琥珀色の戯言

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【読書感想】キャパの十字架 ☆☆☆☆


キャパの十字架

キャパの十字架

内容(「BOOK」データベースより)
フォトジャーナリズムの世界でもっとも有名かつ最高峰といわれる「崩れ落ちる兵士」。だが、誰もが知るこの戦争写真には数多くの謎がある。キャパと恋人ゲルダとの隠された物語がいま明らかになる。


『崩れ落ちる兵士』という写真はこちらを参照してください。


先日、『沢木耕太郎 推理ドキュメント 運命の一枚〜"戦場"写真 最大の謎に挑む〜』というNHKの番組を観て、沢木さんがキャパの『崩れ落ちる兵士』についての取材をずっと続けておられることを知りました。


「戦場カメラマン」の代名詞であるロバート・キャパ
その出世作であり、代表作である「崩れ落ちる兵士」は、スペイン内乱で、「自由のために」戦っていた共和国軍兵士の「殉死」の姿を写し取ったものとして、世界的に知られるようになったのです。


僕も何年か前にキャパの写真展でこの写真を観ましたし、ネットでも何度も目にしています。
ただ、写真の技術的なことには疎いので、「よくこんな瞬間を撮ったなあ」と感心はしても、これが「偽物」だなどと考えたことはありませんでした。


ところが、この『崩れ落ちる兵士』には、こんな「影」がつきまとっています。

 だが、この「奇跡の一枚」は、真贋論争が絶えない「謎の一枚」でもあった。ネガは勿論、オリジナルプリントもキャプションも失われており、キャパ自身も詳細について確かなことは何も語らず、いったい誰が、いつ、どこで撃たれたのか全く不明なのだ。

いまだったら、パソコンとソフトがあれば、写真を加工することなど朝飯前なのですが、キャパの時代にはそんなことは不可能でした。
キャパが何も語らずに去ってしまったなか、沢木さんは、この「謎」を20年以上追い続けていたそうです。
この写真は「本物」なのか? そして、「誰が撮った」のか?

 その瞬間、違和感をひとことで言ってしまうとこういうことになる。 
 ――あの写真は本当に撃たれたところを撮ったものだろうか?
 それは、ひとりの戦場カメラマンがあのように見事に兵士が撃たれる瞬間を撮ることができるものだろうかという常識的な感覚に裏打ちされた疑問、違和感だった。
 問題は、瞬間の捉え方があまりにも見事すぎるということだけではない。撮り手は、撃たれた兵士の斜め前に位置しているように思われる。つまり、撃たれた兵士にとっての「敵」に背を向けて撮っていることになる。自分も撃たれるかもしれない危険な場に身を晒し、決定的な瞬間を捉え切る。いったい、そのようなことは可能だろうか?
 しかし、その瞬間、違和感は表立って表明されることはほとんどなかった。
 歴史的に「崩れ落ちる兵士」の「真贋」がはっきりとした問題になりはじめたのは、1954年のキャパの死からだいぶたった1970年代からである。

1970年まで「検証」が行われなかった理由は、検証技術の成熟と、この『崩れ落ちる兵士』というのが、「自由のための戦った人々のアイコン」としてある意味「神格化」されてしまっていたので、「偽物だ」とは言い出しづらかった、という面もあるようです。


 NHKの番組がすごく面白かったので、僕はこの本の刊行を心待ちにしていたのですが、率直に言うと、あの番組のデキが良すぎたのか、「あの番組を観れば、あえて本を読む必要はなかったかな」と思いました。
沢木さんらしい「寄り道」の部分は、この本に関しては少なくて、「謎解き」に力が注がれているのですが、撮影地点や撮影者の位置関係の検証などについては、どうしても文章や図よりもテレビの映像のほうが「わかりやすい」ですし。
もちろん、テレビ番組では紹介されていないような取材過程や関係者の証言もありますし、キャパの写真も転載されていますので、「資料的な価値」もけっこう高いと思うのですが、「キャパか沢木さんか、あるいはその両者が好きな人」でなければ、あのテレビ番組の内容で、過不足無いような気がします。


 僕は買って損したとは思っていませんが、それでも、「テレビの内容を再確認した」ような感じでした。
 この本のほうが、テレビよりもさらに『崩れ落ちる兵士』の謎解き中心にフォーカスした感じです。
 謎解きのプロセスそのものも興味深くはあるのですが、カメラマニアではない僕にとっては、どうしても「で、結論は?」という気分になってしまうのです。


 ちなみに、この写真を検証してきたススペレギ教授という人は、キャパを貶めたいというのではなく、こんな身内の写真についての経験から、「写真の真贋」を研究するようになったそうです。

 ススペレギ教授の母方の曾祖母もバスク地方に住む人だった。その曾祖母は、スペインで内戦が勃発すると、近隣の多くの人と一緒にフランスに避難しようとした。1936年9月4日、フランスに向かう途中、海岸でカメラマンにその姿を撮られた。ところが、何年かするうちに、その写真はさまざまな取り扱われたかをするようになり、ついにはゲルニカの悲劇を撮ったものとされるようになったりした。反乱軍によるゲルニカ爆撃は、その惨禍がほとんど写真に撮られなかったため、腰を下ろし、両手で顔を覆っている老女を、ゲルニカの悲劇と結びつけやすかったらしいのだ。
 写真は嘘をつく。
 こうして、ススペレギ教授のライフワークのひとつである、スペインの近現代史に現れた写真の中で、「本来の文脈を離れて別の意味を付与されるようになってしまった作品について調べる」という研究に、キャパの「崩れ落ちる兵士」が加わることになったのだ。

 以前行ったキャパの写真展では、日本軍の進行で途方に暮れている中国の女性の写真が展示されていました。
 それを見ると、日本人の僕でさえ「日本も酷いことをするなあ」と感じずにはいられなかったのです。
 「写真」とか「映像」っていうのは、「ありのまま」だというイメージがありますから、人の感情に、強く訴えてきます。
 言葉の情報はすぐに忘れてしまったり、薄れてしまいがちだけれど、インパクトがある写真は、ずっと残り続ける。
 それだけに、写真や映像は「悪用」されやすいのです。
 「写真だから、映像だから、本当にあったことだろう」と、今のようにそれを作りかえる技術が知られていなかった時代は、なおさら考えられていたはずです。
 そもそも、写真そのものを変えなくても、そこに付けるキャプション(説明文)を変えるだけで、受ける印象がガラッと変わったりもしますし。


 キャパは「当時のパートナーであった、ゲルダが撮影した、演習中の写真」で有名になってしまったことに、負い目を感じていたのかもしれません。
 でも、あの写真は「自由」を求めて戦う連合国側の「アイコン」にまでなってしまって、もう、キャパ自身でも「あの兵士は、本当に撃たれて死んだわけじゃないんだ」と言えなかった。
 キャパはユダヤ系の生まれで、ナチスや枢軸国側、スペインではフランコ将軍側への「怒り」を持っていたこともあるのでしょう。

 
 テレビでも、沢木さんが最後に「あの『崩れ落ちる兵士』が注目され、世に出てしまったばかりに、ロバート・キャパがその後の人生で背負った苦しみ」を語る場面が僕にはすごく印象的でした。

 いずれにしても、キャパはこの『崩れ落ちる兵士」の一枚で、無名のアンドレ・フリードマンから、世界的に有名なロバート・キャパになることができた。アメリカの週刊誌<タイム>は「世界の偉大な写真家のひとり」と書き、イギリスの代表的な写真週刊誌<ピクチャー・ポスト>は「世界で最高の戦争写真家」と呼ぶようになる。「崩れ落ちる兵士」の写真は、アンドレ・フリードマンからロバート・キャパになりための必須の一枚だったと言える。
 しかし、彼はまた、それによって大きな十字架を背負うことになったのではないかと思われる。その出発の時点からフォト・ジャーナリズムの伝説の中に生きることになったキャパは、心中ひそかに、少なくともこの「崩れ落ちる兵士」に匹敵するものを一度は撮らなくてはならないと考えるようになったに違いないからだ。
 あるいは、それ以後の何年かは、その伝説に実体が追いつくために必要な年月であったかもしれない、と私は思う。

(沢木さんの推測が正しいとするならば)自分で撮影したわけでもなく、実際の戦場の写真でもない「傑作」で世に出てしまったキャパ。
 その「ロバート・キャパの名声」に追い立てられるように、「キャパになるために」最前線に向かっていかざるをえなかった男。
 

 沢木さんが、「あの写真がキャパのものでも、実際の戦場でもないとしても、私のキャパという人間への興味は尽きない」と仰る理由、僕にはわかるような気がします。
 いやむしろ、そういう「鬱屈」で生まれたキャラクターであることが、キャパという人間の魅力ですらあるように僕には感じられるのです。
 ロバート・キャパという架空の英雄を利用しようとしたはずの男が、ロバート・キャパというキャラクターに喰い破られそうになりながら、一体化していくまでの人生。

 
 ロバート・キャパに、写真に、そして、「戦場カメラマン」という生き方に興味が少しでもある人は、ぜひ手にとって読んでみていただきたいと思います。
 まあ、NHKのドキュメンタリー番組のほうを観ていれば、それで十分、のような気もするのですけどね。

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