琥珀色の戯言

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【読書感想】サッカーと独裁者 ☆☆☆☆


サッカーと独裁者 ─ アフリカ13か国の「紛争地帯」を行く

サッカーと独裁者 ─ アフリカ13か国の「紛争地帯」を行く

出版社からのコメント
《サッカーから見えるアフリカの光と闇》
内戦や貧困、政変が続く一方、経済発展が目覚しく、サッカーの世界的スター選手を輩出し、大陸初のワールドカップを成功させたアフリカ。各国が政治的、社会的に抱える問題が、当地のサッカー事情に反映されているのではないか? 本書はそのような目論見から、ナイロビ駐在の英国人ジャーナリストが、エジプト、スーダンソマリアルワンダなど13か国を縦断し、激動の情勢と驚愕の真相に迫った、傑作ノンフィクションだ。
アフリカ諸国においては、サッカーが人々に未来への希望を与え、ときには分裂していた国を一つにまとめる力さえあることが、本書を通じて理解できる。サッカーで読み解かれたアフリカは、「暗黒大陸」といった古いイメージと異なり、若い「チーター世代」による新たな一面も見せる。アフリカの政治や社会はたしかに複雑で多様であるが、私たちに理解しがたいものではないし、より親しみが感じられるだろう。
残念ながら、貧困や飢餓に苦しむ人々は多く、紛争はいつ解決されるか予想もつかない。しかし汚職撲滅のために身を挺して戦っている政治家や、サッカー代表チームの強化のために、報酬なしで奮闘している監督の姿は、アフリカ諸国が独裁体制や部族対立を乗り越える可能性を感じさせる。


この「出版社からのコメント」には、「しかし汚職撲滅のために身を挺して戦っている政治家や、サッカー代表チームの強化のために、報酬なしで奮闘している監督の姿は、アフリカ諸国が独裁体制や部族対立を乗り越える可能性を感じさせる」と書かれているのですが……僕がこの「サッカーを通じてみたアフリカ」から感じたのは、そういう「希望」じゃなくて、「この混迷は、そう簡単には収まらないだろうな……」という苦い現状でした。


サッカーを通じて、人気取りをしようとする政治家、まともに集まることすらできない「代表チーム」、酷いコンディションのスタジアム、八百長、文字通りの「代理戦争」になってしまう隣国同士の試合、観客の暴動、選手の年齢詐称、「ドログバのようなサッカー選手になる」ことだけが唯一の希望の子供たち……


アフリカの多くの国は、開発が遅れてしまったために、アメリカを中心とする「先進国」の都合で政権が入れ替わっていくことも多いのです。
酷い独裁者でも、「赤(共産主義者)ではないから」という理由でアメリカに支持され、長期間政権を維持する、なんてことも少なくない。
彼らは、民衆の不満をそらすために「サッカー」を利用する。
おかげで、「重要ではない親善試合の結果」で、監督はどんどんクビになるし、実力的に上回るチーム相手に「勝たないと、罰を受ける」ことになってしまう。

 週末になるとアフリカ全土で人々は、地元のバーや衛星放送が観られる掘立小屋に集まり、英国のサッカーの試合を観戦する。イングランドプレミアリーグは英国がアフリカに輸出する最大の商品だ。応援しているサッカーチームをたずねたら、アフリカの人々は地元のチームよりも英語のチーム名をあげるだろう。大半はマンチェスター・ユナイテッドチェルシーアーセナルリヴァプールという四大チームのどれかをあげるにちがいない。だが、生の試合を観戦したことがある人は一人もいない。

アフリカの大部分の国では、国内リーグより、テレビでイギリスのプレミアリーグを観て、贔屓のチームを応援している人が多いそうです。
そりゃ、試合のレベルを考えると、「プレミアリーグのほうが面白い」のは間違いないのでしょうけど。
「まず自国のリーグを応援しながら、海外リーグに憧れる」というのがサッカーファンだと思い込んでいたので、アフリカでの「グローバル化」は、かなり意外な感じでした。
「サッカーの国際試合が、紛争に発展することもある」にもかかわらず、普段、人々が観て応援しているのは、マンチェスター・ユナイテッドチェルシー
日本でも「CSで海外サッカーばかり観て、Jリーグに関心の薄いサッカーファン」は少なくないと思うのですが、それでも、「国内リーグのチームのユニフォームは売られておらず、みんなプレミアリーグのシャツを着て応援している」なんて国の話を読むと、ちょっとせつなくなります。
こうして「情報」や「映像」はグローバル化していくのに、現実の格差は、そう簡単には埋まらない。
同じ試合を、スタジアムで観る人もいれば、家の大型テレビでビールを飲みながら観る人もいる。
そして、アフリカで、生命の危機に怯えながら、観ている人もいる。
著者にとっては、プレミアリーグがアフリカの人々とコミュニケーションするための共通の話題にも、なっているんですけどね。


その一方で、同じアフリカでも格差があって、エジプトのように近代化された国もあるのです。

 はじめてカイロを訪れたとき、信憑性の疑わしい話を聞かされた。エジプト人の外交官がジンバブエの大使として着任し、首都ハラレの空港で外務大臣に歓迎された。
 「ようこそ、ジンバブエにいらっしゃいました」外務大臣は言った。
 「ありがとうございます」。大使は答えた。「アフリカに来たのはこれが初めてです」

ちなみに、この本は、チュニジア、エジプトの「革命」以前の取材で書かれており、「革命以後」の両国については言及されていません。


日本で生活していると、アフリカという大陸をひとつのまとまりのように考えてしまいがちだけれど、実際は、アフリカの中にも「格差」は存在しています。
そして、隣りの国や同じ国に済む他民族との争いを繰り返している国も多いのです。


ソマリアについて書かれた章から。

 モがディシュでは、生死を分ける細い綱の上を渡っていくような日々を送らねばならないことをハッサンは知っている。友人のオマール・ハッサン・アリは才能ある18歳の右サイドバックで、輝かしい未来が待っていると思われた。代表チームに加わって練習していて、CECAFAカップの代表に選ばれることが確実視されていた。ある日、練習後に自宅に戻ったアリは、家の外に警官が立っているのを見つけた。警官は袖の下を要求した。アリは金を持っていないと言った。言い争いがだんだん激しくなり、警官はアリを「撃つぞ」と脅した。「どうやって撃つんだよ。銃を持ってないじゃないか」。アリは言った。警官は彼をにらみつけると、きびすを返して去った。30分後、銃を手に戻ってきた警官は家に押し入り、アリの頭を撃ち抜いた。
「サッカーをすることは僕らの唯一の希望なんです」。ハッサンは言う。「今、僕らにできることはそれしかない」

 先制点を守り切ることはまず不可能に思えた。ソマリア代表は過去25年間一度もタンザニア代表に勝ったことがないし、タンザニアはすみやかに修正してくるにちがいない。ブラジル人監督のマルシオマキシモは、「タイファ・スターズ」の愛称を持つタンザニア代表チームを世界ランク百六十二位から九十九位まで引き上げた。タンザニア代表は全員がプロ選手で、ワールドカップの最終予選でアフリカの強豪の一つであるカメルーン代表にホームで引き分けに持ち込み、もう少しで本大会出場を決めるところまで行った実力がある。
 後半が開始してから5分たったところで、ソマリア代表がとる戦術はただ一つだとあきらかになった。できるかぎり時間稼ぎをすることだ。プレイが途切れるたびに、ソマリアの選手たちは身体のあちこちを押さえてしゃがみ込んだ。その戦術を一番印象的に遂行したのがゴールキーパーだ。「印象的」という言葉がふさわしいかどうかはさておき、それは記憶に残る光景だった。ソマリアゴールキーパーはボールを何回となくバウンドさせるばかりでプレイを始めようとせず、僕が時計で測ったところ、一回など四分間も時間稼ぎをしていた。

「サッカーだけが唯一の希望」の国の選手たちによる「醜悪な時間稼ぎ」。
うーん、タンザニアの選手たち、応援していた人たちにとっては、かなり腹立たしい行為だったでしょうし、僕も「スポーツマンシップには反する」と思います。
でも、彼らが置かれた状況を想像すると、「そこまでやる」ことを、責めきれないような気もするのです。
もちろん、相手が日本で、ワールドカップの重要な試合であれば「同情」しないでしょうけど……
「サッカー」というスポーツに、人々が背負わせているものは、あまりに大きすぎる、そして、違いすぎる。


コートジヴォワールの「英雄」であり、サッカーを通じて南部と北部の融和に貢献したディディエ・ドログバ選手について、著者はこう述べています。

 ドログバの英国での評判は、ここコートジヴォワールとはまったく異なる。コートジヴォワールの人々は彼を、少し前まで二つに分裂していた国をたった一人でまとめた英雄とみなしているが、英国のサッカーファンたちの見方はちがう。反則でフリーキックをもらうためにわざと転び、自分の不利になるような判定を下す審判に殴りかかるドログバは、英国ではずるくて自制力のない人間だと考えられている。

いやまあ、「英国では」と言い切ってしまっていいのか?とも思いますが、これもまた、ひとつの「現実」ではありますよね。


また、エジプトとアルジェリアのこんな「因縁」も紹介されています。

 アルジェリアとの対戦にあたって、エジプト政府は過去数十年にわたって両国にあったわだかまりを掘り返して、人々の怒りを呼び覚まそうとした。アフリカ大陸で、アルジェリアとエジプトほど深い因縁を持った国はない。1984年のオリンピック予選での対決では暴動が起きた。1989年にはワールドカップの地区予選で、アルジェリアの選手たちがFIFA役員に鉢植えを投げつけたことからVIP席で喧嘩が始まった。アルジェリアでかつてアフリカ最優秀選手に選ばれたことがあるラフダル・ベルミは、エジプトのチームドクターの顔をボトルで殴り、片目を失明させた。アルジェリア大統領が個人的に頼み込んだおかげで、2009年、ベルミに対する逮捕令状をインターポールは取り下げた。
 試合に先立つ数日前からエジプトのテレビは、過去にエジプトがアルジェリアにゴールしたシーンと、熱狂的に旗を振り回すファンたちと祝福するホズニ・ムバラク大統領の映像を、感情を揺さぶるBGMをつけてエンドレスに流し続けた。
 アルジェリアが独立するときに貸し付けた援助金がまだ返済されていないことを思い出させる内容の映像も流された。元大統領のガマル・アブドゥル・ナセルがアルジェリア人群衆に熱烈に歓迎されている光景と、エジプト軍がアルジェリア軍を訓練している様子の映像だ。
 両国の外務大臣がどちらも、アルジェリア人とエジプト人のアーティストによる「平和」コンサートを開催して平穏さを強調したにもかかわらず、試合が近づくにつれて雰囲気は熱くなっていった。新聞紙上とネット上では互いへの中傷合戦が繰り広げられた。アルジェリアの新聞はエジプト代表の選手の顔をエジプト人女優のものにすげかえた合成写真を掲載した。エジプトの新聞は仕返しにアルジェリア代表選手たちにベリーダンサーの衣装をつけた合成写真を掲載した。ライバル意識の高まりで結婚生活が破綻したカップルまで出た。エジプト人の妻がアルジェリア人の夫と試合をめぐって喧嘩し、妻が家を出ていったのだ。

日本でも韓国との試合などでは、「愛国心」が溢れすぎてしまう日本人がいるなあ、と思っていたのですが、これを読むと、日本はまだ「正気」なほうみたいですね。
海で隔てられているのが、衝突を回避するのに役立っているのだとしても。


僕は「サッカーが弱くても、平和で安全で暮らしやすい日本のほうがいいよ」「『サッカーは国と国との戦争』なんて、物騒だなあ……」なんて思ってしまいます。
それも、「サッカー以外に『希望』が残されている国」だからこそ言える面もあるのかもしれない。


サッカーファンだけでなく、「アフリカ」を身近なものとして理解するためのテキストとしても十分役立つ本だと思います。
「サッカーのルールも知らないし、全く興味がない」という人には、かえって難しい本かもしれないけれど。
あと、この本を読んでいると、それぞれの国が、アフリカ大陸のどこにあるのか、ようやく少し頭に入ってきたのも収穫でした。
コートジヴォワールとかスーダンとかジンバブエって、名前は知っていても「ここ!」って言えなかったから。

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