琥珀色の戯言

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【読書感想】僕の死に方 エンディングダイアリー500日 ☆☆☆☆


僕の死に方 エンディングダイアリー500日

僕の死に方 エンディングダイアリー500日

内容紹介
2012年10月、「肺カルチノイド」という急性の難病により、
41才という若さで急逝した流通ジャーナリスト、金子哲雄さん。


死期を悟った金子さんは、会葬礼状まで生前に用意して、自分の葬儀を自分でプロデュース、
自らの死をも「流通ジャーナリスト」としての情報発信の場にしたのでした。
まさに、みごとというほかないその最期・・・。


しかし、彼が「余命0」宣告を受け入れて死の準備を整えるまでには、
乗り越えなければならない悲しみ、苦しみ、
そして何より、最愛の妻を残していくことへの葛藤がありました。


死の1か月前から、最後の力を振り絞って書き上げた本書には、
その一部始終が綴られています。

金子哲雄さんの訃報には、僕も驚きました。
大ファン、というわけでもなく、「明石家さんまさんにイジられている、あわただしい喋り方をする評論家」というくらいの認識だったのです。
そんな僕にも、、亡くなられたときの会葬者へのメッセージ(この本にも収録されています)や、死後明かされた闘病生活、仕事が生き甲斐で、ギリギリまで周囲に病気を隠して働き続けたことなどは、ちょうど同じくらいの年齢である僕に、強い印象を遺しました。


自分は、この年齢で死んだとして、金子さんのように死ねるだろうか?


でも、この本、金子夫妻の「最後の記録」を読んで、僕は自分が「死に方」のことばかり考えてしまっていたのが、間違いだったことを知りました。
この本のタイトルは『僕の死に方』ですが、金子さんは、最後まで「生き抜こう」としていたんだな、って。
それは、延命治療で、ただ心臓を動かし続ける、というような「生きる」ではなく、「自分ができることをやり続けたい」「生きている証を発信し続けたい」という意味で。


この本の大部分には「金子哲雄は、どう死んだか」ではなくて、「金子哲雄は、どう生きたか」が書かれています。
この人は、相当変わった人だったんだなあ、と驚いたのは、子ども時代から「おトクな情報」を追いかけていた金子少年の話でした。

 母の実地教育の最たるものは、「お小遣い=買い物のお釣り」制度だった。
 小学2年生の時に、我が家の買い物を任されたのだが、そのお釣りを小遣いにしていい、と言う。
 普通に考えたら、結構なお釣りが来ると思うだろうが、我が家ではそうじゃない。何せ、未来の「国際値切リスト」を育てた母だ。ギリギリの金額しか渡してくれない。必然的に、安いモノを探す行脚が始まった。
 日課はチラシのチェック。目を皿のようにして、隅から隅まで読み込んだ。
 私は読むだけに飽き足らず、価格変動のグラフをノートにメモるようになった。そうすると商品の平均価格や底値がわかってくる。
 数字が頭に入ると、チラシの見方は変わってくる。母から手渡された買い物リストにない品物でも、Aというスーパーで最安値で売っていることがわかると、母に教えてあげた。
「今日はAスーパーで洗剤が安いよ!」
 母の「えらい!」といううれしそうな声と笑顔を、今でも覚えている。きっとこれが、流通ジャーナリスト誕生の瞬間だ。

 こうして「安く買い物をする」ことに目覚めた金子少年は、「天気予報やニュースをみて、ものの値段の動きを予測する」ようになっていきます。
 そして、「短い言葉で時代を反映し、多くの人の心をひきつける」女性週刊誌の中吊りの見出しの魅力にも、ひき込まれていったのです。

 中吊りの見出しは、各編集部の知恵を結集させた、言うなれば「言葉のエリート」。文字数もスペースも限られた中で、どんな言葉で読者を惹きつけるか。中吊りの見出しは、だからこそ時代をあらわす最大公約数と言える。
 例えば、「見える化」「50℃洗い」。そんな旬の言葉をコメントのどこかに必ず入れるようにした。私は女性週刊誌の見出しを使って、男性視聴者向けのニュースを切るようにしていたのだ。

金子さんは、「現場に身を置く事」を重視し、「みんなに振り向いてもらうために、自分をプロデュースすること」を躊躇しませんでした。
「評論家」を目指すような人って、「先生、と周りから尊敬されたい」のではないかというイメージがあったのですが、金子さんは、小さなプライドにはこだわらず、積極的に売り込み、誠実に仕事をこなしていったのです。

 私は、スーパーのチラシと女性週刊誌によって、育まれたのだ。

この言葉を胸を張って言えるのが、金子哲雄さんだったのです。


若くして亡くなった人の本ですから、「泣ける」内容を期待して手に取る人も多いと思いますし、奥様の手記は、僕も涙なしでは読めませんでした。
でも、この本は「不器用で変わり者だった金子哲雄は、こういうふうに生きてきたのだ」ということに多くのページが割かれており、実は「いまの時代に、不器用な人間が生きのびていくための指南書」でもあるんですよね。
金子さんは、最後の著書にも「おトクな情報」を盛り込みたかったのでしょう、きっと。

 私を死の恐怖から救いだしてくれたのは、仕事だった。
 病を宣告された当時、雑誌の連載も数多く抱えていたし、テレビの仕事もあった。自分が病気だからと、ページや番組に穴をあけるわけにはいかない。そればかりが頭にあった。
 誰にも迷惑をかけたくない。
 ただでさえ、闘病生活は、妻や医師、看護師たちに負担をかけている。それでも迷惑を最小限に抑えたい。
 私は「流通ジャーナリスト」を目指した初心を思い出していた。
 誰かに喜んでもらいたい。それが自分の信念だったではないか。たとえ死ぬからといって、嘆いていても、誰も喜びはしない。周りが暗く沈むだけだ。
 だったら今、自分のできることをしよう。それには、仕事先のリクエストにきちんと応えることだ。相手が100を望むなら、120で返そう。今まで以上のパフォーマンスを見せよう。
 仕事に集中している時は、その間、私の中の恐怖を忘れることができた。

この本のなかでは、本当にギリギリのところまで、仕事を続ける金子さんの姿が描かれています。
亡くなられたあとに「総括」してみると、「ああ、最後まで仕事を続けられて、よかったんじゃないかな」と思うのだけど、おそらく、リアルタイムでの奥様や周囲の人の苦悩は、大きかったのではないでしょうか。
「仕事が生き甲斐」でも、明らかに苦しそうにしている人を目の前にすれば、「無理しないで休んでいたほうが良いんじゃない?」って言いたくなるのが自然なことだと思うから。


実は、この本を読んでいて、違和感を感じたところがありました。
それは、金子さんをずっと支えてきた人への感謝の言葉が、会葬のメッセージにも、この本のなかで金子さんが最後に書いている「周囲の人へのお礼」にも、みられなかったことでした。


でも、僕の想像では、きっとその人と金子さんは、そうやって言葉にする必要がないほど「一心同体」だったのでしょうね。
これまでも、これからも。
そんなパートナーを得ることができた金子さん。
たぶん、心残りもたくさんあったはずです。
それでも、幸せな人生だよな、と羨ましくも思います。


生きている人間は、生きている時間を大事にしなければならない。
より良く死ぬことは、「死ぬ瞬間」だけの問題ではなく、最後まで、より良く生き抜くことなのだ。


金子さんが見られなかった「未来」を、とりあえず僕は生きている。
それは、「幸運」であるのと同時に、ちょっとした「責任」でもあるような気がしています。

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