- 作者: 団野村
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2013/02/17
- メディア: 新書
- 購入: 1人 クリック: 5回
- この商品を含むブログ (2件) を見る
150キロ台後半の剛速球を投げ込み、日本プロ野球界を代表する投手となった伊良部秀輝。そんな彼が次の活躍の舞台として希望したのはニューヨーク・ヤンキースだった。そして、日本球団とパドレス、ヤンキースを巻き込んだ世紀の三角トレードへと発展していく。
本書では、傲慢、不遜とマスコミからバッシングされつづけた伊良部秀輝の真実の姿を明らかにしようとする一冊である。著者は、伊良部の代理人として、ヤンキースへの移籍を成立させた代理人の団野村。最近では、ダルビッシュ有のメジャー移籍を成立させた日本を代表するエージェントである。
本書では、伊良部がヤンキースのオーナーやファンから愛された姿、そして豪腕でありながらミリ単位の投球フォームにこだわりつづけた繊細な野球人としての姿を浮き彫りにしていく。
42歳にしてこの世を去った伊良部秀輝。彼が、日米のプロ野球界、マウンドに遺したものは何か―野球ファン必読の一冊。
伊良部さんの自殺が報じられたのは、2011年の7月でした。
42歳という若すぎる死ではありましたが、ヤンキースへの移籍の際の騒動とか、暴力事件とか、引退後にうどん屋を経営していて、流行っていたはずなのにいつのまにか閉店とか、なんというか、「あれだけ凄い球を投げられた才能のあるピッチャーだったのに、何もかも中途半端というか、噛み合ないというか、もったいない人生だったなあ」と思ったのと、「自殺」という死因に、あまり疑問を感じなかったことを覚えています。
42歳、働き盛りの年齢で自殺するというのは、「なぜ?」と問われてしかるべきなのでしょうけど、「ああ、なにもかもうまくいかなくて、絶望していたんだなあ」なんて、勝手に思い込んでしまって。
ワガママ、傲慢、とっつきにくい人、トラブルメーカー……そんなネガティブなイメージばかりが伝えられ、当時の僕は「ああ、またゴネてメジャーリーグに移籍しようとする選手がいる……ロッテも大変だよなあ」なんて思っていたのです。
この本によると、結果的に伊良部投手の移籍でのトラブルが、日米間の選手移籍の新しいルールの作成のきっかけとなり、いまの「ポスティング」の制度が生まれたそうです。
しかし、「ポスティング」というのも、選手や代理人からすれば「以前よりマシ」だとしても、選手に出て行かれるファンとしては、釈然としないところがあるのも事実なんですよね。
僕はこの新書を読んで、人生に不器用で、野球に対して真摯であった伊良部投手の「実像」に驚いたのですが、その一方で、著者の団野村さんは「選手と球団と代理人の話」に終始していて、結局のところ、プロ野球を運営している側にとっての「ファン」って何なんだろうなあ……と感じたことは付け加えておきます。
著者は、伊良部投手に対するマスコミの報道の「偏り」「悪意」のひとつを、こんなふうに紹介しています。
2008年に大阪のバーで店員を殴り、逮捕されたという事件の背景について。
大阪のとあるバーで飲んでいたヒデキが、アメリカン・エキスプレスのいわゆるブラックカードで支払いをしようとしたところ、使用できなかったことに腹を立て、暴行を働いた、とされる事件のことである。この事件が明るみに出るや、ヒデキは猛烈なバッシングを受けた。
むろん、店と従業員に危害を加えたことに対する批判は、甘んじて受けよう。その点でヒデキにまったく非がなかったとはいえない。
けれども、「酔って、暴れて、逮捕された」ことだけが大きく扱われ、どうしてヒデキがそういう行為に出ざるをえなかったのか、その経緯と理由をきちんと伝えたメディアは皆無といってよかった。
じつは、あれは店側がヒデキのカードをスキミング、すなわちカードに登録されている情報を不正に読み取ろうとしたことが原因だったのだ。
支払いのため、ヒデキがカードを店側に提示したところ、15分過ぎても戻ってこない。不審に思ったヒデキは、「カードを返せ」と店長に詰め寄った。すると、店長が逃げようとしたので押さえつけたーーというのが、事件の真相である。つまり、トラブルのきっかけは店側にあり、ヒデキはむしろ被害者だったのだ。事実、店側がスキミングを行っていたことが後日明らかになり、ヒデキは不起訴処分となった。
この「真相」僕は知りませんでした。
たしかに「暴行」は良くないけれど、こういう経緯であれば、「平和に話合いで解決する」状況とは考えにくいですよね。
でも、マスコミは、「暴行事件」は大きく報道するけれど、その後のフォローはほとんどしてくれません。
伊良部さんの「マスコミ嫌い」にはそれなりの理由があった。
マスコミ側としては「どうせ自分たちを嫌っている人間」だから、悪く書きやすかった面もあるのでしょう。
著者は、実際に選手どうしや関係者として接した人には、伊良部を悪く言う人はほとんどいなかったと書いています。
しかしまあ、考えてみれば、代理人がマスコミ対策もちゃんとしてやっていれば……という気もしますね。
もちろん、そのあたりも野茂投手に続く「先駆者の苦しみ」ではあったのでしょうけど。
この新書のなかで、著者は、「つねに向上心を持って野球をやっていた、伊良部秀輝という選手」のことに多くページを割いています。
選手としては「実力や周囲の期待ほどの結果を残せなかった」ような印象が強い伊良部選手。
伊良部投手がヤンキースで1年目のシーズンを終えたあと、野茂投手と雑誌で対談したことがあったそうです。
その際、ヒデキはメジャーのバッターと対戦した印象をこう話していた。
「いちばん、僕が感じたのはスイングの軌道の違いですね。メジャーのバッターは押す力が強いので、ボールを弾き返せるポイントをいくつももっている。ここでも当たる、ここでも当たるという感じですよね。
もっとわかりやすく言えば、「点」ではなく「線」でボールを捉えることができるんです」
すると野茂は、「そうかなぁ……、おれは『点』とか『線』とかいうことを考えたことは、ほとんどないな。それよりもコースを間違わないことのほうが大切だと思う」と答え、「”真ん中に投げても打たれない”と思って投げてる」と述べた。
これに対して、ヒデキは次のように話した。
「たしかに真ん中のボールでも抑えられるとは思うんです。しかし、それには条件があって、ボールの出どころが見えにくいとか、タイミングが取りづらいとか、キュッと手元で伸びてくるとか、いろんな要素が噛み合なければならない。でも、それができればストライクゾーンが広く使えるようになって、常に有利な気持ちでバッターに立ち向かうことができる」
ヒデキは野茂に勝るとも劣らない才能を持っていて、周囲もそれを認めているのだから、自分がいいと思うピッチングをすればいいのに……と私などは無責任に思っていた。初勝利のあとで勝てなくなったのも、「考えすぎではないか」と感じていたほどだ。
伊良部投手といえば、「日本最速」のストレートを投げる「豪球投手」「力で抑える」イメージがあったのですが、実際は、打者との駆け引きを重視し「どういうフォームだと、投球の出どころがバッターから見えにくいか」「キャッチャーのこの配球の意味は」などを、かなり突き詰めていたそうです。
著者は、伊良部投手に対してこうコメントする一方で、「ブルペンエースには、『自分のいちばん良い球を投げる』『完璧な投球をする』タイプが多いが、試合で結果を出せないのはバッターを見て投げる、『バッターに勝つ』意識が足りないのではないか」とも述べています。
野茂投手には、フォークボールという「ウイニングショット」があったことも大きかったのだとは思いますが、伊良部投手は、本当に研究熱心で、多くの選手での経験から「相手をみること」の重要性を認識していた著者さえも「考えすぎ」だと感じるようなところがあったのです。
野球の技術的なことについて話をはじめると止まらなくなり、周囲が感心したり辟易したりしていたエピソードも、この本のなかで語られています。
伊良部という選手は、もうちょっと「何か」があれば、野茂英雄になれていたのではないか、という気がします。
それは「運」なのかもしれないし、「妥協」「割り切り」なのかもしれない。
もしかしたら、「ちょっとだけ、嫌いな人にも愛想良くすることができる」だけでも、全然違った人生をおくっていたのではないか、と考えずにはいられないのです。
アメリカでの実働は短かったものの、ヤンキースでワールドシリーズ優勝を2度経験し、帰国後は阪神でリーグ優勝に貢献するなど、それなりの成績も残したのですから、選手としても、もっと評価されていてもよかったはずなのに。
小島に対し、こんなことをつぶやいたことがあるという。
「人は人にタスキをかけるんだ」
政治家が選挙活動をするとき、名前を書いたタスキをかけて自分の存在を示すように、人間というものは他人に対して、「この人物はこういう人間だ」というタスキをかけるというのである。あるいは、メディアなどが伝えたイメージを鵜呑みにして、色眼鏡でその人物を見るというわけだ。
「自分の場合は――」
ヒデキは言った。
「”悪童”というタスキをかけられた。そして、一度タスキをかけられたら、外すことはできないんだ」
あんなにすごいピッチャーだったのに、なんでこんなに「もったいない感じ」だけを残して、伊良部はマウンドから、そして人生から去ってしまったのだろう……