琥珀色の戯言

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【読書感想】完全なるチェス 天才ボビー・フィッシャーの生涯 ☆☆☆☆☆


完全なるチェス―天才ボビー・フィッシャーの生涯

完全なるチェス―天才ボビー・フィッシャーの生涯

内容紹介
二十年にもわたって姿を消したチェス世界チャンピオンは往年のライバルと対戦すると、ふたたび消息を絶った。
クイーンを捨て駒とする大胆華麗な「世紀の一局」を十三歳で達成。
東西冷戦下、国家の威信をかけてソ連を破り、世界の頂点へ。
激しい奇行、表舞台からの失踪、ホームレス寸前の日々、そして日本での潜伏生活。
アメリカの神童は、なぜ狂気の淵へと転落したのか。
少年時代から親交を結んできた著者が、手紙、未発表の自伝、KGBやFBIのファイルを発掘して描く空前絶後の評伝。


ボビー・フィッシャーという人を御存知でしょうか?
誰、それ?という方は、まず、こちら(ボビー・フィッシャー(Wikipedia))をご覧下さい。


10代の前半で頭角をあらわし、若くして世界の頂点を極めた、伝説のチェス・マスター。
その一方で、後半生は謎に包まれ、ほとんど表舞台には出ず、反米、反ユダヤの過激な発言ばかりが取り沙汰されるようになりました。
日本で収監されたこともあります。


日本では、チェスがそれほど盛んではないこともあり、そんなに有名ではない、ボビー・フィッシャーなのですが、僕は将棋やチェスのような「ゲーム」が大好きなので、その「伝説の名人」の人生にはずっと興味を持っていました。
この本は、ボビー・フィッシャーと長年交流があった著者による、まさに「決定版」の評伝です。

 若いころからボビー・フィッシャーと知りあいだった私は、何百回となくこう訊かれたことがある。
ボビー・フィッシャーは、本当はどんな人だったんですか?」
 その疑問に答えようとしたのが本書だ。とはいえ、読者にひとつ警告しておくが、本書には逆説的な事柄が多分に出てくる。フィッシャーはなかなか他人と打ち解けない一方で、隠し事をしない正直な男だったし、気前がいいと同時にケチだった。愚直な一方で博識だったし、酷薄でありながら心やさしく、信心深いと同時に異端的だった。彼のチェスが魅力と美と意味に満ちあふれている一方で、その突飛な発言は、冷酷さと偏見と憎悪に満ちていた。彼はチェスの探究に何十年もエネルギーと情熱の大半を注ぎこんできたが、新聞各紙に書き立てられたような、特殊な才能を持つ知的障害者ではなかった。
 バージニア・ウルフは、画家にして芸術批評家だったロジャー・フライの評伝を書いたとき、こう述べている。
「伝記は六つか七つの人格を描いてはじめて完全といえるが、実際の人間が持っている人格は、千をくだらないだろう」

500ページを超える長さで、字も小さめ、チェスというゲームか、ボビー・フィッシャーという人間のどちらかに興味がない人にとっては、読むのはけっこう辛いかもしれませんが、僕はとても興味深く読みました。
著者は、ボビー・フィッシャーの隠遁の後半生をグレタ・ガルボやJ.D.サリンジャーと重ね合わせているのですが、この本を読んでいると、それも大袈裟ではないということがわかります。


なによりも驚いたのは、ボビー・フィッシャーがスパスキーを破って世界チャンピオンになった時代には、「チェス」というゲームがこんなに世界に大きな「意味」を持っていた、ということでした。
それまでずっとソ連人が、チェスの世界ではチャンピオンとして君臨してきたのですが、その理由として、「ソ連人の知的な優位を示すために国策としてチェスの名人を養成してきたこと」が挙げられます。
その一方で、アメリカでのチェスは「富裕層の趣味」でしかなくて、それでお金を稼いで生活していくことは難しい状況だったのです。
つまり、ボビー・フィッシャーの勝利は、「アメリカ(あるいは西側世界)の知性が、ソ連の知性を打ち破った」とみなされたのです。しかも、圧倒的に不利な環境で。
オリンピックで選手が活躍することによる国威発揚と同じことが、チェスの世界でも行われていたんですね。


アイスランドでのスパスキーとの世界選手権の前、フィッシャーはさんざんゴネまくります。
チェスの試合としては前代未聞ともいえる報酬を呈示されていたにもかかわらず、もっと分け前をよこせ、と。
試合の期日になっても会場にはやってこず、「不戦敗にしろ」なんていう話も出ていたようです。
このあたりの駆け引きは、もうプロレス的というか、単なる「ワガママな若者」だとしか思えませんでした。
プロレスであればあらかじめお互いに「落としどころ」を決めてやっているはずですから、「プロレス的」とか言うのはプロレスに失礼ですね。

 だがフィッシャーが対決のチェス盤に向かうには、背中をもうひと押ししてもらう必要があった。
 その背中を押すことになったのが、もうひとつの電話である。セイディがその電話を取ったとき、その日二十回目の、フィッシャーに声明やインタビューを求める電話だと思っていた。だが実際には、ニクソン大統領の国家安全保障問題担当補佐官(のちに国務長官)であるヘンリー・キッシンジャーの秘書からで、キッシンジャーがフィッシャーとの電話会議を望んでいる、という話だった。フィッシャーが電話を取りに行くと、キッシンジャーはあの深みのある独特なドイツ語訛りで、こう切り出した。
「世界一チェスの上手な方ですね。私は世界一チェスの下手な人間です」
 キッシンジャーはフィッシャーに、アイスランドへ行って、ロシア人を彼らのゲームで叩きのめすべきだと告げた。
アメリカ合衆国政府はきみの活躍を願っているし、私もきみの活躍を願っています」
 この十分程度の電話のあと、フィッシャーは、「なにがあろうと」世界選手権をしに行く、アメリカ合衆国の利益は自分の個人的利益よりも大きい、といった。このときまさにフィッシャーは、自分をただのチェスプレイヤーではなく、祖国を守る冷戦の戦士と見なしていたのだ。

この「世紀のチェス」がアイルランドで行われたのは、1972年。
ボビー・フィッシャーは勝ち、世界チャンピオンになりました。
フィッシャーが勝ったときのアメリカでの「チェス・ブーム」は、ものすごいものだったそうです。


当時の『ニューヨーク・タイムズ』には、こんな社説が載ったのだとか。

 しかしフィッシャーが成し遂げたのは、彼が憑かれたように自分の権利だと思ってきた世界タイトルをようやく勝ち取ったことだけではない。彼はスポーツとしてのチェス人口と観客数を一気に増やすことで、何百万人もの人々のなかにあるチェスのイメージと地位をがらりと一変させた。……もっと広い視点で見ると、フィッシャー対スパスキー戦は、他に類を見ない政治的重要性を持っている。……その結果、あれほどの緊張感にもかかわらず、米ソ間という広義の環境を向上させることに寄与する雰囲気が生まれたのだ。

チェスという「単なるゲーム」に「政治的重要性」が付与されたことによって、人々はチェスに熱狂したのです。
それは、チェスの普及やプレイヤーの地位向上のためには、とても有意義なことだったのでしょう。


ところが、「国民的英雄」となった後もボビー・フィッシャーの「奇行」は影をひそめることなく、というか、さらに酷くなっていく一方でした。
アメリカ合衆国の利益のために」チェスをしに行ったはずなのに、後半生では、アメリカとも「決別」してしまいます。


チャンピオンとなったあとのフィッシャーには、合計1千万ドルにもおよぶ、さまざまなオファーが届いていたそうなのですが「お金を稼ぐのが嫌いではなかったはずの」フィッシャーは、それをなかなか受けようとはしませんでした。

 しかし、フィッシャーが金銭的なオファーをすべて断った理由をもっともよく説明しているのは、フィッシャー自身のこの言葉かもしれない。
「みんな私を食い物にしようとしているんだ。そんなやつらに5セントだってむしり取らせてたまるか!」
 それが結果的に、フィッシャー自身が10セントも儲けようとしないことになったのである――少なくとも短期間は。

こういう話を読むと、「計算高すぎるのかあまりにも枝葉末節にこだわりすぎて幹を見失ってしまっているのか、よくわからない人だなあ」「あまりに他人に利用されることばかりだとこんなふうに猜疑心の塊になってしまうのだろうか?」と考えてしまうのです。
自分が100万ドル稼げるのだったら、仲介者が多少マージンを取るのは致し方ない、と僕なら思う。
(いや、実際にそういう立場になったら、そうは考えないかもしれないけどさ)
ああ、でも、この「とにかく他人に利用されることを嫌う」というのがいまの若者の特性だという話が、先日読んだ、内田樹さんと岡田斗司夫さんの対談にも出てきたなあ。


結局、世界チャンピオンになったあとのフィッシャーは、その防衛戦を一度も戦うことなく、というか、チェスというゲームの実戦からも離れ(研究はずっとしていたようですが)、隠遁生活を送ることになりました。
のちに、一度だけスパスキーと「再戦」することになりますが。


まあでも、ほんと、この人、「チェスが滅法強い」「すごい棋譜を残した」という業績の一方で、人間としては「なんて酷いヤツだ……」というところばかりなんですよね。
他人が自分のために何かしてくれるのが当然だと思っているようにみえるし、ユダヤ人やアメリカへのヘイトスピーチの数々は「狂気」のレベルです。


1999年にあるラジオ番組では、こんな事件も起こしています。

 フィッシャーは声をあげて威張りちらした。暴言はさらに続いて、フィッシャーは自分がいかに「ユダヤ人に苦しめられてきたか」を語り、「ホロコーストは起こってない」と主張し、「ユダヤ人のエルスワース」に言及するときには四文字言葉を使った。この生放送がまちがいを正し、自分が被った不正をラジオの聴取者と世界に知らせる唯一の機会であると、フィッシャーは感じていた。
 フィッシャーの憎悪はとどまることなく続き、放送が悪態だらけになって、とうとうモナートは耐えられなくなった。
「ミスター・フィッシャー、あなたの心は病んでいます」
 その言葉を合図に、フィッシャーのマイクは音声を切られた。

それでも、この「天才」が持つ聖なる力に惹かれ、多くの人が彼を援助し続けるのです。
そういう「恩人」たちにすら、気が変われば罵声を浴びせるのを厭わない人だったのに。

 フィッシャーがツィタに告げた、あるいはほかの人にいった言葉のなかで、もっとも辛辣で自覚的な一言はこれだ。
「私は人生のゲームでは負け犬だ」

この言葉を読んで、僕はちょっと考え込んでしまったんですよね。
ボビー・フィッシャーは、あまりにもチェスの才能がありすぎたために、人生を棒に振ってしまった男、なのかもしれない。
でも、「チェスというゲームには、それがゲームだからこそ、人生を棒に振っても惜しくないような価値がある」とも言える。
「チェスがあったから、狂ってしまった」、「狂っていても、チェスのおかげで人生を全うできた」のか?


正しいとか間違っているというような「評価」の対象というよりは、「こんな『天才の人生』もあるのだなあ」と圧倒されながら読みました。
興味を持てる人にとっては、極上の一冊ではないかと思います。

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