琥珀色の戯言

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【読書感想】不運のススメ ☆☆☆☆


不運のすすめ (角川oneテーマ21)

不運のすすめ (角川oneテーマ21)

内容(「MARC」データベースより)
「幸運」だけでは、人生は勝てない! 不運と幸運は表裏一体の関係にある。将棋も人生も「一手の違い」で展開は激変するのだ。日本将棋連盟会長が語る、目先の不運に惑わされない生き方。

昨年亡くなられた棋士米長邦雄さんが2006年に上梓された新書です。
以前読んだことがあったような記憶もあるのですが、書店で見かけたので購入。
これを読むと、米長さんの「勝負師」っぷりというか、棋士としての人生観みたいなものが、よくわかります。


この新書は「運・不運」というのがひとつのテーマなのですが、冒頭で、こんなエピソードが紹介されています。
1995年、阪神淡路大震災で被災した直後、谷川浩司王将は、当時6冠王に輝いていた羽生善治さんと「7冠への最後のタイトル」をかけて勝負していました。
その結果は、3勝3敗で迎えた最終局、谷川王将が羽生さんを下し、王将位を防衛したのです。

「あれで将棋界は救われたんだ」
 数年前に内藤國雄九段と対談した時、内藤さんはこう言って、次のような興味深い見解を披露してくれた。
 あの時、谷川九段は、震災のショックをものともせずに王将位を防衛したことで、男をあげた。大きな不運のあとに実力でつかんだ「福」である。
 一方、快進撃を続けてきた羽生六冠王にとって、王将位を獲り逃がしたことは悔やみきれない不運であったろう。しかし観点を変えれば、”傷ついたり谷川からタイトルを奪い去った無慈悲な男”にならずにすんだわけで、その意味ではむしろ幸運だったともいえる。
 さらに、あの時あっさり七冠達成ということになっていたら、あれほど将棋界が注目されることもなかっただろう。結局、将棋界全体が二人に救われた、二人が将棋界に運をもたらした、というのである。
 さすが内藤九段、卓見である。
 人間の運・不運は、災いが幸いになったり、幸いが災いになったり、まさに「糾える縄」のごとく表裏をなしている。運というものは、人知では計りがたいものである。

のちに羽生さんが7冠を手にしたからこそ、という話ではあります。
もし、それがなかったら、「あのとき、勝っていたら……」と、ずっと言われることになったでしょうから。
米長さんは、あまり短期的に運不運を判断するべきではない、と考えておられたようです。
人生には、ツイているいる時期も、そうでない時期もあるのが当然だから、あまりジタバタしてもしょうがない。
しっかりと準備として、もっと長いスパンで、物事をみていくのが大事。


そう言いながらも、スランプのときは「ラスベガスのカジノで大騒ぎ」とか「将棋じゃ一攫千金は無理だからと、徹底的に株の研究をしいた」など、米長さん自身は「聖人君子」では全くないんですよね。
そこがまた魅力でもあったのだけれども。


この新書のなかで、米長さんは「40代半ばのスランプ」のときのことを書いておられます。
「どうしても20代の若い棋士に勝てなくなった」という米長さんは、ある若手に「理由を率直に訊ねてみた」のです。

「先生と指すのは非常に楽です。先生は、この局面になったら、この形になったら、絶対逃さないという得意技、十八番をいくつも持っていますね。でも、こちらのほうも先生の十八番は全部調べて、対策を立てているんです。だから以前には通用しても、もう今は通用しません。しめた、自分のパターンに入った、と先生が思う時を僕らも待っている。それを先生はご存知ないものだから、僕らとしてはやりやすいのです。
 優勢だと思っていた局面は、実は私にとって不利な局面だったのである。
 では、私はどうすればいいのだろう。
「自分の得意技を捨てることです」
 と、彼は答えた。なるほど、一理も二理もある意見だ。

 自分の「十八番」だからこそ、「しめた!」と思ってしまうからこそ、ハマってしまう落とし穴。
 40代である僕にとっては、ハッとさせられる話でした。
 年齢とともに、自分の「型」みたいなものができて、それなりの自信もついてくる。
 ところが、その自信が、自分のアップデートを止め、「弱点」を生んでしまう。


 「自分よりも若い人に率直に聞いた」心構えと人脈があればこそ、米長さんはこのことを知ったのですが、これに気づかないまま「なんで自分のやりかたが通用しなくなったんだ?」と悩みつつフェードアウトしていく中年世代は、少なくないはず。


 僕は、コンピュータ将棋との対戦の際、米長さんが「6二玉」という「奇手」で、「ボンクラーズ」を撹乱しようとしたことに、
「元名人がそこまでやるのか……」と、困惑しました。
 でも、米長さんにとっては、あれは「奇手」ではなく、「熟慮の末に辿り着いた、『ボンクラーズに勝つための最善手』」だったのです。
(参考:【読書感想】『われ敗れたり』(琥珀色の戯言))

 

 40年間の棋士人生で、私の通算勝ち星は1300勝。一方で800敗を喫している。勝率は5割8分ほどだ。まさに勝ったり負けたりで、終わってみればやや勝ちが多かった、というところであろう。
 面白いことに、将棋の世界では、どんなに勝ち続けた人でも最後には2勝1敗ペースを切る。プロ野球でも同じで、優勝するといってもだいたいは2勝1敗ペースだろう。逆に、どんなに負けていても、最終的には1勝2敗のペースを上回る。つまり、3局戦って2勝1敗か1勝2敗のペースしかない。こうした枠の中に、1000勝したりタイトルを獲ったり、いろいろな成績の棋士がいるわけである。

 ひとつひとつの勝負に勝つために、最善を尽くしても、積み重ねていけば、「2勝1敗と1勝2敗のあいだ」。
 でも、そこで「少しずつでも2勝1敗に近づけていく」ことができるかどうか?

 
 あの「名人戦移籍問題の真実」なども将棋連盟会長だった米長さん自らの口から語られていて、なかなか興味深い本でした。
 いつのまにか40歳になってしまった「これからどうしようかな……」なんて、ふと考えることが多い皆様に、オススメです。

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