- 作者: 田原総一朗
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2012/11/30
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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Kindle版もあります。
- 作者: 田原総一朗
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2013/01/07
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内容紹介
「日本初のAV男優」が、首相を3人退陣させた――。
驚くべき破天荒さに包まれた78年間。
スリリングで、爆笑の連続で、ちょっぴり泣けるエンターテイメント自伝、堂々刊行!
田原総一朗がすべてを赤裸々に明かした、前代未聞の半生。
作家を志して挫折/ほとんどニートのダメダメ社員/日本初のAV男優に/伝説のドキュメンタリー制作の全貌/恋愛と不倫/首相を次々に退陣させたあとの絶望……
僕にとっての「田原総一朗という人」は、『朝まで生テレビ』や『サンデープロジェクト』で政治家や評論家たちを仕切って、あわただしく司会をしている人でした。
テレビ東京時代の「ディレクターとして、ドキュメンタリーの『問題作』を次々と発表した伝説の人」だというような話は、聞いたことはあっても、なかなか実感がわかなくて。
『塀の上を走れ』というタイトルの由来を、本のなかで、田原さんはこう書いています。
NHKだけではない。日本テレビにしてもTBSにしても、フィルム代は制作費のうちに入らず、しかも制作費は東京12チャンネルの10倍以上だった。これでは勝負にならない。しかも当時、東京12チャンネルは「テレビ番外地」と称されていて、12チャンネルまでまわしてくれる視聴者は少なかった。それでも私は勝負しようと思った。
では、金も無い、時間も無い、人材も少ない東京12チャンネルが何で勝負するかというと、これはもうヤバい番組を作るしかない。他の局が、危険だとして避ける素材に取り組むしかない。つまり、刑務所の塀の上を走るしかないのだ。ただし、私はプロのディレクターである。だから「塀の上を走るが、決して刑務所の中には落ちない。だから安心してくれ」と局内で主張し、会社側との暗黙の了解にもなっていた。会社の幹部たちも「テレビ番外地」という認識はあったのだ。
東京12チャンネル時代、上司や同僚たちとは阿吽の呼吸というか、黙契で仕事をしていた。「ドキュメンタリー番組」を含めてドキュメンタリー番組の新企画はだいたい、私が提案していた。スポンサーも、私が自分で探し、見つけてきた。だから、初回の番組も私が作ることが多く、「ドキュメンタリー青春」の場合には番組のタイトルも私が付けている。その代わり、会社の会議にはいっさい出ず、慰安旅行にも行かない。会社側はそういった身勝手を黙認する代わり、私をいっさい、昇進させなかった。同期のディレクターが部長や課長に出世するのを横目で見ながら、私は退社するまでずっと平社員のままだった。
「テレビ番外地」のテレビ東京だからこそできる、「ギリギリの企画」の数々。
それは、「弱点」を「武器」にする、逆転の発想でもありました。
この本を読んでいていちばん驚いたのは、田原さんの「率直さ」でした。
もちろん、仕事の性質上、相手に配慮して書けなかったことはたくさんあったと思うんですよ。
でも、田原さん自身のことについては、ほとんど「オフレコなし」。
少年時代の話や、戦争が終わったとき「海軍に入って死ぬつもりだった」のに、急に「日本は間違っていた」と言われたときの戸惑い。
作家を目指していたとき読んだ、石原慎太郎さんの『太陽の季節』の衝撃。
『太陽の季節』を読み終わって、「これは敵わない」と思ったのだ。
私はそれまで実践してきた文章修業は、丹羽文雄や石川達三ら、当時の流行作家の作品を写経のように書き写すことだった。恋愛もしたことがなく、セックスの経験も無い。赤線で売春婦を抱いたことも無いので、仕方なく書き写した作家の文章をなぞり、知りもしない男女の愛のもつれのようなことを書いていたのである。
ところが石原慎太郎は、実話に基づいて生々しく描いている。私は昔を書いているが、石原慎太郎は今を書いている。「これはダメだ、全く敵わない」と白旗を掲げたのである。石原慎太郎の『太陽の季節』は、翌年の芥川賞を受賞した。
僕がいま『太陽の季節』を読むと、「障子に陰茎を突き立てた」なんて場面で、思わず吹き出してしまうのですが、リアルタイムで読んでいた若者にとっては、本当に「新しい小説」だったのだなあ、と。
なかでも驚いたのは、「2人の妻」の話でした。
田原さんは、不倫をしていたことを、赤裸々に書いているんですよね。
ずっと不倫関係で、のちに2人目の妻となる節子さんと初めて関係を持ったときのことは、こんなふうに。
この時初めて、肉体のあらゆる部分が性感帯になるという女と男の奥深い世界を知った。すべてが真っ白になるような絶頂感。先の展望も無く、何の打算も無かったからこそ、あれほど燃えられたに違いない。それまで味わったことのないような甘美な体験だった。東京に戻る列車の中で、私は自分の手をずっと節子の手に重ねていた。
すごいなこの告白……
まあ、もう「時効」だからということなのかもしれませんが、不倫されていた奥様がこれを読んだら、すごく悔しかったんじゃないかな、と想像してしまうのです。
いや、田原さんは、そういう「死後の世界」みたいなものを信じない人なのかもしれないし、僕だって信じているわけじゃないんだけれども。
それでいて、なんのかんの言っても家族にはそんなに大きなトラブルもなく、2人の妻の闘病に寄り添い、母親が違う2人の娘さんがマネージャーとして今もサポートしてくれているのです。
田原さんという人は「筋が通っていて、それでいて矛盾だらけの人」なのだなあ、と圧倒されっぱなしでした。
「アウトローが好き」で、ハマコーさん仲良しな一方で、番組などを通じて、小泉純一郎さんをはじめとする「YKK」など「権力側」にも強いパイプを持っている。
「家族を大事にする」と言いながら、ずっと不倫を続けていた。
「傑物」なのか「邪道」なのか、僕にはなんとも言えません。
ただひとつ言えることは、この人の生きざまは、すごく面白い。
「こんな矛盾だらけの人間が、ジャーナリストとして認められるのか?」
そう思わなくもないのです。
でも、そういう自己矛盾を抱えながら、自分自身のことも「オフレコ」にしない田原さんは、すごく魅力的だし、だからこそ、人の懐に入っていけるのだろうな、と。
人間って、そもそも矛盾だらけの存在だから。
田原さんの長年の「本業」はテレビディレクターで、テレビ東京で、さまざまな「問題作」を手掛けてきました。
こちらで土俵を作り、土俵の上で相撲を取ってもらうというのが、私のドキュメンタリーである。土俵を作るというのは、別の言い方をすれば「ヤラセ」ということだが、土俵の上で取ったからといって相撲そのものが「ヤラセ」になるわけではない。
そもそも、カメラとマイクを向けた時点で、相手はポーズをし始める。そのポーズからどうやって本音を引き出していくかがドキュメンタリーだ、と私は思っている。だから、隠し撮りなど、全く意味がない。無意味であり、アンフェアであるから、隠し撮りはやらない。
念のために一言すると、私のドキュメンタリーがそうだと言っているだけで、テレビドキュメンタリー一般がそうだと言うつもりはさらさらない。その点は、間違えないでもらいたい。
そうやって土俵を作って相手を追い詰めることで、自分との関わりを確かめる。ということは、結局は自分自身を追い詰めているわけだ。だから、番組は一本一本、死にもの狂いの真剣勝負である。会社を首になってもいい、オーバーに言えば、殺されてもいいという覚悟で番組を制作していた。格好を付けるならば、私はだらしがない人間だから、「ラジカルに生きている相手と関わることで、多少ともしっかりと生きるようになるだろう」とも思っていたのである。
末期のガンで、片腕を切断し、余命いくばくもないと言われた俳優を主役にしたドキュメンタリー『ガン番号53372〜片腕の俳優高橋英二〜」(1969年3月16日放送)での話。
その次が、退院のシーン。高橋は車を運転してがんセンターに入っていたので、車が駐車場に置いてあった。ところが、片腕になった高橋には運転ができないので、女性のマネージャーが迎えに来た。そうしたら、高橋が「マネージャーを車の中でレイプしたいから手伝ってくれ」と言う。
「やりたいことは何でもやらせる」という約束だから、仕方がない。私とスタッフも、マネージャーが外に出られないよう車のドアを外から押さえた。高橋は車内で懸命にマネージャーを押さえ付けようとしたが、いくら女性でも両腕ある相手には敵わない。案の定、惨憺たる有り様で、コトを致すことはできなかった。憮然とした表情で車から出てきた高橋は、車体の上に乗り、ひとしきり悪態をついた。もちろん、私はこうなることが分かっていたので、高橋の企みを止めなかった。
この部分を読んで僕が感じたのは「嫌悪」でした。
なんなんだよそれ、いくら「片腕じゃ無理」だと思っていても、本当に遂行されそうになれば、助けるつもりだったのだとしても、こんなことが許されるのか?
その一方で、田原さんは、取材相手に脅され続けたり、訴えられたこともあり、「自分の責任で取材をする」ことを貫いてもいるのです。
田原総一朗さんは、酷い人です。
でも、酷い人なんだけど、魅力的で、多くの人に愛されてもいるんだよなあ。
自分は絶対にこんなふうには生きられないので、憧れ半分、反感半分。
ほんと、すごい自伝ですよこれ。