琥珀色の戯言

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【読書感想】等伯 ☆☆☆☆


等伯 〈上〉

等伯 〈上〉

等伯 〈下〉

等伯 〈下〉

内容(「BOOK」データベースより)
「あなたの絵には真心がある」。養父母の非業の死により故郷を追われ、戦のただなかへ。激動の戦国の世と法華の教えが、画境を高みに誘う。長谷川「等伯」の誕生を骨太に描く傑作長篇。


 第148回の直木賞は、安部龍太郎さんの『等伯』と、朝井リョウさんの『何者』の2作品が受賞しました。
 選考結果を知って、えっ?と思ったのが、この『等伯』。
 選考会の前に聴いたラジオでの『メッタ斬り』コンビ(大森望豊崎由美)の芥川賞直木賞予想では、トヨザキ社長に「実際に起こったことが、ただ並べてあるだけ」「これだったら、歴史年表を読んだほうがマシ」などと、かなり酷評されていたんですよね。
 それを聴いたときには、「この作品はないな……」と思いました。
 『国を蹴った男』のほうが面白かった!というような話も出てきて、近所のTSUTAYAで、棚に一冊だけ置かれていた『国を蹴った男』を購入したのですが、こっちの『等伯』のほうは、平積みだったんだよなあ。
 あまり売れない(であろう)文芸書は、1冊ずつしか仕入れない店なので、これを見て、「直木賞シフト、なのか?」という思いが頭をよぎったのです。
 各書店でも、かなり「推されている本」だという印象を受けました。
(逆に、朝井リョウさんの『何者』は、受賞決定直後に5件くらいまわった書店では、1冊も見かけませんでした。おそらく、受賞決定後は『何者』のほうが売れまくるのではないかと思われますが)


 この『等伯』、直木賞受賞決定後に、上下巻を続けて読んだのですが、合計700ページ以上を一気読みできたくらいですから、けっこう楽しめました。
 その理由としては、僕が長谷川等伯という絵師に対する予備知識をほとんど持っておらず(名前くらいは知っている、という程度です)、「この人は、これからどうなっていくのだろう」というストーリーへの興味を持ち続けられたことが大きかったのではないかと思います。
 もっと有名で、「結末」を知っている歴史上の人物(織田信長とか坂本龍馬とか)が、こういう「なるべく事実を淡々と並べるような描写」をされていたら、「いっそのこと、年表にしてくれない?」って言いたくなったでしょうけど。
 

 豊崎さんと大森さんは、今回の直木賞候補作について、この『等伯』が選ばれて、なぜ冲方丁さんの『光圀伝』が漏れたのか?と訝しんでおられました。
 僕も小説としての「面白さ」は、『光圀伝』に軍配を上げたい。
 でも、この『等伯』を読んでいると、「歴史小説としては、こういう素っ気ない描き方のほうが好みだな」とも思ったのです。
 冲方さんの『天地明察』のときに、ちらっと感じた「作者が面白くしすぎている感じ」言い換えれば、「作者が歴史上の人物の内心を描きすぎている感じ」が『光圀伝』で、さらに目立つようになりました。


 歴史小説好きとしては「どこまでが事実だかわかんないよ、あまりにもうまく想像で描かれちゃうと……」と言いたくなるのです。
 ただし、冲方さんは「想像でウソばかり書いている」わけじゃありません。
 『天地明察』『光圀伝』を読んで、「本当かな?」と疑問になった小説内でのエピソードを、ネットでいろいろ調べてみたのですが(所詮「ネットで調べられる範囲」なんですけどね)、細かいエピソードは作者の想像で補われているものの、根幹については、かなり歴史に準拠しているということがわかって、逆に驚いたくらいです。
 それでも、「歴史上の人物、過去の人が、当時本当に考えていたこと」は、もう、想像するしかありませんよね。
 そして、いくら想像力豊かな人であっても、その想像は、たぶん事実と同じではありえない。


 この『等伯』、基本的に、等伯の仲間は「いいひと」ばっかりで、敵役は「悪いひと」ばっかりという感じで、登場人物の陰影に乏しく、たしかに「歴史的事実を書き連ねた、年表みたいな小説」です。
 重要そうな人物が、いきなり去ってしまったり、突然千利休とのつながりが強調されだしたりと、正直、「もうちょっと伏線をしっかり張って、活かしたほうがいいんじゃないか?」と思うところも少なからずあります。
 なんといっても、主人公・長谷川等伯の「人間味」みたいなものがあまり伝わってこないのです。
 いつのまにか腕のいい絵師になっていて、いつのまにか絵の世界で偉くなっている、そんな感じ。
 読み終えても、ああ、こういう人がいたんだなあ、と「知識が増えた喜び」はあるけれど、等伯への感情移入は難しい。


 とはいえ、そういう「素っ気なさ」こそが、本当の歴史、あるいは歴史小説らしさではないか、と僕は最近思えてきたのです。
 大事な人が、見せ場もなく突然逝ってしまい、ある人が何を考えているのかわからないのが、「人生」だから。


 読み終えて、まず『松林図』を自分の目で見たくなりましたから、淡々としてはいるけれど、けっこう力のある歴史小説なのではないかと。
 歴史好きというのは、「あまりに作者の色に染められ尽くしてしまった『歴史小説』よりも、『歴史年表』を面白く感じてしまう人種」なのかもしれません。
 僕はこの作品けっこう好きなんですが、たぶん、「面白い歴史小説」の「面白い小説」ではなく、「歴史小説」であることを重視する人向きなんでしょうね。


参考リンク:松林図屏風(長谷川等伯/東京国立博物館蔵)

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