- 作者: 津田大介
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2012/11/13
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- 作者: 津田大介
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
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内容紹介
政治は、もはや遠い世界の出来事ではない。
きみがウェブを駆使して社会を動かせる時代が、もうそこまで来ている。
もし、この本が夢見る未来が実現したとしたら、世代間格差も、地域間格差も消え、国民の声がまんべんなく政治に反映される世界が到来するだろう。
そのとき、真の民主主義の実現に一歩近づけたといえる。
「民主主義」とかいうと何だか大げさに聞こえるけれど、そのとき、少なくともきみは政局ショーの観客の一人ではなく、実際にこの国を動かす一人になっているかもしれない―。(「はじめに」より)
本書では動員の革命、政治家のSNS利用、ネット選挙、オープンガバメントなど、近年のめざましい動きを追い、
「どうせ何も変わらない」「政治家たちのゴタゴタにはウンザリ」という閉塞感を抱えた現代人へ向け、
ネット界の寵児が社会への新しいアプローチを説く。
500円という価格に惹かれ、Kindle版を購入し、iPhoneで読みました。
iPhoneの画面の狭さとディスプレイで文字をずっと追っていくことに慣れず、けっこう目が疲れましたが、かさばらないし、暗いところでも読めるし(目が悪くなるので、オススメはしませんが)、気になるページにも簡単にブックマークできるし、何よりも紙で買うと税別861円なので、良い買い物だったと思います。
この本は「ソーシャルメディアを利用して、僕の力でも世の中を変えられる」ことを訴える内容なのだろうな、と思っていたのですが、読んでみると、そういう「理想論」ばかりではありませんでした。
インターネットが出現してきてから現在までの「ソーシャルメディアが世の中に及ぼしつつある影響」を総括すると同時に、「いま現在(2012年秋)の段階での「ソーシャルメディアの限界」みたいなものも、けっこう書かれているんですよね。
津田さんが「政治に興味を持った理由」は、2004年の「レコード輸入権問題」だったそうです。
このときに、津田さんは、洋楽の輸入盤が制限されることを危惧し『だれが「音楽」を殺すのか?」という本を出して社会に問いかけたのです。
しかし、実際に方針や法律が決められるのは、各省庁の委員会や審議会。
メンバー選びの時点で、ある程度結論の方向性が決まっているような状況でした。
取材をしていく過程で気づいたのは「政治や政策に無関心でいては、自分の好きなものがいつか誰かの勝手な都合で変容させられてしまう」ということだ。その事実に気づいた瞬間、それまで「自分からは遠い存在と感じていた政治や政策が身近な存在に変化した。
「政治なんて、僕には手の届かないところでやっているんだから」
「そんなめんどくさいものには、極力かかわりたくない」
僕もついそんなふうに考えてしまいます。
でも、何も言わなければ、賛成しているのと同じになってしまうことは、少なくありません。
「政治の世界のルール」を知っている人たちは、「ちゃんとした手続きを踏んで」、僕たちがめんどくさがっているあいだに、いろんなものを好き勝手に変えてしまうのです。
津田さんは、2012年の春に出版された著書『動員の革命』のなかで、ソーシャルメディア時代の大きな変化を、こんなふうに総括しておられます。
ソーシャルメディア革命とは、「動員」の革命なのです。
とにかく人を集めるのに長けたツールです。人を集めて行動させる。まさにデモに代表されるように、人が集まることで圧力となり、社会が変わります。そのソーシャルメディアの革命性が最大限発揮されたのが、「アラブの春」でした。
もちろん、イスラム世界などでも激しい命のやりとりを伴う大きな事件の話だけではありません。日本やアメリカ、比較的平和な先進国でも、同じように人の感情に訴えかけて背中を押すという機能が有効に働いています。
もっと細かい話、例えば、最近のイベントでは「ツィッターやフェイスブックで、たまたま知ったから来ました」という参加者が増えています。人が行動するきっかけになっています。アーティストの中にも、ツィッター、フェイスブック上でファンと交流した結果、「ライブのお客さんが増えた」と言う人もいます。それも含めて「動員の革命」なのです。
ソーシャルメディアを利用することにより、たしかに「(集客力のある人は、さらに)人を集めやすくなった」のは事実でしょうし、イベントを行うのにかかる費用や期間、そして、そのイベントに参加することに対する心理的な壁も低くなりました。
この本のなかで、津田さんは、2012年6月29日と7月6日の大規模な大飯原発再稼働反対の官邸前デモを紹介しています。
6月29日、7月6日、どちらの結果も、マスメディアによる情報がデモを訪れるきっかけとなった割合は1〜2割程度。それに対し、ネットや口コミによってデモに参加した割合は7〜8割にも及んだ。この調査結果は官邸前デモがソーシャルメディアや、それに触発された口コミによって”動員”されたデモだったことを如実に示している。
デモの目的や方法論、そして、そもそもデモを行うことにどれだけの意味があるのか、ということはしばしば議論の題材になる。とかく日本においてデモは、「そんなことをやっても社会は変わらない」と、冷笑的スタンスで見られがちだ。しかし、政治に大きな影響を及ぼすドイツやフランスの市民デモに「異議申し立てのため、ただ、参加するだけでいい」「デモは楽しいもの」という共通点があることをわれわれは知っておくべきだ。
官邸前デモの何が新しかったのか。それは「毎週金曜日18時〜20時」という決められた時間に抗議行動をし、終了後はすぐに解散するという方法論を採っていたことだ。「脱原発」というワンイシューのわかりやすさの上、首相官邸前という一等地で、週末の仕事帰り、飲みに行く前にちょこっとデモに寄って政府に対して異議申し立てをすることができる。こうした敷居の低さにソーシャルメディアや口コミの動員力が組み合わさったことで、日本でもドイツやフランス型の「楽しい」デモが生まれたのだ。
もちろん、こうした「楽しいデモ」に対して「デモ参加者は単にお祭り騒ぎがしたいだけで、深く政治のことを考えているわけではないし、政治がそうした意見に影響されるのは良くない」といった批判の声もある。
このあと紹介されていた、哲学者の國分高崎経済大学准教授の言葉が、僕にはとても印象的でした。
デモとは何か。それは、もはや暴力に訴えかけなければ統制できないほどの群衆が街中に出現することである。その出現そのものが「いつまでも従っていると思うなよ」というメッセージである。だから、デモに参加する人たちが高い意識を持っている必要などない。ホットドッグやサンドイッチを食べながら、お喋りしながら、単に歩けばいい。民主主義をきちんと機能させるとかそんなことも考えなくていい。お祭り騒ぎでいい。友達に誘われたからでいい。そうやってなんとなく集まって人が歩いているのがデモである。
なるほど、こういう考え方もあるのか……
デモには「意識が高い人たち」が集まってきて、中途半端な覚悟で参加すると、バカにされたり、オルグされたりするのではないか……そういうイメージが僕にはあったのです。
ソーシャルメディアは、たしかにこの国に「カジュアルなデモ」を創出したのだと思います。
そして、「ネット世論」は、政治家にとって、少なくとも「プレッシャー」にはなっているはずです。
これまでは、「どうしていいかわからなくて、黙っていた」人たちも、「いつまでも黙ってはいないぞ」と声をあげはじめていることを思い知らされたのだから。
正直、それが良い結果を生むのかどうか、僕にはわからないところもあるんですよ。
それこそ、「ポピュリズム」を加速させるだけになってしまう可能性もあります。
「ネットでつながって、自分の意見を伝えるための方法を知った人」は、たくさんいるのかもしれない。
しかしながら、その意見が、本当にみんなを幸せにするものなのかどうか?
僕は半分楽しみで、半分怖いのです。
ただ、津田さんはこの本のなかで、「現時点では、まだネット世論だけで世の中を劇的に変えるのは難しい」ことにも言及しておられます。
現状のネット世論にできることは、人びとの投票行動を変え、政権を変えるという「大きな」ことではなく、現在進行形である特定の政策問題に対し、政治家たちの尻を叩くことで強引に「議論のテーブル」をつくることではないか。
たしかに、現時点での「ネット世論」は、このくらいの「チェック機構」としての役割ではないかと思います。
今後、「ネット世論」は、もっと大きな力を握っていくのかもしれないし、「異端」「キワモノ」として白眼視されていくのかもしれません。
ソーシャルメディアの「巨大すぎる動員力」を考えると、いまの「チェック機構」くらいに力をとどめておいたほうが、安全なのではないか、という気もするんですけどね。
この本を読むと、「2012年秋の時点での、ネットと政治の現状と未来への展望」がわかります。
もはや、政治はネットを無視できない。
ただし、ネットも政治と別の世界に、桃源郷をつくっていくことが許されなくなってしまった。
「政治にアプローチできる手段を持った」ことは、「政治と無関係ではいられなくなった」ことでもあるのです。