦 ☆☆☆☆


二世兵士 激戦の記録: 日系アメリカ人の第二次大戦 (新潮新書)

二世兵士 激戦の記録: 日系アメリカ人の第二次大戦 (新潮新書)

内容(「BOOK」データベースより)
日本人の血を引きアメリカで生まれた「二世」。アメリカと日本、そしてヨーロッパやアジア、太平洋の島々で、二世兵士は日本人の美徳を発揮し、壮烈に戦った。その姿は、米大統領の心をも揺さぶるものだった。米陸軍史上最強の第一〇〇大隊、第四四二連隊、“米軍の秘密兵器”情報語学兵、そして日本兵になった二世、GHQ朝鮮戦争…。未だ激戦の記憶が生々しい元兵士たちの膨大な証言から浮かび上がる第二次大戦。


「2つの祖国」のあいだで翻弄された「二世兵士」たち。
戦場では「アメリカ陸軍最強部隊」とまで賞賛され、「情報語学兵」として「敵国・日本」を解析し尽くした彼らの「生の記憶」が集められた本です。
「日本からも、アメリカからも差別されていた」彼らは、「自分や同胞の立場を守るため」否応なく戦争にコミットしていきます。
アメリカでは「自分たちを収容所に隔離した国」のために戦う、ということに疑問を感じながらも、彼らは自ら戦って「アメリカ人」であることを証明せざるをえませんでした。

 日米両国併せて、兵士になった二世は3万6000人余(米軍3万3000人、日本軍3000人から5000人)。人により差こそあれ、彼らの誰もが日米二つの国の間で苦悩した。生死を分けた戦地で、祖国とは? 自らの身体に流れる血とは? という根源的な問いを突きつけられ、辛い決断や行動を迫られたからだ。
 アメリカでは、明治に始まる日本人移民(ジャパニーズ)は、長い排日と第二次世界大戦を経て、ようやく日系アメリカ人(ジャパニーズ・アメリカンズ)と認められるようになった。
 今、私がアメリカに暮らしていても、また日本人がアメリカを旅しても、差別を受けることはまずないだろう。それは、戦後日本の驚異的な復興と経済成長の賜でもあるけれど、二世の戦地における活躍がなければ、アメリカで日系人や日本人にこれほど暖かい光が射すことは決してなかったはずだ。

 ちなみに、1942年のアメリカでの調査では、徴兵可能な日系人は約3万6000人、1940年に在米日本人会が発行した資料には「現在日本には、約2万人の二世が滞在」と書かれていたそうです。
 前者によれば、アメリカでは徴兵可能な日系人のうち90%以上、後者でも女性が半分、小さな子どももいるとして、おそらく徴兵可能な日系人のうち半数以上が戦争に関わった、ということになりそうです。
 日本からもアメリカからも「裏切りそうなやつら」という偏見を浴びながら、戦場に送られ、また、だからこそ「その偏見から逃れるために」激しく戦ってみせなければならなかったのです。
 ときには白人兵士たちの「盾」として。
 この新書のなかでも、ヨーロッパ戦線で孤立した白人部隊を救出するために、「救出した部隊の兵員数の何倍もの犠牲を出して」救出作戦を成し遂げた「二世部隊」の話が出てきます。
 映画『プライベート・ライアン』の拡大版のような。


 こういう「差別に基づく作戦」で多くの犠牲の上に成果をあげたことによって、「二世兵士」あるいは「日系アメリカ人」は、アメリカのコミュニティに受け入れられていきました。
「あいつらは戦争のときによくがんばったんだから、認めてやろう」って。

”冷凍保存”の日本文化の他に、二世を特徴づけているのが言うまでもなく日米の二重性だ。その心情を1920年大正9年)にワシントン州シアトルで生まれ、1933年(昭和8年)から5年間を日本に暮らしたハリー・フクハラ(92歳)はこう説明する。
「アメリカは私が生まれ育った国であり、唯一知る国家だった。でも、その国でジャップと差別されればどうしたって日本贔屓になる。ところが、日本に行けば行ったで、”米国者”といじめられたから、今度はアメリカ贔屓になってしまう。アメリカ人にも日本人にもなり切れない二重苦。二世の誰もが抱えていた問題です。

 米軍のなかでも、「二世兵士」への扱いは差別的なものでした。

 ところでこの期間、B中隊から25名が選ばれて、仲間の日系兵にすら内緒で姿を消している。消えた彼らに与えられたのは、信じられないほど差別的な任務だった。25名のひとり、ホノルル出身のレイモンド・ノサカ(96歳)が証言する。
「マッコイ基地にいた時でした。任務を伝えられないまま、突然メキシコ湾上のキャット島に送られました。その島で命じられたのは、軍用犬を出血するまで叩くこと。そうすることで、犬が我々の匂いを覚え憎むように仕向けたのです。その上で、上官は犬に向かって怒鳴りました、『あいつらを殺せ!』とね。防具は着けていましたが、完全に犬の”生き餌”。陸軍は、日本兵にだけ食いつく軍用犬を育てようとしていたのです」
 最終的にこの計画は「効果不明」で実行には移されなかったが、25名の二世兵は4ヵ月間、「犬の生き餌」としてメキシコ湾の小島に閉じ込められた。

……ここまでくると、なんというか、乾いた笑いさえ浮かんできます。
戦争というのは、どうして人にここまでバカバカしいことをさせることができるのか。
 家族は収容所に入れられているなか「志願」してきた若者たちに与えられた任務は「犬の餌」なんて。


ただ、「二世兵士」は、あの戦争のなかで、特別に悲惨な存在だった」とも思えないところもあって。
日本人として生きてきた僕にとって、彼らは「敵だった人たち」なのです。
結局、「豊かな国の側についた」彼らは生き残り、多くのずっと日本に住んでいた日本人が、彼らより、もっと悲惨な戦争体験をして、死んでいきました。
「生き残れた分だけ、マシじゃないか」なんて感じたりもしたのです。
そして、そのことを「戦争体験」を持たない僕があれこれ言うのもおこがましい、という気持ちもあります。


でも、「戦争体験」というのは、誰かと比較するものじゃないのですよね、きっと。
先日、芥川賞を受賞した鹿島田真希さんが、受賞者インタビューで、

 人間がすごく不幸なのは、国家や社会規模の”公的な不幸”を抱えながら、一人一人に固有の”私的な不幸”を抱えているところです。その公的な不幸と私的な不幸の比重というのは同じだと意識することが、うまく生きるコツかなと私は思います。たとえばいま、東北の震災がニュースで採り上げられたかと思うと、いじめで自殺する子どものニュースが報じられます。この二つの不幸は同じ比重だと考えるべきだと私は思うんです。不幸の大きさは、公的であろうと私的であろうと変わりません。


 私的な不幸を、「たいしたことないから」とか「もっと大変な人がいるから」などといって忘れたことにして乗り越えようとするのは違います。「自分の悩みは結構深刻な問題だぞ」と自覚するのは意外と大切なことで、私的なことだからと人に相談したりSOSを発するのは恥ずかしいとは思わないほうがいい。大人でも子供でもいっしょです。

という話をされていましたが、「戦争体験」というのは、まさにこの「公的な不幸」と「私的な不幸」を併せ持っているものではないかと。


誰かがつらい思いをして、誰かが幸せになったわけじゃない。
みんなそれぞれ、その背景や状況に応じて、不幸になってしまう。
それこそが、戦争というもののやるせなさなのだと思います。


14年間沖縄に住んでいた二世兵を待っていたのは、過酷な任務でした。

 沖縄上陸後、洞窟を訪ね、そこに潜む兵士や民間人に投降を呼びかけるのがヒガの任務となった。ある時、洞窟に籠もったふたりの日本兵がいくら説得しても反応しないので、戦闘員を使って無理やり引きずり出したことがある。尋問を始めると、ふたりとも「喜捨場小学校出身」と答えた。その瞬間、ヒガの耳がピンと立った。それは、ヒガも卒業した小学校だったのである。よくよく見れば、ふたりの顔にも見覚えがある。
「ヒガ・タケジロウを知っているか?」
 ヒガが訊くと、ふたりは驚いた顔をして言った。
「知っているがハワイに帰った。何年も前だから、再会してもわからないだろう」
「『馬鹿野郎、同級生の顔も覚えてないのか!』と、私は怒鳴りました。ふたりは私の顔をまじまじと見つめてハッとしました。それから私たち三人は、ただ抱き合って泣き続けました」
 ヒガの眼に、再び涙が溢れた。
「私はこの時、自分が沖縄に来た意義を悟ったんです。沖縄方言で、『出てきなさい』は、『ンジティメンソーレ』。後日、多くの人々から『ンジティメンソーレと言われたから、信用して洞窟を出た。自決しないですんだ』と感謝されました。沖縄で、私は一度も銃を撃たなかった。沖縄戦は惨いことだらけでしたが、これが私の人生の救いです」

 ヒガさんのように「戦場での自分の役割」に救いを得られた人がいました。
 その一方で、「日本の軍需産業に関する翻訳」にたずさわったダン・オカさんは、こう回想しておられます。

 終戦の翌月、海兵隊とともにハワイから下関へ。
佐世保を見た時、衝撃で精神的に追い詰められました。日本は何もかもがぺしゃんこになっていた。僕の翻訳が使われたんだと思うと……」

 自分が実際に「手を下した」のではなくても、いや、そうでないからこそ、「自分のせいで……」と考えてしまうところもあるのだと思います。
 人間というのは、「わりきれない生き物」です。


 二世兵たちは、終戦後のGHQの占領行政においても、大きな役割を果たしました。
 二世たちが望む望まないにかかわらず、アメリカには「それしか選択肢がなかった」のです。


インタビューに応じている元・二世兵士たちの年齢を考えると、まさに「タイムリミット寸前」に上梓されたこの新書。
「それなら、戦争してやろうじゃないか!」とネット上で声を荒げている人たちに、ぜひ一度読んでいただきたいと思うのです。
「国のため」と言うけれど、国は、ひとりひとりの人間に、何をしてくれるのか?
そして、本当に「国のため」「その国に生きる人のため」には、どうすればいいのか?


答えが簡単に出るわけもない問題だからこそ、日本とアメリカの「裂け目」みたいなところに立たずにはいられなかった彼らの声に、耳を傾けてみていただきたいのです。


ひとりでも多くの人に、いま、読んでみていただきたい一冊です。

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