- 作者: 葉真中顕(はまなか・あき)
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2013/02/16
- メディア: 単行本
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内容(「BOOK」データベースより)
社会の中でもがき苦しむ人々の絶望を抉り出す、魂を揺さぶるミステリー小説の傑作に、驚きと感嘆の声。人間の尊厳、真の善と悪を、今を生きるあなたあに問う。第16回日本ミステリー文学大賞新人賞受賞作。
Kindle版で読みました。
正直、「ミステリー小説」というより、「社会問題啓発小説」なんじゃないか、とは思います。
でも、この物語に書かれている「現実」は、僕の身近なところにもあるだけに、「もうこんなキツイの読みたくないよ……」と思いつつも、一気に読み終えてしまいました。
「意外性」は無いのだけれど、この物語を「意外」だと感じない自分のことを「意外」に感じてしまう、そんな感じでした。
「介護」というのは、一時期成長産業のようにもてはやされていましたが、そこにドッと人が流れ込んできてしばらくすると、政府はその金銭的な負担に耐えかねたのか、報酬が切り詰められていきました。
「心配だから」自宅での介護を望まない家族、「状態が悪く、専門家ではないスタッフでは扱いきれないから」病院への入院を望む施設、「これ以上状態が良くなる見込みはなく、退院のメドも立たず、負担ばかりが大きくなって、何か起これば『病院のせい』」。
そもそも、身内の面倒をみる、といっても、みんなギリギリの生活をしているし、自分も独身だったりするわけです。
それでも、「介護」はやってくる。
介護の現場も、疲弊しきっている。
介護の資格は、比較的容易にとれるのですが、この本にもあるように「感情労働」としての側面が強く、利用者から罵声を浴びせられたり、ときにはセクハラまがいの行為をされたりすることもあるのです。
それでも、給料は安く、肉体的な負担は大きい。
そんな状況なので、どんどん人がやめていき、エキスパートが育たない。
この小説を読みながら、僕はなんというか、答えの出ない問いみたいなものを、ずっと頭に浮かべていました。
「人間は、長生きしすぎるようになってしまったのではないか?」
でもね、その一方で、そういうふうに「人間」をひとくくりにすることそのものが傲慢なんですよね。
固有名詞を持たない「人間」は、老いによって切り捨てられても仕方が無い。
でも、それが自分の親や身内だったら、どうなのか?
いや、だからこそ、切り捨てることが許されなくて、つらいのか?
僕はこの小説のなかで、ひとつ気に食わないところがあるのです。
それは、検事で資産家の息子である「大友」という人が「安全圏にいる人」として誤解されてしまうのではないか、ということ。
著者の意図とは違うのだろうと思いたいけれども、「金持ちはいいよな」「恵まれているヤツはいいよな」という「恨み」で、この物語が消化されてしまう危険性があること。
介護ってさ、お金があれば逃げられるってものでもないし、いまの現実では、それこそ、ビル・ゲイツでもなければ、「お金ですべてを解決できる」わけじゃない。
「日本のシステムがおかしい」とは思う。
そもそも、近い将来「ひとりの高齢者とひとりの若者が養うという、肩車の状態」となることが予見されているけれど、そんなことが現実に可能なのか?
自分が「いま」を生きるのが厳しい状況なのに、「将来」とか「見ず知らずの高齢者」のことに、そんなに悩んでいられるのか?
いやほんと、「とりあえず、今がよければ、それでいいよ。もう先のことなんか考えても、しょうがないし……」
そんな刹那主義は間違っているはずなのだけど……
そうでも考えないと、やってられない。
原発のことも、そうなのかもしれない。
「死なせてしまえばいい」と割り切れるのなら、話はそんなに難しくないと思うのです。
そうじゃないから、迷う。
その一方で、正しいか正しくないかさておき、少なくとも、現実には、癌や慢性疾患の高齢者に対して「なんでもやって、少しでも生かしてくれ」という人や家族は減ってきています。
たぶん、「長生きが喜ばれる時代」は、もう終わってしまったのでしょう。
少なくとも「他人」に関しては。
僕は「それでも一生懸命介護をしている家族」も見てきました。
それを「義務化」してはいけないと思う。
ただ、そこに「生きがい」を見つけているような人もいるのだよなあ。
もちろん、それは「間違って」などいない。
それが「美談」としてもてはやされる社会でなければ、あまりにも「家族責任主義」な日本の介護は、とっくの昔に破綻しきって、「姥捨て山」ができるか「安楽死法案」が可決されているでしょう。
この作品が訴えかけていることは、僕にとっては「目の前にある現実」でしかありませんでした。
しかしながら、世の中の大部分においては、まだ「介護は成長産業」だと思い込まれているように感じます。
確かに、最初の数年は旨みがあった。フォレストは介護保険制度が施行された翌年の2001年には黒字化を果たし、その後も順調に業績を伸ばした。佐久間がフォレストに出向してきたのは、ちょうどこのころだ。大友に語った膨張のスパイラルも実際に存在した。ヘルパーなどの介護職員の給与も、高給とは言えないものの「悪くない」くらいの水準だった。
しかし、やがて役人たちはその本性を現す。否、もともと仕組まれていたとでも言うべきかもしれない。
介護企業が大きな利益をあげるようになると、信じられないような制度改正が行われた。企業に支払われる介護報酬が引き下げられたのだ。
役人たちからすれば、利益が出てるということは余剰があるということで、予算の措置としては削減するのは当然なのかもしれない。しかし、福祉だろうがなんだろうが、民間企業が商売としてやる以上、利益が出なければ回らない。
自分たちで賭場を開いておきながら、プレイヤーが勝ち始めると、ルールを変えてチップを払わない。企業の側から見れば、役人たちの振る舞いはそんなヤクザな胴元に近い。
少なくとも、現状では、比較的資格をとるのが容易な「介護」という仕事は、そんなに恵まれたものではありません。
今でさえ、こんなに締めつけられているのですから、今後ニーズが増大するとしても、そんなに条件が良くなるとも思えないのです。
「グローバル化」に伴って、「安い給料で、きつい仕事をしてくれる人」は、どんどん増えていくはずだから。
でもまあ、困ったことに「役人が悪い」だけで済む問題ではなくて、根本的に「この日本という家には、もう金がない」のです。
本当は、「政府の問題」でも「誰かの問題」でもなくて、「みんなの問題」のはずなのに。
「オレはいま金がないからしょうがない。悪いのはオヤジだ。生まれた環境だ」
そうやって他人事にしていくことによって、将来の自分は、もっと厳しい状況に置かれる可能性が高いのに。
「今の高齢者世代は、好き勝手やって、逃げ切るなんて卑怯」だという気持ちはわかるけれど、実際は、彼らだって「好き勝手やってきた」わけじゃない(それは著者もこの物語のなかで言及しています)。
僕たちには、もう「行き場」がない。
でも、それを自覚しなければ、何もはじまらない。
全然「本の感想」になってなくてすみません。
でも、これが僕にとっての率直な「感想」なのです。
いろんな意味で「問題作」だと思うのだけれど、こういう話が「ミステリ」という形じゃないと、多くの人に訴えられないという現実は、なんだかとてもいたたまれないものでもありますね。
おかんの昼ごはん ---親の老いと、本当のワタシと、仕事の選択
- 作者: 山田ズーニー
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2012/11/22
- メディア: 単行本
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「介護」という身近な問題に関して、この本は一読をおすすめしておきます。