琥珀色の戯言

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【読書感想】うさぎとマツコの往復書簡 ☆☆☆☆


うさぎとマツコの往復書簡

うさぎとマツコの往復書簡


こちらはKindle版。

内容紹介
「地獄? 結構じゃないのさ。ほら閻魔、かかってこいや!」
浪費、整形etc……女の業をさすらう女王様・中村うさぎと、規格外の存在感で各界を震撼させる「女装渡世」マツコ・デラックス。みずからの魂を売り物にする2人が繰り広げる、天衣無縫のガチバトル、ついに書籍化! 特別対談「性と差別」ほかも収録。

Kindleで読む本を探していて発見。
2010年に単行本が出ていて、紙の本のほうは1260円だったのですが、Kindle版は700円だったのでKindle版で読みました。
このふたりの往復書簡は『サンデー毎日』の2009年6月28日号からスタートし、2013年の5月5日号の時点では、まだ続いています。


僕はこの本を読むまで、中村うさぎさんがマツコさんを「魂の双子」と呼ぶほどの深いつながりがあるとは知らなかったのです。
もちろん、中村うさぎさんのことも、マツコ・デラックスさんのことも知ってはいたのですが、マツコさんが元編集者で、世に出るきっかけは中村さんがある企画で対談相手に指名したことだったというのも、これを読んではじめて知りました。


冒頭に、ふたりは「なれそめ」について、こんな話をしています。

中村うさぎはじめて会ったのはマツコがゲイ雑誌の編集者だったころ。編集後記がおもしろいなと思って紹介してもらっただよね。7、8年前かな。



マツコ・デラックス違うわよ! おばあちゃんは時間の感覚がなくなっちゃってんのよね。もう9年前のことよ。でも、仲良くなって、「アンタ」とか「ババア」とか言うようになったのはここ数年よ。


この本のタイトルだけ見た印象では、ふたりが「毒舌キャラ」として世間に物申す、あるいは笑いをとるような内容なんだろうな、と思ったのですが、実際は、ふたりが歯に衣着せずに相手の、そして自分の内面に切り込んでいっていて、読んでいてすごくヒリヒリしてきました。
「買い物女王」として本を書く中村さんや、テレビで有吉さんとかけあいをしているマツコさんは、「自虐を含みつつ、自分に与えられた世間のイメージとうまく折り合いをつけて仕事をしている」ようにみえるので、こんな葛藤があるなんて、あんまり考えたこともなかったんですよね。

マツコ:アタシね、厄介なものだと思っていた女装癖が、最近は逆にありがたいなと思い始めたのよ。だって、ホモの価値って結局、美醜でしょう。学歴や地位や収入じゃなくて、要は見てくれの世界なわけよ。アタシにもし女装癖がなかったら、その見てくれのみの世界を主戦場として生きていかなきゃいけなかったわけよ。40歳、50歳、60歳とその世界でやっていかなくちゃならない人たちと比べたら、アタシは逃げ道があるんだなって思うようになった。

マツコさんの場合には、その「マイノリティであることへの恍惚と不安」みたいなものが言動に散見されることはあるのですが、それは少なくともテレビのなかでは、「ごくふつうの視聴者にも共感できるレベルの疑問や憤り」として昇華されています。
ところが、中村さんの前では、こんなに「正直で、めんどくさい人」になってしまうのかと驚きました。


この対談のなかで、マツコさんは、バーブラ・ストライサンドロバート・レッドフォード主演の映画『追憶』のことを語っておられます。

 学生時代、学園のヒーローのような存在で、誰もが憧れる美男子だったロバートと、癖毛に黒ぶちメガネで、弁論大会では一人でムキになり周囲を引かせるようなバーブラは、もちろんお互いを認識しながらも、とくに親しくなることもなく卒業するの。
 それが、縮毛矯正でサラサラのボブヘアになり、メガネも取ってキレイに化粧もするようになったバーブラは、ロバートと偶然再会し、結婚することになるのね。
 やがてロバートは、ハリウッドで有名脚本家となり、バーブラも一躍セレブの仲間入りをする訳だけれど、程なくしてハリウッドに、あのレッドパージが訪れると、バーブラの思想的血が騒ぎ始め、やがで二人の仲は修復不可能にまでこじれてしまうの。
 そして離婚した二人は、数年後に偶然の再会をするのだけれど、公園でビラ配りをしていたバーブラは、髪はすっかり癖毛へと戻り、化粧気のない顔に地味な服で、かたや、精一杯の笑顔で取り繕い別れたロバートの傍らには、裕福な暮らしに何の疑問も感じなさそうなブロンド美人の後妻がいて、リムジンに乗り込み去ってゆくのよ。
 最後、バーブラの「原爆反対!」というセリフと、高らかにビラを持つ手を掲げたシーンの静止画でエンドロールを迎える頃には、それまでも、そしてそれからも、あんなにも泣いたことはないというぐらい、声が漏れないよう、布団に包まって嗚咽したのをハッキリ憶えてるわ。
 黙っていれば、わかりやすい幸福を手にしていたはずの女が、真冬の公園で、誰も受け取ってはくれないビラを配り続ける。それは本当に、バーブラにとって最良の選択だったのか、それとも、本当は後悔をしているのか。
 いいえ、最後の静止画のバーブラは、「これが私の人生!」とでも叫んでいるかのように、どこか清々しい表情すら浮かべていたわ。たとえ今がどんな状況であれ、人生とは、己の下した選択に決して後悔しないこと。『追憶』のバーブラは、まだ、己の訳わからん自意識に困惑していたアタシに、そう教えてくれたように思う。そして、アンタからもね。
 地獄、結構じゃないのさ。ほら閻魔、掛かってこいや!

これ「映画の紹介」のようで、そのままマツコさんの「自分語り」になっているんですよね。
僕もこの映画、観てみたくなりました。
(ここまであらすじを知ってしまうと、新鮮な気持ちで物語を追うことはできないでしょうけど)
これ、僕が若い頃に観ていたら、たしかに「後悔しないことが大事」だと感じたのではないかと思います。
でも、いま観たら、「そんな誰も見向きもしない、効果に乏しい『運動』をやるなんて、自己満足なだけで、結局人生を虚しくしているだけなんじゃない?」っていう感想になるような気がするのです。
「うまくやれば、夫婦関係も維持したまま、社会運動だって、できなくはないだろう」とか。


「損得」で人生を評価するのは虚しい。
それはわかっているけれど、それ以外のモノサシで評価する自信がない。


この対談を読んでいて感じるのは、中村さんとマツコさんは「身を削って、自分探しをしている人」なのだということです。
自分たちにとっての有利なポジションとして、マイノリティを利用しているわけではなく、「そういうふうにしか生きられない」ことに迷いつつも、「これが私の人生!」と叫び続けている。


正直、僕がお二人のことをああだこうだという「資格」があるのだろうか?などと考えてしまうところもあるんですよね。
この本って、「読むと何かの役に立つ」というよりは、自分の中の何かをこじらせてしまう種類の本だとも思うし。
でも、こういうヒリヒリするような「痛み」を抱えた人たちが、いま、こうして同じ世界に生きているということは、きっと大なり小なり誰かの「救い」になっているのではないかなあ。

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